リバタリアニズム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索

リバタリアニズム: libertarianism)は、個人的な自由、経済的な自由の双方を重視する、自由主義上の政治思想[1][2]。リバタリアニズムは、他者の身体や正当に所有された物質的財産に物理的な強制やその脅迫を開始しない限り各人が彼の望む全ての事を行う事は自由であると主張する、また国家や政府は本質上、必然的に個人の正当な私的所有権を侵害する巨大な犯罪組織であり、従って、究極的には完全に廃止されるべきであるとする。[3]日本語においてもそのまま「リバタリアニズム」と表現される場合が多いが、完全自由主義自由至上主義自由意志主義など多数の訳語が存在する。また、リバタリアニズムを主張する者をリバタリアンと呼ぶ。なお、しばしばリバタリアニズムは国家や政府を否定する無政府主義とは別である等と誤った主張を行っている人間を見かけるが、実際には先にリバタリアニズムやリバタリアンの用語を使用し始めたのは無政府主義者である。

なお、哲学神学形而上学においては決定論に対して、自由意志と決定論が両立しないことを認めつつ(非両立説 incompatibilism)、非決定論から自由意志の存在を唱える立場を指す。この意味では、日本語では自由意志論等の形に訳されることのほうが多い。

概要[編集]

リバタリアンは、個人の完全な自治を唱え、その究極的な理想として国家や政府の完全な廃止を求める。[4]また、リバタリアンは、「権力は腐敗する、絶対権力は絶対に腐敗する」という信念を持っている[1]。 また、自律の倫理を重んじ、献身や軍務の強制は肉体・精神の搾取であり隷従と同義であると唱え、徴兵制福祉国家には強く反対する。なお、暴力詐欺、侵害などが起こったとき、それを起こした者への強制力の行使には反対しない。自然権的リバタリアンと帰結主義的リバタリアン[5]などに分類される場合がある。

アメリカ合衆国では、選挙年齢に達した者のうちの10%から20%が、リバタリアン的観点を持っているとされている。[6]

リバタリアニズムの基本理念[編集]

リバタリアニズムでは、私的財産権もしくは私有財産制は、個人の自由を確保する上で必要不可欠な制度原理と考える。私的財産権には、自分の身体は自分が所有する権利を持つとする自己所有権原理を置く。(→ジョン・ロック)私的財産権が政府や他者により侵害されれば個人の自由に対する制限もしくは破壊に結びつくとし、政府による徴税行為をも基本的に否定する。法的には、自由とは本質的に消極的な概念であるとした上で、自由を確保する法思想(法の支配/rule of law)を追求する。経済的には、市場で起きる諸問題は、政府の規制や介入が引き起こしているという考えから、市場への一切の政府介入を否定する自由放任主義(レッセフェール/laissez-faire)を唱える。

リバタリアニズムにおける自由[編集]

マレー・ロスバードによると、自由とは個人の身体と正当な物質的財産の所有権が侵害されていない事という意味である。またロスバードは犯罪とは暴力の使用により、別の個人の身体や物質的財産の所有権を侵害する事と定義した。[7]

またロスバードは、古典的自由主義者が使用してきた消極的な自由の概念は所有権の観点から定義されていないので曖昧で矛盾に満ちており、知的な混乱と、国家や政府が公共の福祉や公の秩序を理由に個人の権利を恣意的に制限する事を許す事に繋がったとして批判している。[8]

所有権、財産権の根拠[編集]

マレー・ロスバードは万人の為の平等な自己所有権を否定した場合の二つの論理的な選択肢を検討し、万人の為の100%の自己所有権だけが唯一正当化可能な普遍的倫理であると結論した。また物質的な財産についても同様に、最初の占有者がその物質的な資源の所有権を獲得する事を否定した場合の二つの論理的な選択肢を検討し、最初の占有者がその物質的な資源の所有権を獲得する事だけが唯一客観的に正当化可能であると結論した。[9]

ハンス・ヘルマン・ホッペは、人々の間に恣意的で主観的な分類的差別を作る規範は客観的、間主観的に正当化される事は出来ず、それ故に全ての人に等しい権利を認める規範だけが正当化されると述べ、次に、立論には彼の身体の使用を必要とするので、彼の身体を彼の意思のみで使用する事を許す自己所有権原理と両立しない全ての規範を主張する人は、もし人が本当に彼の身体を彼の意思のみで使用する権利を持たないならば、彼はそれを主張する事さえ許されない筈であり、このような主張を行う人はそれを主張するや否や彼自身の主張に反する行動を取っており、実践的な矛盾に陥っていると指摘し、それ故に全ての人の平等な自己所有権を認めるリバタリアニズムだけが先験的に正当化されるとした。また彼は同様の推論から最初の占有者がその物質的な資源の所有権を獲得するとする財産原理も矛盾無しに異議を唱える事は出来ないと主張する。(en:Argumentation_ethics)

リベラリズムとの違い[編集]

リベラリズムは自由の前提となるものを重視して社会的公正を掲げ、リバタリアニズムと相反する。例えばリベラリズムは、貧困者や弱者がその境遇ゆえの必要な知識の欠如、あるいは当人の責めに帰さない能力の欠損などによって、結果として自由な選択肢を喪失する事を防ぐために、政府による富の再分配や法的規制など一般社会への介入を肯定し、それにより実質的な平等を確保しようとする。しかし、リバタリアンは「徴税」によって富を再分配する行為は公権力による強制的な財産の没収であると主張する。曰く、ビル・ゲイツマイケル・ジョーダンから税金を重く取り、彼らが努力によって正当に得た報酬を人々へ(勝手に)分配することは、たとえその使い道が道義的に正しいものであったとしても、それは権利の侵害以外の何物でもなく、そうした行為は彼らの意思によって行われなければならない。すなわち、貧困者への救済は国家の強制ではなく自発的な仕組みによって行われるべきだと主張する。

その他の思想との違い[編集]

リバタリアンの主張では、リバタリアニズムとは経済的自由と社会的自由(個人的自由、政治的自由)を共に尊重する思想であり、リバタリアン自身による右のノーラン・チャートによれば、社会主義などの左翼思想は個人的自由は高いが経済的自由は低く、保守主義などの右翼思想は経済的自由は高いが個人的自由は低く、ポピュリズム(ここでは権威主義全体主義などを指す)では個人的自由も経済的自由も低い、という位置づけとなる。

リバタリアンの多くは経済的自由と政治的自由の両方を重視するため、社会主義などによる国営化計画経済も、ファシズム軍国主義などによる統制経済開発独裁も、いずれも経済的自由が低い「集産主義」であるとして批判し、同時にまた、共産主義などの一党独裁も、ファシズム軍国主義などの言論統制も、いずれも政治的自由が低い「全体主義」であるとして批判する場合が多い。逆に左翼からリバタリアニズムへの批判には弱肉強食の強欲資本主義である、右翼からリバタリアニズムへは伝統的価値や社会の安定を軽視しているなどと批判される。

また、社会的自由をも尊重する立場であるため、家族性道徳などに対する保守的な価値観を重視する新保守主義とも異なる。

アナキズム(無政府主義)は多数の思想潮流を含むが、基本的には国家や政府を廃止する事で自由や平等を最大化する思想のため、リバタリアニズムと密接に結び付いている。社会主義の側面が強い社会的無政府主義とは対立する場合が多いが、個人主義的で自由放任的な側面が強い個人主義的無政府主義とは共通点が多く、特に自由市場無政府主義はリバタリアニズムの主張と呼ばれる事も多い。

リバタリアニズムの類型[編集]

自然権的リバタリアンと帰結主義的リバタリアン[編集]

自然権的リバタリアン(Right Libertarian)と帰結主義的リバタリアン(Consequentialist libertarian)との違いは大まかに言えば自由を正当化する根拠の違いである。

自然権的リバタリアンはロック的伝統にのっとり、自由を、不可侵な自然権としての自己自身への所有権として理解する。他方で、帰結主義的リバタリアンは、最大多数の最大幸福は、相互の不可侵な自由が確立されている状態で最大化されるのであり、政府などによる意図的な規制・干渉は、自然な相互調整メカニズムを混乱させ、事態を悪化させると考える。

現代のリバタリアニズム[編集]


脚注[編集]

  1. ^ a b 「15テーマを「政治哲学」で徹底解明--民主党の主要政策/日本の問題/世界の問題 (混迷する現代社会を生きるビジネスパーソンのための 実践的「哲学」入門)」、『週刊東洋経済』第6278号、東洋経済新報社、2010年8月14日、 41-49頁、 NAID 40017218756
  2. ^ Merriam-Webster Dictionary definition of libertarianism
  3. ^ Rothbard, Murray Newton. The Ethics of Liberty.
  4. ^ Rothbard, Murray Newton. The Ethics of Liberty.
  5. ^ Barry, Norman P. Review Article:The New Liberalism. B.J. Pol. S. 13, p. 93
  6. ^ [1]
  7. ^ Rothbard, Murray Newton. For a New Liberty: The Libertarian Manifesto: Freedom is a condition in which a person's ownership rights in his own body and his legitimate material property are not invaded, are not aggressed against. A man who steals another man's property is invading and restricting the victim's freedom, as does the man who beats another over the head. Freedom and unrestricted property right go hand in hand. On the other hand, to the libertarian, "crime" is an act of aggression against a man's property right, either in his own person or his materially owned objects. Crime is an invasion, by the use of violence, against a man's property and therefore against his liberty.
  8. ^ Rothbard, Murray Newton. The Ethics of Liberty.
  9. ^ Rothbard, Murray Newton. The Ethics of Liberty.

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]