信教の自由

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信教の自由(しんきょうのじゆう)とは、宗教に関する人権の一つ。三十年戦争に端を発した17世紀以降のヨーロッパにおける国際紛争市民革命の多くが宗教的自由の獲得・擁護を背景とする性格をも持っていたため、人権の中でも最も重要かつ古典的なものの一つであると考えられることが多い。

今日では世界各国の憲法や「世界人権宣言」や「国際人権規約」の中でも保障されている自由の一つである。

概要[編集]

具体的には以下の内容で構成される。

内心における信仰の自由
個人が自由に好むところの宗教を信仰する自由(積極的自由)、また、特定の宗教の信仰を強制されない自由(消極的自由)。思想・良心の自由の宗教面での保障として捉えられる。特定の宗教を信仰していたり、していなかったりすることによって、いわれのない差別を受けることのない権利をいう。
宗教的行為の自由
礼拝・布教・宗教活動に参加する自由(積極的自由)、また、特定の宗教の礼拝・布教・宗教活動への参加を強制されない自由(消極的自由)。
宗教上の結社の自由
宗教団体を結社する権利。結社の自由の宗教面での保障として捉えられる。

なお、上記の権利を確保するために、国家が特定の宗教を国教と定めての信仰の強制・過度の推奨、国教以外の宗教に対する弾圧などを行う事を禁ずる制度(いわゆる政教分離)については、宗教に対して「国家権力からの自由」を保障する制度的保障であり具体的権利ではないとされる。

政教分離についてはその程度および手法において各国ごとに千差万別ではあるが、現代社会においては信教の自由は基本的人権の一つとして広く認められ、尊重されている事が多い。ただしイスラム教国を中心として、憲法に国教を謳い、国民全体が一つの宗教を信仰する事を自明の前提としている国もあり、決して一様ではない。信仰の「選択の自由」はあるが、なんらかの信仰を行うこと自体は強制で(つまり無神論は認めない)、選択対象が限定されている国もある。

歴史[編集]

日本においては明治憲法下で信教の自由は「安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ」(第二十八条)保障されてはいたが、実際には“神道は宗教に非ず”としてこれを英国における英国国教会のように特別な地位を保証し準国教化する動きがあった。

この傾向は戦中に激しくなり、体制側にとって特に脅威ともいえない世俗派キリスト教徒を含む国民全体や独自の宗教体系を持つ外地の人々に現地の神々を統合しない形での神社参拝(国家神道)を推進するなど、信教の自由が大幅に制限される状態にあった。敗戦と憲法改正により日本国憲法ではこれを不可侵の権利として一切の限定無しで国民に対して認めている。

しかし近年ではオウム真理教事件世界基督教統一神霊協会などのカルト宗教による霊感商法被害や、それらに対する行政や政党政治サイドの対応を及び腰とする批判などから、「信教の自由」という言葉が「民事不介入」と並び反社会的な活動をするカルト宗教やそれらを支持母体、支援組織とする政治団体等の側により社会の批判から自分達を守るための盾に利用されているという指摘もなされるようになった[誰?]

信教の自由を保障した法典の例[編集]

  • ミラノ勅令
  • マグナカルタ
  • ギュルハネ勅令
  • 世界人権宣言
    • 第18条 すべて人は、思想、良心及び宗教の自由に対する権利を有する。この権利は、宗教又は信念を変更する自由並びに単独で又は他の者と共同して、公的に又は私的に、布教、行事、礼拝及び儀式によって宗教又は信念を表明する自由を含む。
  • 市民的及び政治的権利に関する国際規約
    • 第18条 すべての者は、思想、良心及び宗教の自由についての権利を有する。この権利には、自ら選択する宗教又は信念を受け入れ又は有する自由並びに、単独で又は他の者と共同して及び公に又は私的に、礼拝、儀式、行事及び教導によってその宗教又は信念を表明する自由を含む。
  • 日本国憲法
    • 第二十条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
    • 二 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
    • 三 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。
  • アメリカ合衆国憲法
    • 修正条項第一条 連邦議会は、国教を樹立し、あるいは信教上の自由な行為を禁止する法律、または言論あるいは出版の自由を制限し、または人民が平穏に集会し、また苦痛の救済を求めるため政府に請願する権利を侵す法律を制定してはならない。

信教の自由をめぐる事件[編集]

教育勅語不敬事件
内村鑑三が教育勅語に対する拝礼を拒否したために問題となり、第一高等中学校教員を辞職。
上智大生靖国神社参拝拒否事件
1932年クリスチャン上智大学の学生が靖国神社で参拝を拒否したために問題となった事件。軍部を恐れた[1]上智大側が、個人的信仰と国民としての公の義務は別である旨を文部省に申し入れたため事態は沈静化したが、これ以降、キリスト教徒が積極的に戦争の遂行と神道奉賛に傾斜してゆく端緒となった[2]

信教の自由をめぐる裁判[編集]

護国神社自衛官合祀拒否訴訟[編集]

1979年、公務執行中に死亡した夫の自衛官護国神社合祀された妻が合祀により宗教的静謐の利益を害されたとして損害賠償請求を起こした訴訟。当該行為に自衛隊(すなわち国)の関与があったかどうかで政教分離原則に反するかどうかも合わせて争われた。

一審、二審は宗教上の人格権の侵害を主張する原告の訴えを認めたが、最高裁は合祀行為は自衛隊退職者の団体の単独行為であると認定し、国の関与を否定。自衛隊の協力行為は目的効果基準に照らして政教分離には反しない。宗教的静謐の利益は法的保護を受ける法的利益とはいえない、として訴えを退けた[3]

事実認定や目的効果基準への当てはめにも批判があるとともに、国側ではなく個人側に宗教的な寛容性を要求したことには強い批判がある。

違法伝道訴訟(青春を返せ裁判)[編集]

青春を返せ裁判」とは、世界基督教統一神霊協会(統一教会)の元信者が、教団の正体を隠し、不安を煽り、教義からの離脱を困難にするようなマインドコントロールなどの手段による勧誘・強化の違法性を問う訴訟。

改宗問題[編集]

宗教団体に入信した信者をその親族が脱退させようという試みに対し、教団側が当人の信教の自由を侵害した強制改宗拉致監禁などと批判して対立する問題。教団は人身保護請求や訴訟を起こしたが、請求が認められるかどうかそれぞれのケースにより異なっている。

個人の信仰と医療行為・学校教育[編集]

  • エホバの証人の信者による輸血拒否を無視して輸血した医師の行為[4]
  • エホバの証人の信者による武道の授業拒否

靖国神社参拝問題[編集]

首相個人の信仰や信念も尊重されるべきであり、参拝は私人として行われているものであり問題がないという意見がある一方、私人として行うことを公約にするのは矛盾である」との指摘もある。特定の宗教施設において、すべての戦没者を慰霊する事自体が、信教の自由に対する侵害であるとする意見もある。

神社の市有地無償借用問題[編集]

北海道砂川市の市有地にある「空知太神社」が、置かれている土地を無償で使用出来ているのは政教分離違反であるとの判断が最高裁判所で示されたが、違憲状態の解消には、氏子たちの信教の自由を侵害せずに、行うようにとした。(2010年1月)。

イスラーム国家における信教の自由[編集]

イスラーム国家においては、イスラームの絶対的優越が国是となっている。そのため、ムスリム(イスラーム教徒)のみに完全な信教の自由が与えられる(ただし、離教の自由はない)。その他の信仰に関してはズィンミーとして一定程度の人権を保障することが通例だが、場合によっては信教の自由を完全に否定され「コーランか剣か」を突きつけられることもある。概して同系の宗教を信ずる啓典の民がズィンミーとなりやすく、それ以外の信仰に関しては政府の扱い次第である。

なお、ムスリムが多い国家とイスラーム国家はイコールではない。イスラーム国家はシャリーア(イスラーム法)に全面的に基づく統治をしく国家である。

脚注[編集]

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  1. ^ 靖国神社参拝拒否に対抗して学校教練に配属されていた将校を陸軍が上智大学から引き揚げようとした。宇垣軍縮以降、学校では学校教練が行なわれていたが、この学校教練を履修すると兵役が10ヶ月に短縮されるという特典があった。その為私立学校では任意であった学校教練を学生獲得目的で積極的に取り入れていた。将校の引き揚げによって学校教練が廃止されることは学生数確保の面からも問題となった。
  2. ^ 津地鎮祭事件
  3. ^ 民集』42巻5号 277頁、『判例時報』1277号 34頁、『判例タイムズ』669号 66頁
  4. ^ 『判例時報』1629号 34頁、『判例タイムズ』965号 83頁

参考文献[編集]

  • ウィリアム・ウッダード 『天皇と神道 GHQの宗教政策』 サイマル出版会(1988年、原作英語版は1972年)
  • マーサ・ヌスバウム 『良心の自由 アメリカの宗教的平等の伝統』 慶應義塾大学出版会(2011年)

関連項目[編集]