フランクフルト学派

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ホルクハイマー(左)とアドルノ(右)。背後にハーバーマス。
フランクフルトの社会研究所

フランクフルト学派(フランクフルトがくは、Frankfurter Schule)は、マルクス主義フロイト精神分析理論などを基に、批判理論による社会理論、哲学を研究したグループの名称。

沿革[編集]

社会研究所[編集]

1923年5月、フランクフルト大学フェリックス・ヴァイルFelix Weilが第1回マルクス主義研究集会を開いたのが端緒である。その後、マルクス主義の研究を継続する機関「社会研究所」(Institut für Sozialforschung)が設置され、カール・グリュンベルクCarl Grünbergが所長に就任した。

1927年、グリュンベルクは病気になり、マックス・ホルクハイマーが社会研究所の2代目所長に就任した。ホルクハイマーを中心にしたグループが後に「フランクフルト学派」と呼ばれることになった。

亡命、再興[編集]

ナチスが政権を獲得すると、メンバーの多くが亡命したため、活動拠点がアメリカ合衆国へと移った。第二次世界大戦後、ホルクハイマーとアドルノがフランクフルト大学に社会研究所を再興し、再び活動はドイツが中心となった。

1960年代、世界各地で大学紛争の渦が巻き起こった時代に、ニューレフトの運動の支柱となる理論を求めて、このグループに注目が集まった。しかし、大学紛争では当のアドルノも批判の対象となり、社会研究所は学生たちによって占拠された。アドルノは機動隊を導入して学生を排除し、裏切り者と罵倒された[1]

特徴[編集]

ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルカール・マルクスの視点(弁証法哲学)をもって、科学と哲学の統合による社会哲学(「批判理論」)によって、非合理的な社会からの人間の開放を目指す実践的な姿勢によって特徴づけられる。第一世代とされる人々は、マルクスの「経済学批判」に根拠を求め、資本主義社会が滅びた後に理性の実現を予見し、既存の制度を厳しく批判した[2]

フランクフルト学派は近代の啓蒙思想、合理主義に疑問を持ち、機械化が官僚主義やファシズムなど非人間的な体制をもたらす、と考える傾向が強い[3]

フランクフルト学派の主な思想家、研究者[編集]

第1世代

第2世代

第3世代

第4世代

脚注[編集]

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  1. ^ 横井邦彦「フランクフルト学派」(「プロメテウス」34号)
  2. ^ 山口 1984
  3. ^ 横井前掲論文。

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]