タイムカプセル

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パナソニック毎日新聞大阪万博の年に設置したタイムカプセルのモニュメント。現物はこの地下

タイムカプセル: time capsule)とは、カプセル状の容器にその時代のものを入れて地中に埋め、ある年月後に開けるものである。

日本で知られるものとしては、1970年日本万国博覧会の年に、松下電器(現・パナソニック)と毎日新聞により企画、製作され大阪城公園に埋められたタイムカプセルがあるが(6970年開封予定)、学校においての卒業記念や、会社の創業○周年記念、建物竣工記念などでつくられることがある[1]

タイムカプセル登場前史[編集]

「タイムカプセル」という用語の登場は、後述のようにニューヨーク万国博覧会とされるが、貴重品を後世のために隠しておくというアイデアは、遠くメソポタミア文明にまで遡り、メソポタミアの都市遺跡の城壁の中に隠されていた小部屋の中から5,000年前の箱が発見されているなど[2]、神殿や城塞の建設時に記念物を埋めることが行われてきた。現存する人類最古の文学であるギルガメシュ叙事詩の冒頭は、ウルクの城壁の礎石の中にある銅の箱の見つけ方から始まる。この箱にラピスラズリ銘板に書かれたギルガメシュの物語が保管されており、ここから彼の物語が語られる。

また末法思想の影響を受けた日本では、経典を後世に残すために・石・金属などで作られた容器(経筒)に納め、さらにそれを石・陶製の外容器に入れて、除湿剤木炭)ともに埋納する経塚が多数作られた[3]。最古の経塚とされる金峰山経塚では、1007年寛弘4年)在銘の経筒が出土している。

現代につながるタイムカプセルの発想自体は、1876年フィラデルフィア万国博覧会で既に現れており、「センチュリー・セーフ(世紀の金庫)」と名付けられたタイムカプセルが100年後に開かれる予定で用意された[4]

1936年ジョージア州アトランタのオグレソープ大学(Oglethorpe University)は「文明の地下聖堂(Crypt of Civilization)」[1]と呼ばれる小さな地下室を学内ホールの地下に作り、様々な書籍を撮影したマイクロフィルムや映像テープ、音声テープなどを収納してステンレス鋼のドアで密封し、8113年に開けることにしている。これは「タイムカプセル」という言葉のできる前の物だが、現代の意味のタイムカプセルの最初のものとみなされている。

さまざまなタイムカプセル[編集]

現在のタイムカプセルという言葉の直接の起源は1937年になる。1939年ニューヨーク博覧会の準備中、文明が崩壊しているかもしれない5,000年後(=6939年)のための「時限爆弾(タイムボム)」を埋めることが提案された。このアイデアは採用され、より穏当な「タイムカプセル」という言葉が使われるようになった。

この「タイムカプセル」という語を考えたのは、同博覧会の広報担当であった広報専門家でSF作家のジョージ・エドワード・ペンドレー(George Edward Pendray)だったとされる[5][6]

1939年、ニューヨーク博覧会においてウェスティングハウス社の展示の一部として、魚雷型の長さ7フィート6インチ、直径8インチ、重さ800ポンド(363kg)、内径 6.5インチ(16.5cm)のタイムカプセルが製作された。7つの鋳鉄の円筒がアスファルトで結合されたもの。内側は耐熱ガラスが張ってあり、真空にされたうえで、窒素が充満された。

ウェスティングハウス社の作った99.4%、クロム0.5%、0.1%の合金である cupaloy と称する合金でできたカプセルは鉄より硬いと宣伝され、糸巻、人形、本、主な穀物のを入れた小瓶、顕微鏡RKO映画の15分間のニュース映像、シアーズ・ローバック社の通信販売カタログや約14000語をふくむ辞書や年鑑を撮影したマイクロフィルムなど日用雑貨や当時の記録が収められ、フラッシング・メドウズ公園の会場内の地下 50フィート(15m)に1938年9月23日 A.W.Robertson によって埋められた。

中に容れる物としては他に、万年筆、製図用鉛筆懐中時計電球煙草入れ、パイプ、巻き煙草、化粧品、婦人帽、眼鏡歯ブラシ歯磨剤、小型写真機剃刀缶切り、数種類の貨幣、重要金属と合金、毛、木綿リンネルレーヨングラスファイバー、ゴムファイバー、アスベストクロース等の繊維類、ポートランドセメント天然ゴム人造ゴム、人造樹脂、5000年後に欠乏しているであろう石炭、普通の書籍約70冊分23000ページの書籍の極小フィルム、聖書1冊、このカプセルがいかにして成り立ったかその発見方法・英語発音に関する注意・将来人に渡さるべきメッセージを含む『The Book of record of the Time Capusule of capaloy』という書籍1冊、計2冊の実物大の書物がある。

1965年、同じ場所で開催された1965年ニューヨーク博覧会では、2個目のカプセルが 10フィート隣の同じ深さに埋められた。二つのカプセルは同じ6939年に開封される予定になっている。

以後、地中に埋められたタイムカプセルは枚挙に暇がないが、宇宙に放たれた(広い意味での)「タイムカプセル」もある。パイオニア10号11号に取り付けられた金属板、およびボイジャー計画にともなう金のレコードは遠い未来に地球外知的生命体に発見させ、内容が解読されることを期待して設置された。また、2015年に打ち上げられるKEO衛星は、未来人に宛てた人々のメッセージが集められたDVDおよびDVDプレーヤーの組み立て方説明書を収容したもので、フランスの芸術家・科学者であるジャン=マルク・フィリップが発案し、ユネスコハチソン・ワンポア欧州宇宙機関により後援されており、50,000年後に地球に戻る予定である。

現代では、企業が自社ビルを建築する際に、礎石として箱型の「定礎箱」を埋め込み、建物の図面・定礎式当日の新聞・出資者名簿・従業員名簿などの記念品を収めることもある[7]

タイムカプセルにまつわる問題点・批判[編集]

タイムカプセルには未来の人類に対するメッセージとしての夢もある一方、批判も少なからず存在している。

歴史学者ウィリアム・ジャーヴィス(William Jarvis)は「こうして意図的に作られたタイムカプセルは役立つ歴史的資料を残さない」と述べている。これに対し、突然の火山噴火によって埋もれたポンペイ遺跡のような「意図せざるタイムカプセル[2]は、暮らしぶりを描いた壁画や家々の壁に書かれた選挙の候補者を宣伝する落書き、家財道具、いろりに放置された食べ物、灰に埋まった人の跡にできた空洞など、古代ローマの日常生活について知る手がかりが豊富に残されている。歴史家の中には、作った人の日常生活が分かるもの、たとえば日記帳、スナップ写真、書類などを入れればタイムカプセルの歴史的価値が上がるだろうと示唆している者もいる[2]

内容物の保存状態[編集]

内容物の保存状態にまつわる問題は少なくない。しかし、これらの多くは開封時まで気付かれないことも多い。

タイムカプセルを未来の所定の期日まで開封することなく確実に破損の無いそのままの状態で保管しようと本格的に保存処理をするならば、実際には温度や湿度を管理・検査するための様々な設備や、これら設備を稼働させる電力が必要である。埋設後も相応の維持費用や専門的な技術者による定期的なメンテナンスが必要になり、それを誰が負担しまた開封まで負担し続けることを確実に保証できるのかという問題も生じてくる。実際、封緘して埋設後は数十年間放置されただけで、管理と一口に言っても実際には公園や庭園などの片隅で簡素な目印程度のものが置かれただけという経緯を辿ったタイムカプセルでは、少なからぬケースで開封後の確認時に地下水や地面に浸透した雨水の侵入、タイムカプセル設計時の熱容量への配慮不足による排熱の失敗などが要因となった、内容品の破損・汚損が発覚している。

例えば米国・オクラホマ州で将来的なオクラホマ州合衆国加入100周年記念行事の一環として、加入50年目の1957年に設置された「核攻撃にも耐える」堅牢な地下室構造のタイムカプセルが建設され、当時の人気自動車プリムス・ベルヴェデアの他、これの燃料として50年後の石油資源の枯渇やガソリン車の衰退の可能性も考慮しガソリンの缶詰も内部に納められ、華々しいセレモニーが行われる中、埋設された。
これは50年後の2007年、同州の合衆国加入100周年記念式典にあわせて開封されるものとされ、当時募集された「2007年のオクラホマ州人口を当てるクイズ」の最近似値の回答者本人ないし子孫などの血縁者に開封時に贈られるという企画になっていた。
ところが、いざ実際に2007年に地下室から取り出された自動車は、その原型こそ保たれていたが、往時の見る影もなく鉄屑も同然に赤錆びており、動作するとは到底考えられない朽ち果てた状態に劣化しており、もはやスクラップにでもするしか使い道の無い有様であった。これは地下室について人間などが入れない様に封印はされていたが気密性が低く、長い年月の間に徐々に地下水が地下室に染み込んでゆき、これが原因で腐食してしまったものであった[8]

開封後に、紙や各種金属製品にまつわる酸化による劣化に伴う状態不良が判明することも多く、究極的には地球上にごくありふれた酸素でさえ、長期保存を行うタイムカプセルの内容物にとっては重大な脅威である。

機械類にまつわる問題[編集]

マイクロフィルム、磁気テープDVDブルーレイなど記録する媒体自体が時間と共に劣化し再生できなくなることと、これらの媒体内にあるデータを読み取る機器や規格が廃れる可能性[9]などの問題、記録した言語が滅びてしまう問題、数千年先の未来まで一度も開けないと途中の世代がその中身の読み方を忘れてしまい、価値も分からなくなり結局無価値になるという問題・批判も指摘されている。

管理[編集]

タイムカプセルの管理にまつわる問題もある。上述した様に、本格的に管理をするとなにかにつけて費用が発生するし、実質的に放置状態の場合にはいざ掘り返して開封という段になって問題が発覚することも少なくない。

十数年程度での開封を予定しているものですら、適切な管理がされていなかった場合、埋設地の目印の腐朽や紛失、周辺の建築物や構造物の改築などにより埋めた場所が特定できなくなるケースは少なくない。当時は植込みなどの一角に埋設されたカプセルの存在が忘れられて、後年にその場所が駐車場道路として舗装されてしまったり、直上に建物などの構造物が建てられてしまったケースもある。特に、教育機関や公共施設では、人事移動や退職の際にタイムカプセルの件について引き継ぎがされず、やがて埋設の当時を知る職員がいなくなり、目印が撤去されたり施設が改築されるなどした結果、埋めた場所が判然としなくなり、いざ開封という段になってから金属探知機や埋設物調査の会社を投入して探索が行われるということや、当時の曖昧な記憶だけを頼りにあちこちを掘り返して無駄な労力や費用を使うというケースも少なくない。

少子化に伴う学校統廃合などにより施設が廃止され、その跡地が企業に売却されたり住宅用地として分譲されるケースもあり、この場合、タイムカプセルの扱いが問題となる、あるいはその時点では存在が忘れ去られており後年になってから騒動となるケースもある。

過疎地域である場合、埋めたものの廃校や高齢化、さらなる過疎化の進行などの影響で地域のコミュニティ自体が事実上崩壊し、施設の管理者のみならず埋めた当事者自体もいなくなってしまうという形で、そのまま忘れ去られてしまう可能性もある。

盗掘リスク[編集]

イベントなどで埋設されるタイムカプセルの多くは耐久性とセレモニーで用いられるデザイン性の両立が考慮され、埋設管も含めて変質しにくい材料で堅牢な構造で、なおかつ上述の様に内容物の破損を防ぐため気密が長期間維持される様にしなければならない。カプセル本体についてはちょっとした大きさがあるものだとの材料としてだけでも数十キログラムからそれ以上の重量となり、素材としてアルミ・ステンレスなどの金属が用いられることも多い。また、熱容量などの関係からも安易に軽量化はできず見た目のサイズの割には重い物になりがちで、大型イベントにまつわるものでは数トン規模の重量になることもある。カプセル本体を保護する埋設管がある場合も同様の金属類が使われることが多い。

このため、金属価格が著しく高騰すれば、タイムカプセルの中身ではなく、タイムカプセルや埋設管の素材として用いられている金属類をスクラップにしての転売を狙った盗掘などのリスクも、管理者は考えなければならなくなる。

脚注[編集]

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  1. ^ 上記タイムカプセルは2つあり、一つは2000年に点検のため開封された。内容の確認後再度埋められ、100年ごと(世紀末の年)に開封される予定となっている(次回は2100年の開封を予定している)。
  2. ^ a b c William Jarvis (2002)
  3. ^ 経塚 - コトバンク
  4. ^ 万博とテクノロジー 久島伸昭、日本計算工学会誌「計算工学」7号、2002年
  5. ^ Princeton University Library - G. Edward Pendray Papers, 1829-1981 (bulk 1923-1971)”. 2008年6月28日閲覧。
  6. ^ New York Times, August 19, 1938, page 21
  7. ^ 定礎箱の中身と定礎式
  8. ^ Auto 'time capsule' unearthed after 50 years(動画ニュースあり)
  9. ^ 現実に光磁気ディスクが、1988年に登場したものの、ドライブの方が2000年代で生産を打ち切られた

参考文献[編集]

関連項目[編集]

  • カプセル
  • 地層処分 - 開封されることを前提にしてはいないものの、未来人への情報伝達において同様の問題が存在する。
  • 定礎

外部リンク[編集]