オッカムの剃刀

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オッカムの剃刀の概念図[1]。ある事実Pを同様に説明できるのであれば仮説の数(または措定される実体の数は)少ないほうが良い。

オッカムの剃刀(オッカムのかみそり、: Occam's razor; Ockham's razor)とは、「ある事柄を説明するためには、必要以上に多くの実体[2]を仮定するべきでない」(英語: Entities should not be multiplied beyond necessity.)という指針。思考節約(思考経済)の法則ケチの原理と呼ばれることもある。

もともとスコラ哲学にあり、14世紀哲学者神学者オッカムが多用したことで有名になった。

目次

[編集] 指針そのもの

[編集] オッカムによる表現

オッカムの著作[どこ?]にある言葉

必要が無いなら多くのものを定立してはならない。 (: "Pluralitas non est ponenda sine neccesitate.")
少数の論理でよい場合は多数の論理を定立してはならない。 (: "Frustra fit per plura quod potest fieri per pauciora.")

[編集] 具体的な適用例

例えば、物質の運動に関する次のような説明があったとする。

外から力がかからない物体は神が等速でまっすぐに動かす[3]

この場合、「神が」という部分が説明に不要である、として切り落としてしまうのがオッカムの剃刀である。そうすると次のような説明が得られる。

外から力がかからない物体は等速でまっすぐに動く(等速直線運動をする)[3]

このように「剃刀」という言葉は、説明に不要な存在を切り落とすことを比喩しており、そのためオッカムの剃刀は別名「思考節約の原理」(Principle of Parsimony)とも呼ばれるのである。

[編集] 問題点

[編集] 説明に不必要であることは、存在しないことを含意しない

オッカムの剃刀は、説明に不要な存在を否定することを可能とするものではない[4]。上述の例では、説明には不要な存在として「神」が切り落とされているが、これは「神が存在しない」ということを意味するものではない。あくまで神の存在、不在は別の議題となる。

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[編集] 真偽の判定則となるか?

オッカムの剃刀は、「既にある理論や仮説等に対して、新たな仮説等を追加すべきかどうかを選ぶひとつの立場」に過ぎないのであって、オッカムの剃刀によって追加することを選択しても、「その仮説が正しい」ということにはならない。同様に、オッカムの剃刀によって切り捨てられたからといって、「その仮説が間違っていた」ということにはならない。何故なら、オッカムの剃刀は真偽の判定則ではないからである。

それにもかかわらず、一部の人はオッカムの剃刀を「並立する幾つかの仮説の中から、ある一つの仮説を選択する」方法として拡大解釈し、真偽の判定に関してきっと有効なのだろう、すなわち「如何なる場合にも、より単純な仮説のほうがより優れている」という認識を有しているが、この認識には混同がまぎれこんでいる。すなわち、真偽がまだ判明していない状態における思考の指針と、真偽を判明させるための科学的証明とが、混同されがちなのである。

とはいえ歴史的に見て、真偽の判定則としての用法が妥当だった、と後に判明した事例もある。つまり、真偽の判定則としてオッカムの剃刀を使えばあらかじめ切り捨てることが出来たであろう仮説は、のちに無駄に複雑であるとして放棄された仮説であることが判明したという例がいくつかある。たとえば、地球中心説(天動説)における周転円は、初期の太陽中心説(地動説)よりも正しく惑星の軌道を予測できたが、理論があまりに複雑になり、より単純に予測を提示する地動説に取って代わられた。

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[編集] 何が説明に必要であるかは必ずしも明確ではない[4]

オッカムの剃刀を適用するにあたっては、慎重な検討が必要である。一見不要に見える仮説でも、実は見落とした事柄によって必要とされていることもあり、適用すべきでないことにまで適用してしまう危険性があるので、必要性は慎重に判断しなければならない。さもなくば過剰に適用して必要な仮説まで切り落としてしまう危険性がある。例えば、ウォルター・オブ・チャットン[5]は次のような言葉を考案した。

ある事柄が、3つの要素で説明できないのならば、4つ目の要素を加えよ

これはオッカムの剃刀が、その前提条件「必要が無いなら」においてのみ成り立ち、その前提条件から外れる場合、すなわち、「必要がある」場合には成り立たないことに注意せよという指摘である。同様の指摘はチャットン以外の人々によってもいくつかなされたが、オリジナルのオッカムの剃刀ほどには注目されることはなかった。

例えば、19世紀末から20世紀初頭ごろには、分子を仮定する「分子論」が化学反応や熱力学を見事に説明するようになっていたにもかかわらず、エルンスト・マッハおよびマッハの後継者たちは、「分子なるものはそれを直接検出した例もなく、原子や分子は思弁的なモデルに過ぎない」と分子論の必要性を否定した上でオッカムの剃刀を適用し、分子論の立場に立つルートヴィッヒ・ボルツマン [6]たちを執拗に攻撃し、ボルツマンが後に自殺する遠因を作った、とされている。

このようなマッハらに対し、アルベルト・アインシュタイン1905年ブラウン運動に関する論文を提出することで分子の実在を確定してみせ、「理論はできるだけ単純にせよ、だが限度というものはある」と警告している[7]

[編集] 類似の概念

同様の指針として、心理学の分野において「ある行動がより低次の心的能力によるものと解釈できる場合は、その行動をより高次の心的能力によるものと解釈するべきではない」というモーガンの公準が知られている。

理論の妥当性を判断する要件としては、簡潔さのほかに美しさもある。これらをまとめれば「単純で美しい理論こそ真実であろう」という発想だ。たとえば、ポール・ディラックはこう述べている。

研究者は自然の基本法則を数式に表現しようとするとき、数学的な美しさを追究するべきだ。単純さを求めると、美しさを求めるのと同じ結果になることが多い。ただ、どちらかを取るとすれば、美しさの方を優先するべきだ[8]

[編集] 科学への応用

[編集] 統計学

統計学機械学習の分野では、モデルの複雑さとデータへの適合度とのバランスを取るために、オッカムの剃刀的な発想を利用する。

ある測定データが与えられたとき、一般に、統計モデルを複雑にすればするほど、その測定データをうまく説明できる。 しかし、そのようなモデルは、不必要に複雑なモデルであり、計算することが困難であるばかりでなく、 過去のデータに過剰に適合してしまい、未来のデータを説明できなくなってしまう(過適合)。

以上のような問題を避けるために、統計モデルの良さの指標として、 測定データをうまく説明しつつなるべく単純なモデルが是となるような規準が提案されている。 代表的なものは、赤池情報量規準ベイズ情報量規準である。 同様に、機械学習の問題では、過適合を防ぐために正則化と呼ばれるテクニックが使われている。

[編集] 脚注

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  1. ^ 三浦俊彦『論理学が分かる事典』 ISBN 4534037104 pp.204-205 「5.14 説明はスリム化すべきである? オッカムの剃刀」
  2. ^ この「実体」は「前提」と解釈してもよい。
  3. ^ a b 伊勢田哲治『科学と疑似科学の哲学』p86 名古屋大学出版会 ISBN 4-8158-0453-2
  4. ^ a b William of Ockham (Stanford Encyclopedia of Philosophy) 4.1 Ockham's Razor 第二段落
  5. ^ オッカムと同時代の人物。
  6. ^ 気体運動論統計力学の開拓者。
  7. ^ http://research.kek.jp/people/morita/phys-faq/ockham.html
  8. ^ Paul Adrian Maurice Dirac, "The relation between mathematics and physics (James Scott Prize Lecture)," Proc. Roy. Soc. (Edinburgh), Vol. 59, pp. 122-129, 1939.

[編集] 参考文献

  • 清水哲郎 「元祖《オッカムの剃刀》-性能と使用法の分析」『哲学』11号、哲学書房、1990年、8-23頁、ISBN 4-88679-040-2
  • 西藤洋 「ジョージ・バークリーにみる『オッカムの剃刀』」『科学基礎論研究 Vol.26, No.2』 (1999)所収、pp.77-84 PDF -日本語のオープンアクセス文献

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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