軍国主義

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軍国主義(ぐんこくしゅぎ、: Militarism, : Militarismus)とは、第二次世界大戦後に確立された概念の一つ[要出典]軍事力国家戦略的に重視し、政治体制・戦略財政経済体制・社会構造などの総合的な国力軍事力の増強のため集中的に投入する国家の体制や思想を意味する。軍事主義とも呼ばれる。タカ派軍事力増強に向けて国内のあらゆる領域を統制・管理しようとする社会主義や共産主義的な傾向があり[要出典]、非民主的な独裁政治となる場合がある。

この言葉自体は、本来、19世紀後半のフランス第二帝政と、ドイツ第二帝政に対する共和主義者や社会主義者の批判のなかから生まれたもので、明治維新後にドイツ(プロイセン)の国家体制を日本は模倣したので、同様の体制であった大日本帝国も軍国主義と呼ばれる。

第一次世界大戦第二次世界大戦において、ドイツと日本を批判する文脈で軍国主義が、平和主義自由主義民主主義に反する思想であると宣伝されたので、その対義語としても用いられる。しかし包括的な側面を持っており絶対的な定義は難しく、近現代において歴史を検証した過程で生まれた概念であり、他者がレッテルを付与する為に使われることが多い。

特徴[編集]

プラトンの『国家』における理想郷や、孫武の『孫子』における兵法が、軍国主義思想の東西における起源であるとみなされている。国際関係を有利にするための近代軍国主義思想の起源は、カール・フォン・クラウゼヴィッツの『戦争論』であるとされる。

独裁政治や全体主義、またはその両者を融合した制度は軍国主義や社会主義の特徴と考えられている。これは、国民を支配し、政府の方針に異議を唱えさせないことによって、国家運営、引いては戦争の遂行をより円滑に行うことができるからである。

一般的には、軍国主義や社会主義において圧殺されがちになる私権として、言論の自由表現の自由を中心とする「意見を表明し、異議を唱える権利」、参政権選挙権の自由は形式的に保障されることもあるが、秘密投票ではなく、実質的には監視付き・与党支持率100%の翼賛選挙となりやすい)、思想・良心の自由信教の自由といった基本的な人格権など、統制経済が高度に発達している場合には、私有財産制や経済活動の自由が侵害されるという、共産主義と似た性質を持つ。

このように軍国主義や社会主義の政治的特徴は、

  1. どのようにして国民の人権を制限するか
  2. どのようにして国家や政府に恭順させるか

という部分に興味が注がれ、国家・政府への絶対的忠誠を誓わせる点にある。

このような軍国主義や社会主義を可能にする政治制度には二つの面があり、一つは強権的な支配によって国民を押さえつける警察国家的方法であり、もう一つは教育メディア戦略を通して国民を洗脳し、自発的に国家の意思に従わせる全体主義国家的方法である。両者は併用されることが多い。警察国家的側面には、強権的な秘密警察情報機関が必要な要素であり、その他に密告制度、エージェントを用い相互監視の性格を帯びた国民管理の方法をとり、更に刑罰を見せしめとして利用することで国民を威嚇する。

近代的な軍国主義国家においては、裁判の自由と司法権の独立は認められる。実際にはソビエトに代表されるような共産主義、社会主義国家の多くがそうであったように、極めて強圧的な運用しかされず、政府当局の意志を裁判所がほぼ代弁する形と化すことが少なくない。これは前述の司法権の独立が破られているという根本的な問題のほかに、裁判の基礎となる法律自体が極めて恣意的・非民主的に作られているという点にも起因するものである。

世界の軍国主義国家と政権[編集]

朝鮮人民軍を社会主義建設の主力とみなす体制で、一般には先軍政治と言う。先軍思想とも呼ばれる。

朴が5・16軍事クーデターで政権を奪ってから暗殺されるまで(1961年〜1979年)で、狭義では超法規的な国家再建最高会議議長として統治した1963年までの期間。韓国では鉄拳統治ともいう。

ドイツの軍国主義の伝統は、兵隊王(または軍人王)フリードリヒ・ヴィルヘルム1世によって始まった。軍事強国を目指したプロイセンは、財政予算の大半を陸軍に費やし、軍隊を中心にした富国強兵政策を進めた。

  • 大日本帝国

明治日本は、当時ヨーロッパで台頭を始めていたドイツ帝国を模範として、憲法や国家体制を整え、同様に軍国主義体制を築いた。極端な西欧化に批判が高まると、プロイセン軍国主義に日本独特の国粋主義的なアレンジを加え、皇国史観教育、国家神道庶政一新広義国防など諸政策を追加した。

1958年より軍事政権となったミャンマー(ビルマ)は、独自のビルマ式社会主義を掲げる軍国主義体制となった。

  • ソビエト連邦

スターリン時代のソビエト連邦は、共産主義を標榜しながらも五ヶ年計画により重工業を偏重し、ミハイル・トゥハチェフスキーの下で共産党所有の赤軍の軍備増強を推し進めた。しかし、青年コミンテルンの綱領では、反軍国主義が謳われていた[1]

その後、スターリンは赤軍大粛清を起こして、共産党による軍の統制を強めた。

参考文献[編集]

出典[編集]

  1. ^ 青年コミンテルンの綱領 産業労働調査所京都支所 1930年10月22日

関連項目[編集]