原理

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索

原理(げんり、: principium: principle: Prinzip: Principe)は、哲学数学において、学問議論を展開する時に予め置かれるべき言明。 そこから他のものが導き出され規定される始原。他を必要とせず、なおかつ他が必要とする第一のものである。

概説[編集]

もともギリシャ語のΑρχη アルケーという語・概念があり、キケロがそれをラテン語に翻訳する時に「principium プリンキピウム」という語をあてたという[1]。このprincipiumなど[2]の日本語訳として「原理」があてられている。

古代ギリシャ語のアルケーは物事の根源を指した。例えばタレースはアルケーをとし、ヘラクレイトスだとし、エンペドクレースは土・水・火・空気の四大からなるリゾーマタとし、アナクシマンドロスはト・アペイロンだとした、とアリストテレスは記した。

エウクレイデスは数学を公理論的に示すにあたり、まず冒頭に前提として置かれる諸原理(定義、要請(=公準)、共通概念(=公理))を配置しておいて、それに続いて様々な議論を展開した[1]。数学においてはそうした諸原理は、自明の真理とみなされるものもあったが、ただの出発点で仮説的なものとされるものもあった[1]

原理について、アリストテレスはつきつめた探求を行い、存在論的原理と認識論的原理を認め、存在論的原理として、認識論的原理として、論理学のいくつかのもの(同一律矛盾律排中律など)を採用した[1]

各学問における原理[編集]

数学における原理[編集]

エウクレイデースの様な数学者らは数学を公理論的に整序して提示する際に冒頭へ呈示すべきものとして定義公準(要請)、公理(共通概念)などの諸原理を置いて議論展開した。

数学における原理は、自明なる真理または単なる仮説的出発点と看做された。

哲学における原理[編集]

原理の哲学的研究を推し進めたのはアリストテレースで、例えば存在論的原理としてをみとめた。また彼は認識論的原理として論理学上のいくつかの原理(同一律矛盾律排中律など)を定立した。他に、諸学を始めるにあたってそれぞれの学問に相応しい原理を立てた。中世スコラ学は概ねアリストテレースの思考法を踏襲しているといえる。

アリストテレースの思考法へ批判の目が向けられたのはルネ・デカルトの著書『方法序説』(1637年)の中でである。デカルトは、思考するわれの存在を第一原理として立てれば不可疑の議論が展開されるとした。

ゴットフリート・ライプニッツはデカルトの洞見を認めつつ「我思う、ゆえに我あり(cogito, ergo sum)」を相対化し、連続の原理不可識別者同一の原理などの論理学・数学・形而上学などの諸原理を探求していった。

哲学における原理を批判したのが弁証法を強調するプラトーンヘーゲルマルクスなどの思想家や、現象学的哲学の一般的態度である。

自然科学における原理[編集]

古くはアルキメデスがアルキメデスの原理を見出した。17世紀にブレーズ・パスカルが「密閉容器中の流体は、その容器の形に関係なく、ある一点に受けた単位面積当りの圧力をそのままの強さで、流体の他のすべての部分に伝える」と指摘し、これは現在パスカルの原理と呼ばれている。17世紀、ケンブリッジ大学にはプラトン主義[3]を信奉する学者が多数いたが、そのひとりであるアイザック・バローの弟子となったアイザック・ニュートンは『自然哲学の数学的諸原理』を著わした。これは結果として古典力学体系の骨格となった。20世紀初頭にはアインシュタインが「いかなる座標系においても物理法則は不変である」とする相対性原理を提唱した。同世紀なかばには不確定性原理が理解されるようになった。

自然科学で「原理」と言うと、ある理論体系の出発点であってそこから全ての現象が矛盾なく説明できるという哲学的な意味の原理だけでなく、より基本的な法則から導かれる副次的なものもある[4]。化学の歴史をたどると、決して根本的な事象から先に発見されていったわけではないため、最初は根本原理だと考えられていたものが、後になって、そうでなかったと考えられるようになったものは多いのである。

「原理」の他、「法則」「」など、慣習によって呼ばれ方は異なる[5]

「原理」は自然科学においても用いられることがある用語だが、かなりの拡大解釈を受け、「機械の動作原理」などと言うような用法でもしばしば用いられている。

分類[編集]

上述のごとく、アリストテレスは存在原理はとした。近年では、唯心論における、18~19世紀に流行した唯物論における物質[6]、なども存在原理[7]に分類されることがある。

認識原理(観念原理[要出典])のほうは、思惟や認識の出発点のことである。この認識原理は更に形式的原理[要出典](一定量の認識の秩序及び内的結合の形式にのみ関する)と実質的原理[要出典](認識の内容がそれに依存する)に区別される[要出典]。前者は論理学の一般的規則の様なものであり、後者は認識の対象と同様に多様である[要出典]


理論性原理と実践性原理

更に別の観点からの原理の分類が存在する。それが、単に認識のみに関する理論的原理と、行為の規範を表す実践的原理である[要出典]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d 岩波 哲学思想事典 p.474
  2. ^ ラテン語principiumおよびそれに対応する現代西欧諸語。英語 principleなど
  3. ^ 注: プラトン主義というのは、世界というのはまず根本に的な世界があり、それこそが実在であって、我々の見ているこの世界(物質的な世界)はそれの不完全な写しである、と考える哲学あるいはなかば宗教的な信念のこと。
  4. ^ ルシャトリエの原理など
  5. ^ 熱力学の第一法則第二法則第三法則など
  6. ^ 物質」は、18世紀~19世紀ころには「実在」と考える信奉者の数がやたらと増えたが、20世紀には、対物質によって消滅してしまうことがある、と知られるようになり、消滅してしまうことがあるようなものは根本原理には据えられないと考えられるようになり、位置づけが低下した。オストヴァルトなどは宇宙の根本は物質などといういい加減なものではなくエネルギーだと主張した。
  7. ^ (「実在原理[要出典]」)

参考文献[編集]

  • 広松 渉 『岩波哲学・思想辞典』 岩波書店、1998年ISBN 978-4000800891
  • 『平凡社哲学辞典』 平凡社。ISBN 4-582-10001-5
  • 『化学大事典』 大木 道則、田中 元治、大沢 利昭、千原 秀昭、東京化学同人、1989年ISBN 978-4807903238