ラプラスの悪魔

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ラプラスの悪魔(ラプラスのあくま、Laplace's demon)とは、主に近世・近代の物理学の分野で未来の決定性を論じる時に仮想された超越的存在の概念であり、フランス数学者ピエール=シモン・ラプラスによって提唱されたもののこと。ラプラスの魔物あるいはラプラスの魔とも呼ばれる。

概要[編集]

ニュートン力学古典物理学)が席巻した近世科学・近代科学において見えていた世界観演繹的な究極概念、「因果律」なる概念の終着点といってよい。量子論登場以後は、既に古いもの、ともされるようになった世界観パラダイム

主張の内容[編集]

ラプラスは自著において以下のような主張をした。

もしもある瞬間における全ての物質の力学的状態と力を知ることができ、かつもしもそれらのデータを解析できるだけの能力の知性が存在するとすれば、この知性にとっては、不確実なことは何もなくなり、その目には未来も(過去同様に)全て見えているであろう。

『確率の解析的理論』1812年

つまり、世界に存在する全ての原子位置運動量を知ることができるような知性が存在すると仮定すれば(ひとつの仮定)、その存在は、古典物理学を用いれば、これらの原子の時間発展を計算することができるだろうから(別の仮定)、その先の世界がどのようになるかを完全に知ることができるだろう、と考えた。この架空の超越的な存在の概念を、ラプラス自身はただ「知性」と呼んでいたのだが、後にそれをエミール・デュ・ボワ=レーモンが「ラプラスの霊(Laplacescher Geist)」と呼び、その後広く伝わっていく内に「ラプラスの悪魔(Laplacescher Dämon)」という名前が定着することとなった[1]

この概念・イメージは、未来は現在の状態によって既に決まっているだろうと想定する「決定論」の概念を論じる時に、ある種のセンセーショナルなイメージとして頻繁に引き合いに出された。

背景[編集]

「全てを知っており、未来も予見している知性」については、遙か昔から人類は意識しており、通常それは「」と呼ばれている。「全知の神」と形容されることもある。そのような存在についての様々な考察は、様々な文化において考察された歴史があるが、ヨーロッパの学問の伝統においては特に、キリスト教神学スコラ学が行っていた。デュ・ボワ=レーモンはそのような学問の伝統を意識しつつ、あえて「神」という語を、「霊」という言葉に置き換えて表現している。

その後の評価[編集]

20世紀前半から始まった量子力学では、原子の位置と運動量の両方を正確に知ることは原理的に不可能(不確定性原理)であり、原子の運動は確率的にしか把握できない。全てを知ることは出来ないのならラプラスの悪魔でさえも未来を完全に計算することはできないということになる。一方、エヴェレット解釈の立場を取れば、観測者も確率とは無縁であり、決定論的であるとする人もいる。その意味では、ラプラスの悪魔は古典的な意味とはまた別の意味で生き続けているとも考えられる。

また、コンピュータが実現し、情報科学が進歩した現在では、より具体的な分析をし、情報処理の速度というものを考慮すれば、たとえラプラスの悪魔が全原子の状態を把握していたとしても、その1秒後の状態を予測するのに1秒以上かかったのでは未来を知った事にはならず、間違いなく現実の速度より計算速度は劣るので、ラプラスの悪魔のような知性は、科学的・現実的に見れば絶対に実現不可能、と断定されることもある。ただ、その場合はラプラスの悪魔が把握していなかった過去を時間をかければ把握できるようになるということであるから、いずれにせよ決定論的考えは残っている。

脚注[編集]

  1. ^ 河田 博[著] (2003年) 「"Ignoramus, Ignorabimus" : われわれは知らないし、知らないであろう」 福岡大学医学紀要 30(4), p294, (オンライン・ペーパー

関連項目[編集]