カール・ポパー

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カール・ライムント・ポパー
(Sir Karl Raimund Popper)
カール・ポパー
生誕 1902年7月28日
Flag of Austria-Hungary (1869-1918).svg オーストリア=ハンガリー帝国ウィーン
死没 1994年9月17日(92歳)
イギリスの旗 イギリスロンドン
時代 20世紀哲学
地域 西洋哲学
学派 批判的合理主義反証主義進化論的認識論
研究分野 認識論科学哲学社会哲学政治哲学
主な概念 反証可能性開かれた社会
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カール・ライムント・ポパーSir Karl Raimund Popper1902年7月28日 - 1994年9月17日)は、オーストリア出身イギリス哲学者ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス教授を歴任。社会哲学政治哲学にも言及した。純粋な科学的言説の必要条件としての反証可能性を提唱した。精神分析マルクス主義を批判。ウィーン学団には参加しなかったものの、その周辺で、反証主義的観点から論理実証主義を批判した。また、「開かれた社会」において全体主義を積極的に批判した。

生涯[編集]

ポパーは1902年にウィーンの中流家庭で生まれた。元来がユダヤ系だった両親はキリスト教に改宗しており、ポパーもまたルター派の教育を受けた(ちなみに彼の父は愛書家で、書斎には1万2千から1万4千冊の本を蔵していたらしい。)。1928年ウィーン大学にて哲学の博士号を取得し、1930年からの6年間、中学校で教鞭を取った。その1年後、『科学的発見の論理』 (Logik der Forschung) で心理学主義自然主義帰納主義それから論理実証主義を批判した。また、言説が科学たらしめられるところの必要条件としての反証可能性を理論として発展させた。

1937年ナチスによるオーストリア併合の脅威が高まると、ニュージーランドに移住し、クライストチャーチにあるカンタベリー大学で哲学の講師となった。『開かれた社会とその敵』 (The Open Society And Its Enemy) はこの時代に執筆されたものである。

第二次世界大戦が終わるとイギリスに移り、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスにて科学的方法の助教授を経て、教授となった。1958年から1年間、『アリストテリアン・ソサイエティ』誌の編集責任者を務めた。1965年には女王エリザベス2世から爵位を授与され、11年後には英国学士院の正会員となる。学界を1969年の時点で退いてはいるものの、彼の学術的影響は1994年に亡くなるまで絶えることがなかった。また彼は人本主義学会の会員でもあり、ユダヤ教やキリスト教の道徳教育を顧慮しながらも自らを不可知論者と称していた。

ポパーの影響を受けた哲学者として、イムレ・ラカトシュジョン・ワトキンスポール・ファイヤアーベントらがいる。経済学者フリードリヒ・ハイエクとは友人関係だった。投資家・慈善家ジョージ・ソロスはポパー哲学から多大な影響を受け、その著書や講演で「開かれた社会」について度々語っている。

思想[編集]

科学哲学におけるポパーの貢献としては以下のようなものが挙げられる。

  1. 疑似科学科学の間の境界の設定を科学哲学の中心課題として認識したこと
    科学とは何であるかを考えるうえで、従来の論理実証主義的な立場では、形而上学的でない言説の特徴に、また、命題意味を検証するための理論に、主眼が置かれていた。しかしポパーは、問題の所在が、意味性にではなく、科学性と非科学性を分け隔てるところの方法性にこそある、と主張した。
  2. 反証可能性を基軸とする科学的方法を提唱したこと
    反証されえない理論は科学的ではない、というのがポパーの考えである(cf. 反証主義)。自らを反証する論理を命題が内蔵しないという場合はあるわけで、このような命題に基づく理論とその支持者が自らに対する反定立の存在を無視ないしアドホックに回避するところではその一連の理論体系が実質的に反証不可能となり、そこに大きな危険があるのだとポパーは指摘した。(この指摘の立場自体を、ポパー自身は識別しなかったが、ラカトシュは省みて方法論的反証主義と呼んだ。)
  3. 蓄積主義的でない科学観を提案したこと
    反証主義の背景には、ヒューム的な見解、すなわち、或る理論を肯定する事例はその理論を立証することにはならない、という考え方がある。科学の進歩は、或る理論にたいする肯定的な事例が蓄積してこれを反証不可能たらしめてゆくところで起こるのではなく、否定的な事例が反証した或る理論を別の新しい理論がとって代えるところで起こる、というのがポパーの科学観の背景的な見解としてある。
  4. 知識のあり方を進化論的に論じたこと
    適者生存の法則に重きを置く進化論の観点から、知識はいかに発展するものであるかを説明した。
  5. 確率にまつわる新しい説を打ち出したこと
    確率を客観的に説く立場の新しいものとして、「或る事象を特定的にもたらす傾向を内在するシステム」が確率の実体であるとポパーは考えた。

「開かれた社会」の敵の一つである共産主義、およびそれに関する一連の思想にたいしては、ポパーはまず、「物事は一定の法則にしたがって歴史的に発展してゆく」とする歴史法則主義あるいは社会進化論を批判した。また、弁証法を基軸とするヘーゲルマルクスフランクフルト学派などの思想も批判した。1958年スイスの海外研究所で行った講演『西洋は何を信じるか』において彼は、「赤でも無く、死でもなく」と言って、断固、ソビエト連邦の政治体制を拒否し、これに反対してゆくことを訴えた。

批判[編集]

科学哲学に関する批判[編集]

ポパーの哲学に対する批判は大多数が反証主義、つまり、彼の説明する問題解決法の最重要要素である誤りの排除に対するものである。これらの批判を理解する上では、ポパーの説の狙いを心にとどめておくことが重要である。それは理想的には、人間が問題を解決する上で効果的な実践的な方法となることを狙っている。そういうものとして、現代科学の結論はこの特に精力的な選別法にかけられて生き残ってきた限りで疑似科学や非科学よりも強力である。ポパーは、それゆえにそういう科学の出す結論は全て正しいだとか、反証主義は個人としての科学者全員が実際にとる方法であるなどと主張しているわけではない。

むしろ反証主義は、何らかのシステムやコミュニティに採用されると(そのシステムやコミュニティがどれだけよく採用しているかに応じて)時間のかかるゆっくりだがしかし確実な発展へ導く、推奨される理想的な方法である。ポパーの説は論理実証主義と同時期に生まれたために、強く論理的な真理の説明と思い違いをしばしばされると主張されてきた(論理実証主義の信奉者たちが自分たちの狙いとポパーの狙いを間違えたのである[1])。

仮説はそれぞれが理論環境の一部として付属しているために一つの仮説をそれ単体でテストすることは不可能だと確証の全体論は主張する。そのため、関連する理論全体をまとめて間違っていたということしかできず、結論としてそのひとまとまりの理論のうちのどの要素を取り除かなければいけないかを言うことはできない。このことの例として、海王星の発見がある。天王星の運動がニュートンの運動法則による予測と合わないとわかったとき、「太陽系には惑星が7つある」という理論が放棄され、ニュートンの運動法則自体は放棄されなかった。素朴な反証主義に対するこの手の批判について『科学的発見の論理』の3章及び4章で論じられている。ポパーによれば、理論はある種の選択の過程を通じて選択もしくは放棄される。物事が表れることについてより多くのことを語る理論はそうでない理論より好まれる。つまり、より一般的に適用できる理論が、より価値が高い。ニュートンの運動法則は広い適用範囲を持っており、より個別的な「太陽系には7つの惑星がある」よりも好まれる。[疑問点 ]トーマス・クーンはその影響力の高い著書『科学革命の構造』で、科学者はパラダイムの系列の中で活動しており、また、反証主義者の方法論では科学が不可能になると主張した:

「いかなる理論も、しばしば完全に大抵の問題を解決したとしても、それが存続した時期に直面した問題をひとつ残らず解決したことはない。それに反して、データ理論と一致することなのだが、いつの時代も現存する問題を完全には解けないことによってこそ通常科学を特徴づける難題の多くが定義される。全ての問題がそれぞれ対応する理論を否定する根拠になるならば、全ての理論が全時代を通じて否定されているべきである。一方、厳密な間違いのみが対応する理論の放棄を正当化するならば、ポパリアンには『不可能性』もしくは『反証の程度』の何らかの基準が必要となる。一つを発展させるうえでポパリアンはほぼ確実に、様々な検証するための理論の候補に付きまとう、先ほどのと同様の困難のネットワークに直面する(評価を行う理論は対立する理論に対して退歩することを要求することによってしか自信を正当化できない)。」---The Structure of Scientific Revolutions. pp. 145-6.[2]

ポパーの弟子イムレ・ラカトシュは、素朴な反証主義のより明確な全称命題よりむしろ「リサーチプログラム」の反証主義による科学的発展を主張してクーンの研究と反証主義を調停しようとした。ポパーの弟子のうちでもう一人ポール・ファイヤアーベントはあらゆる規範的方法論を徹底的に拒否し、唯一の普遍的な方法は科学的発展を「なんでもあり」と特徴づけるものだと主張した。

ポパーは、後にクーンによって強調された「科学者たちは必ず、限定された理論的枠組みの中で自説を発展させる」という事実は1934年の版のポパーの著作『科学的発見の論理(Logik der Forschung)』において既に認識されており、その範囲で「通常科学」に関するクーンの主張の主眼点を予想していたと主張した[3]。(ただしポパーは、自身がクーンの相対主義だとみなしたものを批判している[4]。)また、論文集『推測と反駁――科学的知識の発展』(1963年)ではポパーは「科学は神話とともに、そして神話に対する批判とともに始まる。たくさんの観測結果でも、実験方法の発明でもなく、神話や魔術的技術・営為に対する批判的討論とともに。科学的流儀は前科学的流儀とは二つの層で異なる。前科学的流儀では、それはそれ自身の理論を通過する。しかしそれはそれらに対する批判的態度をも通過する。理論は独断的教義としてではなく、理論について議論したり理論を改良したりすることで通過する」と書いている。

もう一つの反論は、特に帰無仮説を評価する統計的基準を用いている場合に、決定的な誤りを示すことが必ずしも可能ではないということである。より一般的に言えることだが、証拠が仮説と矛盾する際に、そのことが仮説の誤りを示しているのか証拠の誤りを示しているのかは必ずしも明確ではない。しかしながら、こういった批判はポパーの科学哲学が何を示そうとしたかを理解していない。科学を一生懸命発展させるうえでほとんど従う必要のない一揃いの教えを申し出たのではなくむしろ、ポパーは、自分の考えは、仮説と実験の矛盾を解決する方法はどの個々の場合においても科学者集団による判断の問題でしかないということだと『科学的発見の論理』で明らかにしたのである[5]

ポパーの反証主義には論理的に問題がある。「どんな金属でもそれぞれある温度で解ける」のような言明をポパーがどのように扱うかは明確ではない。この仮説はいかなる可能な実験によっても反証できない、というのもこの温度で説けるだろうと思って実験して解けなかったとしても必ず実験したよりも高い温度が存在するので、この仮説は妥当なように見えるからである。こういった例はカール・グスタフ・ヘンペルによって指摘された。ヘンペルは論理実証主義の正当化は支持できないということは認めるようになったが、反証主義もまた論理的根拠から支持できないと主張した。これに対するもっとも単純な応答として、ポパーは理論がどのように科学としての地位を得、維持し、失っていくのかを示したのだから、現在受け入れられている科学的理論それぞれの推移は試験的な科学的知識の一部であるという意味で科学的であり、ヘンペルの示した例はどちらもこのカテゴリに属しないというものがある。例えば、原子論はどんな金属もある温度で解けることを示している。

いわゆる批判的合理主義の初期の競争相手のカール=オットー・アーペルはポパーの哲学の包括的な論駁を試みた。『哲学の転換(Transformation der Philosophie)』(1973年)において彼は、特にプラグマティズムの観点から言って矛盾しているとしてポパーを批判した[6]

帰納の問題[編集]

批判的合理主義に対するその他の批判としては、批判的合理主義は帰納の問題を解決していないというものがある。批判的合理主義では験証に耐えなかった仮説を除去し、験証によく耐えた仮説を採用する。また、一般に科学的理論の対象範囲は無限に存在し、有限回の験証を行っても対象範囲の全てにその仮説が適用できると証明したことにならないので、験証をいくら行っても仮説が正しいことの証明にはならないともポパーは言っている。そうであるにもかかわらず、ポパーは(一切テストされていない理論よりも)よく験証された理論を使えと言っている。そのため、実際のところ批判的合理主義は、ポパーが激しく批判したまさにその帰納と同じ問題に陥っているのではないかと批判されている。この批判に対してポパーは「厳しいテストをかいくぐって生き延びてきたことは別の意味での合理性を保証[7]」し「批判的な討論よりも合理的なものはないのだから、そういう実際的な場面でも批判的討論をくぐり抜けた理論を使うのが合理的なの[7]」だと主張する。しかし、ここでいう合理性は科学的理論を実際に使おうとする人々が求めるものとは別物で、人々が科学的理論を使う際の根拠とはならないと伊勢田哲治が批判している[7]

同じ問題に関して、ポパーの弟子のデイヴィッド・W・ミラー(en:David Miller (philosopher))は、今までテストに耐えてきた科学的理論を間違っていると考える根拠はないのだからその理論を採用し続ける方が合理的であると言って批判的合理主義を擁護している。これに対して、高島弘文が、ミラーの擁護もやはり帰納的推論が紛れ込んだものだとして批判している[8]。その際、高島は、この問題に関して、ミラーの擁護に比べてポパーの擁護は独特の問題を抱えており、ミラーのものと同じようには反論しづらい物であると述べている。

また、日本人だけでも高島以外にも複数の学者がこの、批判的合理主義には帰納が紛れ込んでいるという指摘を行っている[9]。同じく日本のポパー研究者の蔭山泰之は自著でこの問題を総括したうえでポパーを擁護する側に立っているが、批判的合理主義に帰納が含まれているという主張に対して反論することは実質的に放棄している[10]。また、ポパーは、遺稿では「私が批判的合理主義について述べてきたことと科学的理論を実用に供するのとは別の話である」といったことを書いており、ポパーの批判的合理主義における考えを、科学的理論に当てはめることは、必ずしも出来ないと考えていたようだ[11]

他の批判[編集]

ポパーの弟子のイムレ・ラカトシュが歴史主義や最新のヘーゲル派の歴史編集的な考えを使ってポパーの哲学を改変したと主張されてきた[12][13]

ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインは、どの問題が本物である、あるいはまさに言語学的な問題であるかをポパーと議論した際にケンブリッジ大学倫理科学部の会合でポパーに対して火かき棒を振り回したとして「招待された講師を脅さないように」とポパーに責められ、激怒して会合から去ったと言われている。ヴィトゲンシュタインの友人たちは彼が火かき棒を手に取ることなどほとんどなかったと証言しているが、ポパーはヴィトゲンシュタインの浪費癖を笑いものにするという状況を利用した[14][15]

チャールズ・テイラーはポパーが自身の認識論者としての世界的な名声を利用して20世紀大陸哲学者たちの重要性を不当に低く見せかけたと責めている。テイラーによれば、ポパーの批判は全くもって無根拠なものであるが、大陸哲学者たちはポパーの「固有の価値を見出しがたい」という言及を持って認識されているという[16]ウィリアム・W・バートリーはそういう主張に対してポパーを擁護して「サー・カール・ポパーは実際には現代の専門的な哲学的対話の関係者ではない。それどころかまるで反対に、ポパーはそういった対話を没落させた。彼が正しい道を歩んでいれば、世界中の専門的な哲学者の多くは彼らの知的遍歴を無駄にしてきたか今も無駄にし続けているであろう。ポパーの哲学のやり方と大部分の専門的な哲学者のやり方との間のへだたりは天文学占星術の間のそれと同じぐらい大きい[17]」と言っている。

2004年に、哲学者で心理学者のMichel ter Hark(フローニンゲン)が『ポパー、オットー・ゼルツと革命的認識論の興隆(Popper, Otto Selz and the rise of evolutionary epistemology)』(ISBN 0-521-83074-5)という本を出版し、その中で、ポパーはそのアイディアの多くを彼の指導教員だったドイツの心理学者オットー・ゼルツから拝借していると述べている。ナチスがゼルツの研究を1933年に辞めさせ、ゼルツの研究に言及することも禁じたこともあって、ゼルツは自身の考えを発表することはなかった。彼の考えや学識の歴史家であるポパーはいくつかの学期にプラトン、ヘーゲル、マルクスを否定したことで批判されている[18]

ジョン・グレイによれば、ポパーは「理論は反証可能である限りで科学的であり、反証されたならばただちに放棄されるべきである[19]」と考えた。グレイの「わらの犬」は、ポパーの説明する科学的方法を適用していれば「ダーウィンアインシュタインの理論を生まれるときに殺され」たであろうと言う。それらの理論が最初に前進しようとするときに、それぞれ「なにがしかの利用可能な証拠と食い違う。もう少し理論が成長すれば決定的に支持する証拠となったであろうのに[20]。」これに対して、グレイは「科学の発見は合理性にあらがうことから生じる[21]」という非合理的な理論の構築を模索している。

しかしながらグレイは、いかなる対応する理論と食い違う証拠や彼が「決定的な支持」に訴えることがポパーが論理的に正当化できないことを示そうとした科学に対するまさに帰納主義的なアプローチを説明するかを示したわけではない。ポパーによれば、アインシュタインの理論は初期構想において少なくともニュートンの理論と同じ程度には確証されているので、今のところ利用可能な証拠によって同程度に説明されている。そこからさらに、アインシュタインはニュートンの理論の経験的な論証をも説明したので、一般相対性理論はその時点で試験的な受容に適するとみなされるということに、ポパーの説明ではなる[22]。実際、グレイが批判する以前数十年前にポパーはイムレ・ラカトシュの批判的論考に答えてこう書いている:

「確かに私は『論駁(refutation)』について議論する際に『除去(elimination)』、さらに『否定(rejection)』という言葉を使ってきた。しかし、科学的理論に適用される際にそれらの言葉が意味するのは、真なる理論の競争相手として除去される、つまり論駁されることを意味しているのであって、必ずしも打ち捨てられて二度と甦らないというわけではないことは私の主な主張から言って明白である。さらに、そういういかなる論駁も誤りを免れえないことを私はしばしば指摘してきた。私たちが論駁を受け入れるか否か、そしてさらに私たちが理論を『打ち捨てる(abondone)』か、あるいは、例えば改良するだけにとどめたり、まだ固執し続けたり、代わりに同じ問題に関わっていて方法論的に受容できる理論を見つけようとしたりするかどうかは推測やリスクテイキングにつきものの問題である。私が誤りを認めることと理論をうち捨てることを混同していないことは、アインシュタインが一般相対性理論は誤った理論でありニュートンの重力理論よりも良い近似であるとしかみなしていなかったことを私がしばしば指摘してきた事実から理解できる。彼は確かに一般相対性理論を『うち捨て』なかった。そして彼は死ぬまで一般相対性理論をさらに一般化することで発展させようとした。」[23]

ウィーンのキューニグルベルクにある彼の墓所

邦訳著書[編集]

単著[編集]

  • 科学的発見の論理』 1934 (恒星社厚生閣(上下), 1971年-1972年)
  • 『歴史主義の貧困――社会科学の方法と実践』 1936,1957 (中央公論社, 1961年、新版1978年),『歴史主義の貧困』(日経BPクラシックス, 2013年)
  • 開かれた社会とその敵(1) プラトンの呪文』 1945 (未來社, 1980年)
  • 開かれた社会とその敵(2) 予言の大潮――ヘーゲル, マルクスとその余波』 1945 (未來社, 1980年)
  • 『開かれた宇宙――非決定論の擁護』 1956/57 1982年出版 (岩波書店, 1999年)
  • 『実在論と科学の目的――W・W・バートリー三世編『科学的発見の論理へのポストスクリプト』より』 1956/57 1983年出版 (岩波書店, 2002年)
  • 『推測と反駁――科学的知識の発展』 1963 (法政大学出版局, 1980年)
  • 『果てしなき探求――知的自伝』 1974,76 (岩波書店, 1978年/同時代ライブラリー(上下), 1995年/岩波現代文庫(上下), 2005年)
  • 『客観的知識――進化論的アプロ-チ』 1976 (木鐸社, 1974年)
  • 『よりよき世界を求めて』 1984 (未來社, 1995年)
  • 『確定性の世界』 1990 (信山社出版, 1995年)
  • 『フレームワークの神話――科学と合理性の擁護』 1994 (未來社, 1998年)

共著[編集]

カール・ポパーの影響を受けた人物[編集]

脚注[編集]

  1. ^ Bryan Magee 1973: Popper (Modern Masters series)
  2. ^ Kuhn, Thomas (1970). The Structure of Scientific Revolutions. Chicago: University of Chicago Press. 
  3. ^ 'K R Popper (1970)', "Normal Science and its Dangers", pages 51-58 in I Lakatos & A Musgrave (eds.) (1970), at page 51.
  4. ^ 'K R Popper (1970)', in I Lakatos & A Musgrave (eds.) (1970), at page 56.
  5. ^ Popper, Karl, (1934) Logik der Forschung, Springer. Vienna. Amplified English edition, Popper (1959), ISBN 0-415-27844-9
  6. ^ See: "Apel, Karl-Otto," La philosophie de A a Z, by Elizabeth Clement, Chantal Demonque, Laurence Hansen-Love, and Pierre Kahn, Paris, 1994, Hatier, 19-20. See Also: Towards a Transformation of Philosophy (Marquette Studies in Philosophy, No 20), by Karl-Otto Apel, trans., Glyn Adey and David Fisby, Milwaukee, 1998, Marquette University Press.
  7. ^ a b c 伊勢田哲治カールポパーの生い立ちと哲学
  8. ^ 高島弘文「帰納の実践的問題:反 D.ミラー 論」『批判的合理主義・第1巻:基本的諸問題』、未來社、2001年8月30日。ISBN 4624011562
  9. ^ [1](日本ポパー哲学研究会HPより)
  10. ^ 蔭山泰之「第2章 正当化主義と帰納の問題」『批判的合理主義の思想』未來社、2000年10月30日。ISBN 978-4-624-93244-2
  11. ^ 『実在論と科学の目的』上下巻、岩波書店、2002年3月25日
  12. ^ Hacking, Ian (1979). “Imre Lakatos' Philosophy of Science”. British Journal for the Philosophy of Science 30 (30): 381–410. doi:10.1093/bjps/30.4.381. 
  13. ^ John Kadvany. Imre Lakatos and the Guises of Reason. Durham: Duke University Press, 2001. ISBN 0-58223-2659-0
  14. ^ "Professor Paul Krugman at war with Niall Ferguson over inflation"
  15. ^ When "Ludwig met Karl..."
    • See also (by the same authors as the online review listed above): David Edmonds and John Eidinow (2001) Wittgenstein's Poker: the story of a ten-minute argument between two great philosophers ISBN 0-06-621244-8 340pp. index, chronology of Wittgenstein's and Popper's lives.
  16. ^ Taylor, Charles, "Overcoming Epistemology", in Philosophical Arguments, Harvard University Press, 1995, ISBN 0-674-66477-9
  17. ^ Philosophia. Philosophical Quarterly of Israel, William W. Bartley: The Philosophy of Karl Popper, Part I: Biology and Evolutionary Epistemology, Philosophia Vol 6 (1976), pp. 463–494.
    (deposit account required)
  18. ^ See: "Popper is committing a serious historical error in attributing the organic theory of the state to Plato and accusing him of all the fallacies of post-Hegelian and Marxist historicism--the theory that history is controlled by the inexorable laws governing the behavior of superindividual social entities of which human beings and their free choices are merely subordinate manifestations." Plato's Modern Enemies and the Theory of Natural Law, by John Wild, Chicago, 1964, The University of Chicago Press, 23. See Also: "In spite of the high rating one must accord his initial intention of fairness, his hatred for the enemies of the 'open society,' his zeal to destroy whatever seems to him destructive of the welfare of mankind, has led him into the extensive use of what may be called terminological counterpropaganda ..." and "With a few exceptions in Popper's favor, however, it is noticeable that reviewers possessed of special competence in particular fields--and here Lindsay is again to be included--have objected to Popper's conclusions in those very fields ..." and "Social scientists and social philosophers have deplored his radical denial of historical causation, together with his espousal of Hayek's systematic distrust of larger programs of social reform; historical students of philosophy have protested his violent polemical handling of Plato, Aristotle, and particularly Hegel; ethicists have found contradictions in the ethical theory ('critical dualism') upon which his polemic is largely based." In Defense of Plato, by Ronald B. Levinson, New York, 1970, Russell and Russell, 20.
  19. ^ John Gray, Straw Dogs, p.22 Granta Books, London, 2002
  20. ^ John Gray, Straw Dogs, Granta Books, London, 2002
  21. ^ John Gray, Straw Dogs, p.22, Granta Books, London, 2002
  22. ^ Karl Popper, Replies to my Critics, Open Court, London, 1974
  23. ^ Karl Popper, Replies to my Critics, p1009 Open Court, London, 1974

関連項目[編集]

外部リンク[編集]