因果律

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因果律(いんがりつ)とは、いかなる事象時間的に過去に起こった事を原因として起こる(あるいは、「非決定論的立場」に立つならば「純粋に偶然に起こる」場合も含む)のであって、少なくとも未来の事象を原因としてそれよりも過去の何らかの事象が起こる、という事はない。あるいは、当然の論理的帰結としてあり得ない、とする科学説、あるいは、立場である。

しかし、この事を直接に実験反証等の方法により証明または否定することは困難(あるいは不可能)である。

ただし、現在有力とされ、検証を重ねられている多くの(ほとんどの)物理法則・理論等が、(少なくとも見かけ上の)因果律の存在を大前提としなければ成立しないという間接的な事実や、因果律が成り立たないと仮定した場合に当然の帰結として導かれるはずの現象について矛盾なく説明することが困難である事から、科学的立場に立ちつつ、それと同時に因果律の存在を否定する立場に立つ事には相当の困難を伴う。

[編集] 科学・哲学的観点からの概論

因果律の考え方には、その前提として、過去現在未来という人間が自然に持つ時間の流れの観念があるが、「そもそも時間とは何か」という点についてすらも科学的に明白になっているとはいえない(時間の項を参照のこと)。 つまり、因果律の概念を、この「時間」の本質についての考察と切り離して考える事はできない。

問題提起を行った代表的な哲学者イギリスディヴィッド・ヒュームである。彼は普段人間がある物事と物事を結びつけて考える際、先に起こった事が後の事の原因になっていると観察する暗黙の経験則に導かれているに過ぎないのではないかと疑った。つまり蓋然性は必ずしも必然性を意味しないという事であり、連続して起こった偶然錯覚している可能性があるとする。

因果律の概念は、近世になると機械論的な世界観、そして「決定論」(この論理には自由意志の存在を否定する要素をはらむ)に関連して論じられるようになった。

そして、20世紀前半にはアルベルト・アインシュタインによって相対性理論が発表されたが、そこには時空連続体という概念が含まれており、因果律についても新たな観点が与えられる事となった。 確率論統計学量子力学も大きな発展をとげたが、これらの科学理論についての考察も因果律を考える上で重要な観点である。また、「ミクロの世界では一時的・局所的に因果律が破れる場合が存在するのではないか」という説も論じられる事がある。

また自然法則としての因果律に対する逆説的立場としては、「因果律は絶対的な自然法則ではないが、現在われわれがいるこの世界には、結果的に因果律を成立せしめるような何らかの要素が存在しているため見かけ上そのように見えるのだ」という論理を展開することも不可能では無い。 (例えば、「超越的な全能の存在」の意志を仮定する。 あるいは我々人間自身が因果律の成立する方向性・・・・つまり「原因」→「結果」という関係性において「時間」というものを認識しているのだとする等により)

なお、人間に代表されるような知的生命体が、過去の経験則に基いて予測した「未来に必然的に起こるであろう事象」により現在の行為を変更する、つまり「予測された未来が現在に影響を与える」事は、実際には「未来」は現在の事象に影響を与えておらず、少なくとも科学的な因果律の概念とは関係がない。(「未来予測」ではなく、語義のまま狭義に解釈した場合の「未来予知」の存在を前提とするのであれば別である) また、生物の遺伝法則が、「未来」における自己の遺伝情報存続の可能性を高めるべく現在の戦略を決定するというような事についても同様である。

また、タイムマシンの存在を否定する根拠として因果律が用いられる場合がある。タイム・パラドックスの存在がその根拠とされる。しかし、因果律自体が科学的客観的に証明された事実ではない以上、タイムマシンの存在を否定する根拠として用いるのは不適当である。 ただし、因果律について考察を行う場合には、仮にタイムマシンの存在を仮定してみることが必要不可欠である。

[編集] サイエンス・フィクションにおける因果律

因果律は、サイエンス・フィクション(SF)の分野ではしばしば扱われるテーマである。例えばタイムマシンについてその存在により因果律が破綻することによるパラドックス(タイムパラドックス)がエッセンスとして用いられたり、または、そのようなパラドックスの「発生を防ぐ」という事が物語の主要テーマとして用いられるような例がある。

[編集] 関連項目