ジョン・ロールズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
ジョン・ロールズ
John Rawls
フルネーム ジョン・ロールズ
John Rawls
生誕 1921年2月21日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国ボルチモア
死没 2002年11月24日(満81歳没)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国レキシントン (マサチューセッツ州)
時代 20世紀の哲学
21世紀の哲学
地域 西洋哲学
学派 分析哲学
研究分野 倫理学正義
政治哲学社会契約
社会哲学
テンプレートを表示

ジョン・ロールズ(John Rawls, 1921年2月21日 - 2002年11月24日)は、アメリカ合衆国哲学者。主に倫理学政治哲学の分野で功績を残し、共同体主義に大きな影響を与えた。

1971年に刊行した『正義論』(A Theory Of Justice)は大きな反響を呼ぶ。当初は、アイザイア・バーリンらが「政治理論はまだ存在するのか?」(1962年)と吐露するほどに停滞しきっていた当時の政治哲学業界を再興させるのに大きく貢献した。そのため、英語圏における正義論以降の政治哲学(規範政治理論、normative political theory)業界は「ロールズ・インダストリー」(Rawlsian industry)などとしばし呼ばれる[要出典]正義論経済学にも大きな影響を与えており、厚生経済学においてロールズ基準と冠した概念を生み出した。

目次

生涯[編集]

1921年、メリーランド州ボルチモアに生まれた。ボルチモアの学校にしばらく通った後、コネチカット州にあるプレップスクールに転校。1939年に卒業し、プリンストン大学に入学。この頃より哲学に関心を持つようになる。1943年に学士号を取得して半期繰り上げ卒業後、アメリカ陸軍に兵士として入隊。第二次世界大戦中は歩兵としてニュ-ギニア、フィリピンを転戦、降伏後の日本を占領軍の一員として訪れて、広島の原爆投下の惨状を目の当たりにする。この経験からすっかり軍隊嫌いとなり、士官への昇任を辞退し、1946年に兵士として陸軍を除隊する。

その後間もなく母校プリンストン大学の哲学部博士課程に進学(道徳哲学専攻)。1949年にブラウン大学卒業生の六つ年下のマーガレット・フォックスと結婚する。ロールズとマーガレットは本の索引作成という共通の趣味を持っており、一緒に最初の休日はニーチェに関する書籍の索引を作成して過ごした。ロールズはこの時、自身の後の著作である『正義論』の索引も作成している。

1950年に「倫理の知の諸根拠に関する研究」で博士号を取得し、1952年までプリンストン大学で教鞭をとる。1952年から53年、フルブライト・フェローシップによりオックスフォード大学へ留学。当時オックスフォードにいたアイザイア・バーリンの影響を受ける。フェローシップ終了後にアメリカへ帰国、1953年、コーネル大学で助教授を務める。1960~62年、マサチューセッツ工科大学でテニュアー付きの教授職を得る。1962年よりハーバード大学に教授として移り、1991年、名誉教授。1995年に最初の発作を起こして歩行障害をわずらうも、最後の著作となるThe Law of Peoples(『諸民衆の法』)を完成させて、2002年に他界した。

『正義論』[編集]

『正義論』(A Theory of Justice、1971年刊)は、人間が守るべき「正義」の根拠を探り、その正当性を論じたロールズの主著の一つ。この著で彼が展開した「正義」概念は、倫理学政治哲学といった学問領域を越えて同時代の人々にきわめて広く大きな影響を与えることになった。それまで功利主義以外に有力な理論的基盤を持ち得なかった規範倫理学の範型となる理論を提示し、この書を基点にしてその後の政治哲学の論争が展開したという点で、20世紀の倫理学政治哲学を代表する著作の一つということができよう。

本書は3部構成である。

  • 第1部では、正義を論じる理由を明示した上で、非個人的な観点から望ましく実行可能な正義の原理を探究し、最終的に彼の考える「正義の二原理」を提出する。
  • 第2部では、彼の正義論を現実の社会的諸制度・諸問題へ適用し、その実行可能性を明らかにしていく。
  • 第3部では、彼の正義概念は人間的な思考感情と調和しており、「正しさ」と「善さ」とは矛盾するものでないことを説明することを通じて、理論的に導出された正義論が現実の人間的基盤を有している様相を明らかにしていく。

ここでは第1部の彼の論述の要旨を示す。

この書でロールズは、それまで倫理学を主に支配してきた功利主義に代わる理論として、民主主義を支える倫理的価値判断の源泉としての正義を中心に据えた理論を展開することを目指している。彼は正義を「相互利益を求める共同の冒険的企て」である社会の「諸制度がまずもって発揮すべき効能」だと定義した。そして社会活動によって生じる利益は分配される必要があるが、その際もっとも妥当で適切な分配の仕方を導く社会的取り決めが社会正義の諸原理になるとした。

ここで彼は社会契約説を範にとってこの正義の原理を導出していく。まず正義の根拠を、自由かつ合理的な人々が、彼が「原初状態」と名付けた状態におかれる際に合意するであろう諸原理に求めた。この原初状態とは、集団の中の構成員が彼の言う「無知のヴェール」に覆われた-すなわち自分と他者の能力や立場に関する知識は全く持っていない-状態である。このような状態で人は、他者に対する嫉妬や優越感を持つことなく合理的に選択するであろうと推測され、また誰しも同じ判断を下すことが期待される。そして人は、最悪の状態に陥ることを最大限回避しようとするはずであり、その結果次の二つの正義に関する原理が導き出されるとした。

第一原理
各人は基本的自由に対する平等の権利をもつべきである。その基本的自由は、他の人々の同様な自由と両立しうる限りにおいて、最大限広範囲にわたる自由でなければならない。
第二原理
社会的・経済的不平等は次の二条件を満たすものでなければならない。
  1. それらの不平等がもっとも不遇な立場にある人の利益を最大にすること。(格差原理)
  2. 公正な機会の均等という条件のもとで、すべての人に開かれている職務や地位に付随するものでしかないこと。(機会均等原理)

第一原理は自由に関する原理である。彼は他者の自由を侵害しない限りにおいて自由は許容されるべきだと説き、基本的自由の権利 - 良心の自由信教の自由言論の自由集会の自由などを含む - はあらゆる人に平等に分配されねばならないとした。ただここにおける自由とはいわゆる消極的自由を指示している。第二原理の1.は、格差原理とも呼ばれるものである。彼は社会的格差の存在そのものは是認しつつも、そこに一定の制度的枠組みを設けることが必要と考えこの原理を設定した。自由以外の社会的な基本財をどのように分配するかを示すための原理である。2.は機会均等原理と呼ばれる。同じ条件下で生じた不平等は許容されるというものである。

この正義の二原理は、「原初状態」や「無知のヴェール」といった概念を用いた思考実験から導出されているため現実から乖離したものになっている危険性がある。しかし、この原理が普通の人間の正義感覚と比較検討してもなお正当性を失わないことという「反照的均衡」という彼の方法論が妥当であること根拠として、この正義の二原理に実際的妥当性を付与している。

原爆投下について[編集]

ロールズは、1995年雑誌Dissentに掲載した論文「Reflections on Hiroshima: 50 Years a fter Hiroshima(原爆投下はなぜ不正なのか?: ヒロシマから50年)[1]」において、戦争における法(武力紛争法)に関する六つの原理を提示する。

1 民主社会が当事者となる正しい戦争の目標は、諸民衆の間(とりわけ敵との間 ) に成立すべき正しくかつ永続的な平和である
2 民主社会の戦争相手国は、民主的ではない国家である。このことは、民主的な民衆は相互に戦争を起こさないという事実から帰結する。
3 戦争を遂行する上で、民主社会は三つの集団 (1)相手国の指導者と要職者、(2) 兵士たち (3) 非戦闘員である住民 、を注意深く区別しなければならない。
4 民主社会は、相手国の非戦闘員、兵士の人権を尊重しなければならない。二つの理由がある。1)万民法に基づいて、民間人・兵士ともに人権を有しているから。2)戦時においても人権が効力を有するという実例を自ら率先することで敵国に人権を教えるべきだから。
5 軍事行動と(交戦国や国際社会に対する)声明において正義を自負できる民衆は、自分たちが目標とする平和がどのようなものであるか、自分たちが求める国際関係はどのようなものなのかについて、戦争中においてあらかじめ示すべきである。
6 戦争目的を達成するための軍事行動や政策が適切かどうかを判定するための思考様式は、つねに上述の五原理の枠内で構成され、これらの原理によって厳格に限定される。

ロールズはこのような原理を提示したうえで、原爆投下をその不要性から、「すさまじい道徳的悪行」という。トルーマンの「日本人を野獣として扱う以外にない」という発言において、ナチスや東條に率いられた日本軍部のみならず、一般市民までを含めていたことに対して、批判した。

またロールズは避けるべき二種類のニヒリズム的論法があるという。

1 地獄のような戦争を一刻でも早く終わらせるためならどんな手段でも選んでもよいとする論法。
2(戦争に突入した以上)私たちは皆有罪という同等の立場にあるのだから誰も他人(他国民)を非難できないとする主張。

ロールズは「正義を重んずるまともな文明社会(その制度・法律、市民生活、背景となる文化や習俗)はすべて、どんな状況においても道徳的・政治的に有意味な区別を行っており、その区別に絶対的に依存している、という事実」からして、このような論法が無内容であることが導かれるとした。

万民の法[編集]

ロールズは、The Law of Peoples, Harvard UP, 1999(『万民の法』岩波書店,2006)において、国内法の枠を越えた普遍妥当性を有する「万民の法」について論じている。

まず民衆(people)を次の5つに分類する。

1道理をわきまえたリベラルな諸国の民衆(reasonable liberal peoples)
2良識ある諸国の民衆(decent peoples)
3無法国家(outlaw state)
4不利な条件の重荷に苦しむ社会
5仁愛的絶対主義(benevolent absolutism)の社会

このうち1と2は「秩序だった諸国の民衆」とされ,「万民法」はこの2つの国の民衆に妥当するとされる。

さらに、民主主義平和論(democratic peace)を論じるなかで「立憲民主制社会同士が互いに戦争を始めるようなことはない」とする。その理由は、「そうした社会の市民がとりわけ正義を尊重するよき人々だからというわけではなく,ただ単に,彼らにはお互いに戦争をする理由がない」からである。近代初期ヨーロッパの国民国家群における王朝間戦争とは異なり、民主的社会は、自衛や、人権を守るために不正な社会へ介入することなどの危機的ケースを除けば,自ら進んで戦争を開始することはないとされる[2]

またロールズは民主的社会が戦争をするとすれば、それは無法国家との戦争である[3]とし、「リベラルな民衆は戦争を行うが,それは,自分たちのリベラルな文化の自由と独立を守り,自分たちを従属させ,支配しようとする国家に真っ向から対抗しなければならないからである。[4]」として、「民主的な社会による戦争」を正当化する。

ほか、民主的社会を従属させようとする無法国家に対しては、非寛容的であるべきだとする[5][6]。「好戦的で,危険な無法国家」への対策としては、核兵器所有およびその抑止力論を展開した[7]。 ほかにも第二次世界大戦中にイギリスによるドイツ空爆をその現実的必要性から擁護した[8]。なお日本への原爆投下については、その不要性から米国政府を批判した[9]


著書[編集]

  • A Theory of Justice (Harvard University Press, 1971, revised ed., 1999).
  • The Liberal Theory of Justice: A Critical Examination of the Principal Doctrines in a Theory of Justice (Clarendon Press, 1973).
  • Political Liberalism (Columbia University Press, 1993).
  • The Law of Peoples: with "the Idea of Public Reason Revisited" (Harvard University Press, 1999).
  • Collected Papers, edited by Samuel Freeman (Harvard University Press, 1999).
  • Lectures on the History of Moral Philosophy, edited by Barbara Herman (Harvard University Press, 2000).
  • Justice as Fairness: A Restatement, edited by Erin Kelly (Harvard University Press, 2001).
  • Lectures on the history of political philosophy, edited by Samuel Freeman, Belknap Press of Harvard University Press, 2007.

脚注[編集]

  1. ^ 邦訳は 川本隆史訳『世界』岩波書店619号 (1996年2月号) pp.103-114.川本隆史『ロールズ』講談社、1997年
  2. ^ 同書p.9-10。「近代初期ヨーロッパの国民国家群における王朝間戦争は、「君主や王族たちの戦争」であり、「生来,他の国家に対して侵略的で敵対的な形に築かれていた」。しかしそれとは異なり、民主的社会は、自衛や、人権を守るために不正な社会へ介入することなどの危機的ケースを除けば,自ら進んで戦争を開始することはない。こうして「立憲民主制社会はお互いに安全が保障されており,それらのあいだでは,平和があまねく行き渡る」とされる
  3. ^ p.66「リベラルな諸国の民衆が戦争をするとすれば,それは,満足していない社会,つまり無法国家との戦争以外にはあり得ない」
  4. ^ p.66-67
  5. ^ 「(リベラルな諸国の)民衆は,断じて,無法国家を寛容に受け入れることはない。無法国家に対する寛容を拒絶することは,リベラリズム,ならびに,良識あるということの当然の帰結である。」
  6. ^ 「無法国家は好戦的で,危険な存在である。このような国家群がそうしたやり方を改めれば――ないしは,無理矢理にでも改めさせられれば――あらゆる国の民衆はますます安全に,かつ安心して暮らせるようになるだろう。」p.117
  7. ^ 「無法国家が存在する限り,無法国家を寄せつけず,無法国家が核兵器を手に入れて,リベラルな民衆の諸国や良識ある民衆の諸国を相手にすることがないよう,ある程度の核兵器は保持する必要がある。」(p.12)
  8. ^ イギリス軍が「民間人の厳格な地位を一時停止」とし、ハンブルクやベルリンに爆撃したことに関しては「適切」として、「それは,こうした爆撃により何かとても大きな成果が得られる場合に限っての話である。イギリスが孤立した状態にあり,ドイツの圧倒的な力をうち負かすためにそれ以外の手立てが見当たらなかったような段階なら,ドイツ諸都市への爆撃も,おそらくは正当化可能であった」p.144
  9. ^ 上記セクション「原爆投下について」

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

執筆の途中です この「ジョン・ロールズ」は、哲学に関連した書きかけ項目です。この記事を加筆・訂正して下さる協力者を求めていますPortal:哲学)。