オウム真理教

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オウム真理教
設立年 1989年8月29日
廃止年 2000年 2月
種類 宗教法人
目的 主神をシヴァ神として崇拝し、創始者の松本智津夫(別名麻原彰晃)はじめ、真にシヴァ神の意思を理解し実行する者の指導のもとに、古代ヨガ原始仏教大乗仏教を背景とした教義をひろめ、儀式行事をおこない、信徒を教化育成し、すべての生き物を輪廻の苦しみから救済することを最終目標とし、その目的を達成するために必要な業務を行う[1]
本部 日本の旗 日本 山梨県上九一色村東京都港区南青山
位置 東京都江東区亀戸
公用語 日本語サンスクリット
設立者 麻原彰晃
関連組織 真理党
ウェブサイト
新興宗教の団体、テロリスト[2]
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青山総本部(東京南青山、1994年)

オウム真理教(オウムしんりきょう、AUM Shinrikyo)は、かつて存在した日本の(新興)宗教団体。「オウム(AUM)」とは、サンスクリットの呪文「」のことである。

1996年平成8年)1月に宗教法人としての法人格を失ったが活動を継続。2000年(平成12年)2月には破産に伴い消滅した。同時に、新たな宗教団体アレフが設立され、教義信者の一部が引き継がれた。アレフは後にAlephと改称され、また別の宗教団体ひかりの輪が分派した。

松本サリン事件地下鉄サリン事件などのテロを含む多くの反社会的活動(「オウム真理教事件」)を行った[3]。自動小銃や化学兵器麻薬類の量産を行い、教団内に省庁制を敷き、独立国家の創造を目指していたとされる[2]

沿革[編集]

前史[編集]

1984年昭和59年)、麻原彰晃(本名・松本智津夫)は後に「オウム真理教」となるヨーガ道場「オウムの会」(その後「オウム神仙の会」と改称)を始めた。この頃、オカルト系雑誌の『月刊ムー』が、このオウムの会を「日本のヨガ団体」として取材、写真付きの記事を掲載していた。この写真は座禅を組んだまま跳躍するもので、後に同教団が言う所の「ダルドリー・シッディ(空中浮揚の原型)」とされる[要出典]

オウム真理教の誕生[編集]

1987年(昭和62年)、東京都渋谷区において、従前の「オウム神仙の会」を改称し、宗教団体「オウム真理教」が設立された。また、同年11月にはニューヨーク支部も設立。1989年(平成元年)8月25日に東京都に宗教法人として認証された(1993年以降の登記上の主たる事務所は東京都江東区亀戸の新東京総本部)。麻原は解脱して超能力を身に付けたといい、神秘体験に憧れる若者を中心に組織を急速に膨張させていく。さらに麻原は自らをヒンドゥー教の最高神の一柱である破壊神シヴァ神あるいはチベット密教の怒りの神「マハーカーラ」などの化身だとも説き、人を力づくでも救済するこの神の名を利用し目的のためには手段を選ばず暴力をも肯定する教義へと傾斜していく。

麻原はチベット亡命政府の日本代表であったペマ・ギャルポと接触し、その助力によって、1987年(昭和62年)2月24日ならびに1988年(昭和63年)7月6日ダライ・ラマ14世インドで会談した。麻原側は両者の会談の模様をビデオならびに写真撮影し、会談でダライ・ラマ14世が「日本に真の仏教を広めなさい」と麻原に告げたとしてオウム真理教の広報・宣伝活動に大いに活用した。ペマ・ギャルポはその後まもなく自身を介さずにチベット亡命政府との関係を深めるオウム真理教と積極的に対立するようになり、チベット亡命政府に対しても今後は麻原と関係を持たないように進言し、チベット亡命政府日本代表の地位を解任された。

宗教法人として認可されて以降、日本全国各地に支部や道場を設置。ロシアスリランカなど海外にも支部を置いていた。大学などにおける講演会の開催や「オウム編集部」による出版物の刊行を開始し、若年層を中心とした布教・信者の獲得活動を行う。1989年(平成元年)当時には約1万人程度の信者が存在していたとされる[4]

非合法活動への道程[編集]

住民によるオウム真理教追放運動。各地で住民との摩擦が表面化し時にはヒステリックなまでにエスカレートした。

1988年(昭和63年)には在家信者死亡事件、1989年(平成元年)には男性信者殺害事件坂本堤弁護士一家殺害事件など、凶悪事件を起こすが、坂本弁護士については任意の失踪の可能性があるとされるなど、この頃はまだ事件性すら確定されておらず、オウム真理教への容疑は及んでいなかった。

1990年(平成2年)には真理党を結成して第39回衆議院議員総選挙への大量立候補(全員落選)など奇抜な活動が注目を浴び、修行の様子なども雑誌やテレビ報道され、徐々に知名度が上がっていく。1990年(平成2年)5月日本シャンバラ化計画を実行すべく熊本県波野村に進出するが、地元住民の激しい反対運動に会う。また、そのことに関連して国土利用計画法違反事件強制捜査を受ける。結局波野村はオウムが5000万円で手に入れた土地を9億2000万円で買い戻すことで合意。オウムの大きな資金源となる。[要出典]これがきっかけとなり、ほぼ同じ時期に全国の各オウムの施設付近で、追放運動が巻き起こった。[要出典] こうした一連の動きが、オウム真理教の被害者意識を高め、その後の事件のきっかけになったという指摘が多い。[誰?]なお、村の反対運動の背景には、現村長派と反村長派との対立があった。反村長派がオウム信者への交流・協力関係を働きかけていたため、政治バランスが崩れることを危惧した現村長派らの懸念である。このために右翼団体なども扇動され激しい攻防があった[5]

オウム真理教は1991年(平成3年)を「救済元年」とし(教団内でこれを元号の如く用いた)[要出典]、教団活動を活発化させた。麻原がマスコミに盛んに露出し、雑誌の取材を受けたり著名人との対談などを行ったほか、テレビ・ラジオ番組にも出演した。このほか講演会開催、ロシアや東南アジア諸国・アフリカ諸国などへの訪問や支援活動、出版物の大量刊行などを行った。図書館への寄贈・納本も行っており、麻原の著書を初めとするオウム真理教の出版物は現在も国会図書館等に架蔵されている。特に若い入信者の獲得を企図し、麻原が若者向け雑誌に登場したり、1980年代後半から行っていた大学での講演会を更に頻繁に開催するなどした。1992年(平成4年)にはサリン事件後広範に知られるようになるパソコン製造などを行う会社「マハーポーシャ」を設立し、格安パソコンの製造販売を行うようになった。

1993年(平成5年)以降は麻原が自ら進んでマスコミに登場することはなくなり、凶悪犯罪を計画するようになる。1994年(平成6年)と1995年(平成7年)には特に多くの凶悪事件を起こす。そのうちいくつかの事件では当初より容疑団体と目され、警察の監視が強化された。しかし、松本サリン事件では第一通報者が疑われ厳しい追及が行われるなど、後に捜査の杜撰さが指摘された。またマスコミによる報道被害も問題になった。この頃よりオウムでは布施の強化が図られ、いったんは脱会した信者に対しても接触が強まり、ハルマゲドン思想などを説くようになる。LSDを使ったイニシエーションが在家信者に対しても盛んに行われた。費用は100万円であったが、工面できない信者には大幅に割引され、5万円で受けた信者もいる[6]。LSDによるイニシエーションは出家信者のすべてが受けさせられた。当時の信者数は、出家者1300人、在家信者を含めた総信者数は1万人ほどであった。LSDによるイニシエーションは麻原自身も試している。[要出典]サティアンには独房が造られ、教団に対し疑問を持つ信者に対しては独房に閉じ込め、一日中、麻原の説法テープを聞かせ、暴れたり精神状態がおかしくなるものも続出。出家したばかりの信者が、教団の実際の様子がイメージしたものとは違うことに驚き実家へ帰ろうとしたところ、体力のある信者数人がかりで押さえ込み独房に入れるというような行為も日常茶飯となってきた。[要出典]「信徒用決意」という書類が作られ、そこには信者が行うべき行動指針が記されたが、財産を教団に収める布施が強調されるようになった。麻原は、ここで「泣こうがわめこうがすべてを奪いつくすしかない」「身包み剥ぎ取って偉大なる功徳を積ませるぞ」「丸裸にして魂の飛躍を手助けするぞ」などと激しい言葉で強引に金を集めるよう命じた。これらが信者の監禁・誘拐事件へと発展した。

林郁夫によって開発された儀式「ナルコ」は、チオペンタールという麻酔薬を使い、意識が朦朧としたところで麻原に対する忠誠心を聞き出すもので、麻原はしばしば挙動のおかしい信者を見つけると林にナルコを命じた。また、麻原は林に命じ、信者一人ひとりの行動を監視していた。信者が自分の仕事の内容を他の信者へ話すことすら禁じていた。[要出典]社会との軋轢が増すにつれ、教団内部に警察などのスパイが潜んでいるとしきりに説いていた。教団内の自治省では、信者同士が互いに監視しあい、密告するよう求めた。林郁夫は信者にニューナルコと呼ばれる薬物を併用した電気ショック療法を使い始め、拉致してきた女性信者にチオペンタールを使い「あなたはどうしてここにいるのか」と聞くと「拉致されてきた」と答えたため、林の開発した電気ショック機器で100Vの電気ショックを与えている。この際には3度目の電気ショックで効果が確認され、女性信者は「分からない」と答えた。その後、救出された信者には電気ショックを与えられた信者が他にもおり、字が書けなくなったり記憶がなくなっている信者が見つかっている。

1995年(平成7年)、警察は全国教団施設の一斉捜査を決めた。捜査の情報を入手したオウム幹部は警察の目を逸らすため、首都で大事件を起こすことを思い付き、3月20日地下鉄サリン事件を実行した。しかし事件2日後の3月22日には、山梨県上九一色村(現・富士河口湖町)の教団本部施設への強制捜査が行なわれた。施設からはサリン等の化学兵器製造設備、細菌兵器設備、散布のためのヘリコプター等が見つかり、オウム真理教の特異な実態が明らかになった。以降、同事件や以前の事件への容疑で教団の幹部クラスの信者が続々と逮捕され、1995年(平成7年)5月16日には、教団代表であった松本智津夫(麻原彰晃)が上九一色村の教団施設で逮捕された。

教団の崩壊[編集]

東京地検は松本智津夫を17件の容疑で起訴したが、その内LSD・メスカリン覚醒剤・麻酔薬等薬物密造に関わる4件に付いては裁判の迅速化を図るため2000年(平成12年)10月5日起訴を取り下げている。

教団は村岡達子を代表代行として活動を継続していたが、1995年(平成7年)10月30日東京地裁により解散命令を受け[7]、同年12月19日東京高裁において、即時抗告[8]、翌1996年(平成8年)1月30日最高裁において特別抗告が共に棄却され[9]、宗教法人法上の解散が確定した。

1996年(平成8年)3月28日、東京地裁が破産法に基き教団に破産宣告を下し[10]、同年5月に確定する。1996年(平成8年)7月11日公共の利益を害する組織犯罪を行った危険団体として破壊活動防止法の適用を求める処分請求が公安調査庁より行われたが、同法及びその適用は憲法違反であるとする憲法学者の主張があり、また団体の活動の低下や違法な資金源の減少が確認されたこと等もあって、処分請求は1997年(平成9年)1月31日公安審査委員会により棄却されている。

破防法処分請求棄却後も教団は活動を継続し、「私たちまだオウムやってます」と挑発的な布教活動や、パソコン販売による資金調達などを行った[11]。一方、一連の事件については「教団がやった証拠がない」とし、反省や謝罪をせず、被害者に対する損害賠償にも応じなかった。

この教団の姿勢は社会の強い反発を招き、長野県北佐久郡北御牧村(現・東御市)の住民運動をきっかけに、オウム反対運動が全国的に盛り上がりを見せ、国会でもオウム対策法として無差別大量殺人行為を行った団体の規制に関する法律(いわゆる「オウム新法」)を制定するに至った。

一連の事件に関与した教団幹部に対し、刑事裁判では13人の死刑判決、5人の無期懲役判決が出されている。

教団は著名人との交流があったが、事件後は一変して多くの人物がオウム非難に転じている。雑誌で好意的な対談を行った[12]栗本慎一郎は事件後初めてオウム分析を週刊誌上で行い、オウムと北朝鮮、および世界基督教統一神霊協会との関係を指摘した[13]ビートたけしはテレビ番組で麻原と対談し[14]、その後雑誌で再び麻原と対談[15]などしていたが、事件後は否定的な見解を取っている。

作家で宗教学者の島田裕巳はオウム真理教に宗教学の立場から取り組み、好意的な発言をしていた[16]が、地下鉄サリン事件が同教団の組織的犯行であることが発覚するとメディアから批判を受け、地下鉄サリン事件へのオウムの関与を否定するコメント[17]を出したことで江川紹子有田芳生浅見定雄らから批判を受けた[18]。のちにオウムを批判する立場からの著作を出している[19]。同じく作家で宗教学者の中沢新一もオウムに好意的な発言をし[20]、地下鉄サリン事件後はメディアから批判を受け、地下鉄サリン事件についてのコメントも批判を浴びた[21]。島田[22]苫米地英人[23]などが中沢を批判する著作を発表している。

麻原の著書『生死を超える』の書評を書き、麻原を修行者として高く評価していた思想家の吉本隆明は、一般市民として大衆の原像を繰り込んでいこうとする立場から「オウムの犯罪を根底的に否定する」としながらも、なお「オウム真理教はそんなに否定すべき殺人集団ではない」「麻原は現存する世界有数の宗教家」などと述べた[24]

教団の破産と分裂[編集]

2000年(平成12年)2月4日、教団は破産して破産管財人からオウム真理教の名称の使用を禁止されたために、前年に出所した上祐史浩を代表として「オウム真理教」を母体とした宗教団体「アレフ」が設立された。同年7月、「アレフ」は教団の破産管財人の提案により、被害者への賠償に関する契約を締結しており、以降この契約に基づいた賠償を継続している。2003年(平成15年)には「アーレフ」、2008年(平成20年)にはさらに「Aleph」(アレフ)と改称した。

2007年(平成19年)5月には一部の信者(上祐派)が脱会。新宗教団体「ひかりの輪」を結成した。この団体は松本智津夫の教えからの脱却を志向していると主張しているが、公安調査庁『内外情勢の回顧と展望』2010年1月版でもその活動が麻原の修行に依拠していることが報告されている[25]

2010年(平成22年)3月に公安調査庁は、サリン事件当時の記憶が薄い青年層の勧誘をしていることなどについて、警戒を強めている旨を発表した[26]

教義[編集]

教義の概要
オウム真理教の教義は、原始ヨーガ、原始仏教を根本とし、パーリ仏典を土台に、チベット密教インド・ヨーガの技法を取り入れている。そして、「宗教は一つの道」として、全ての宗教はヨーガ・仏教宇宙観の一部に含まれる、と説く。その結果、例えばキリスト教創造主としての梵天(オウム真理教では“神聖天”と訳す)のことである、等と説かれる。
従って、オウム真理教に於いては儒教道教・キリスト教・ゾロアスター教等ありとあらゆる宗教・神秘思想を包含する「真理」を追求するという方針がとられた。結果として、キリスト教の終末論も、仏教的な「創造・維持・破壊」の繰り返しの中の一つの時代の破滅に過ぎない、として取り込まれた。
具体的な修行法としては、出家修行者向けには上座部仏教の七科三十七道品、在家修行者向けには大乗仏教六波羅蜜、またヨーガや密教その他の技法が用いられた。
教義の柱
オウム真理教の「五つの柱」として、以下の点が挙げられており、「実践宗教」であることが強調されている。
  1. 最終地点まで導くグル(霊的指導者)の存在
  2. 無常に基づく正しい教義
  3. その教義を実体験できる修行法
  4. その教義を実際に実践して修行を進めている先達の修行者の存在
  5. 修行を進めるためのイニシエーションの存在
無常
オウム真理教では、修行による苦悩からの解放を説き、無常である欲望煩悩から物理的に超越することを「解脱」、精神的に超越することを「悟り」と呼ぶ。
人は死ぬ、必ず死ぬ、絶対死ぬ、死は避けられない」という、仏教の無常観に即した麻原の言葉に象徴されるとおり、この世の中のすべての現象は無常である。よって今感じている喜びはいつか終わりが訪れた時にその喜びが失われることで苦しみを必ず生じさせる。また今は何も無くともいつか自分にとって嫌な現象が訪れた際にも同様に必ず苦しみが生じる。何かを欲求して得られなかった場合も同様に苦しみが生じる。したがって無常である煩悩的な喜びにとらわれることは必ず苦しみを生み出す。
逆に、自己の煩悩を超越し、無常を越えた状態が、ニルヴァーナ(涅槃、煩悩破壊)である。また、そこに留まることなく、更に全ての魂を苦悩から解放し絶対自由・絶対幸福・絶対歓喜の状態に導くことによって自身も絶対自由・絶対幸福・絶対歓喜のマハーニルヴァーナ(大完全煩悩破壊)、あるいはマハーボーディニルヴァーナ(大到達真智完全煩悩破壊)へと至る。
ポア
ポア(ポワ)とは「意識を高い世界へと移し替えること」と定義されていた。これは実際のとは関わりなく意識の中の煩悩的要素を弱めて意識を高次元の状態に移し替えることと解釈されていた。このポアの中で最も重要なものは死の直後、中間状態にある意識の移し替えで、これは次の生における転生先を決定することになる。
したがって、死の際の意識の移し替えが狭義の「ポア」となる。これが転じて、「積極的に(実際に)死をもたらし、より高位の世界へ意識を移し替え転生させる」という特殊な技法も「ポア」と呼ばれることがあり、これが「『ポア』なる言葉の下に殺戮を正当化する」と検察側が主張する根拠となっている(※これは、一連の犯行の際に、教団幹部らが教団内部で実際に使用した事例などに基づく解釈である)。
シヴァ
オウム真理教の主宰神は、シヴァ大神である。オウム真理教に於けるシヴァ大神は「最高の意識」を意味し、マハーニルヴァーナに住まう解脱者の魂の集合体であり、またマハーニルヴァーナそのものと同義としても扱われる。ヒンドゥー教(インド神話)にも同名のシヴァ神があるが、これはシヴァ大神の化身の一つに過ぎないとされる。また、麻原彰晃はこのシヴァ大神の弟子であると共にシヴァ大神の変化身とも言われていた。

事件と関連するとされる教義[編集]

オウム真理教では修行の内容を3種類または4種類に分けて説く。小乗(ヒナヤーナ)、大乗(マハーヤーナ)、真言秘密金剛乗(タントラ・ヴァジラヤーナ)で、厳密に説かれるときはタントラヤーナとヴァジラヤーナを分ける。ここでは4つの修行体系に分けて述べる。また、以下は教団における定義であって、通常の仏教語の定義とは違う。

ヒナヤーナ(小乗)
ヒナヤーナとは、外界とは離れて、自己の浄化・完成を目指す道である。ヒナヤーナはすべての土台である。
マハーヤーナ(大乗)
マハーヤーナとは、自己だけでなく他の多くの人たちをも高い世界に至らしめる道(衆生済度、救済)である。教団全体はマハーヤーナと規定される。ただし、完全なる自己の浄化(ヒナヤーナの完成)がなければ、真の意味でのマハーヤーナは成立しないともいう。オウム出版発行の機関紙の名前にも使われている。『マハーヤーナ(MAHA-YANA)』参照。
タントラヤーナ(秘密真言乗)
タントラヤーナとは、マントラを唱える等の密教的な修行を指す。ただし、左道タントラなど、現代日本では非倫理的・非道徳的とされる部分については、教団の公式見解において否定されていた。
ヴァジラヤーナ(金剛乗)
ヴァジラヤーナとは、グルと弟子との1対1の関係においてのみ成り立つ道である。グルが弟子に内在する煩悩を突きつけ、それを理解できる状況を作り出し、その煩悩を越えさせるマハームドラーなどの激しい方法が含まれる。
ヴァジラヤーナの教義の中には、「五仏の法則」と呼ばれるものがあり、「天界の法則であって人間界においてはなし得ない」という注釈のもとで説かれたことがあった。これは「一般的な戒律に反する行為・言動」が、完全に煩悩なく、完全に心において利他心のみであるときには認められるとするもの。真言宗金剛頂経などにも見られる教えである。
具体的には、悪業を積み続ける魂を救済するために殺害すること、貪り多き魂を救済するためにその財産を奪うこと、嘘を使って真理に導き入れることなどが、天界の菩薩の修行として説かれている、という解説であった。
このヴァジラヤーナの教義は殺人を正当化するものと解釈されたが、警視庁は教団は現在も、この教義を根幹に据えていると見ている[4]
1995年当時のオウム真理教横浜支部道場

修行法[編集]

※詳しくは「オウム真理教の修行」参照。

パーフェクト・サーベイション・イニシエーション(PSI)
ヘッドギアの内側に電流を通す粘着性の物質が塗布され、数ボルトの電流がそこからを刺激し、麻原の脳波を直接伝えるというもの。LSDと同時に使用されることもあった[6]
交叉信号によるイニシエーション(仮称)
黒いメガネをかけ、左目で赤い光、右目で緑ないしは青い光を別々に点滅させるのを見る。さらにその状態のまま液体の入った厚いクッションの上であぐらを組む。クッションはバイブレーションが施され小刻みに激しい振動を繰り返す。LSDを投与され幻覚を見る。自分の体をコックピットに座り操縦しているような感覚に捉えられ、意識だけが肉体の外に放り出され、自身の肉体を高台から見下ろすような「体外離脱」や「臨死体験」のような感覚を体感する。その瞬間には超能力を得た感覚を味わうがそれもつかの間で、さらにその後、意識が何者かによって引きずられるように人間界ではないような全く別世界へ放り込まれ、激しい恐怖感を味わう。気絶する信者も多い[6]

宗教活動[編集]

教団の信者は在家信徒と出家修行者(サマナ)に分けられる。 在家信者は通常の生活を行ないながら、支部道場に赴いて修行したり説法会に参加する。また、休暇期には集中セミナー等も開かれる。

修行の達成度、精神性の度合いを示すものとして「ステージ」制度があり、時期にもよるが、1995年(平成7年)時点の出家者には、サマナ見習い、サマナ、サマナ長、師補、師(小師、愛師・菩師、愛師長補・菩師長補、愛師長・菩師長)、正悟師(正悟師、正悟師長補、正悟師長)、正大師の各ステージが存在した。師は「クンダリニー・ヨーガ」の成就者、正悟師は「マハームドラー」の成就者で仏教の阿羅漢相当、正大師は「大乗のヨーガ」の成就者と規定され、これらのステージに従って教団内での地位、役職等が定められた。

オウム真理教幹部には難関大学の卒業者が多く、弁護士資格を持つ青山吉伸公認会計士資格を持つ柴田俊郎、医師免許を持つ林郁夫中川智正、芦田りら、佐々木正光、平田雅之、森昭文、小沢智、片平建一郎など社会的評価の高い国家資格を持つ者も多くいた。一方で幹部に元暴力団組長がいたり、信者に現役自衛隊員や現職警察官が存在していた。

国内での活動[編集]

1989年(平成元年)3月、東京都に対し宗教法人の認証を申請。6月、東京都は受理を保留したため、オウム真理教は鈴木俊一東京都知事を相手取り、行政の不作為の違法確認訴訟を東京地方裁判所に提起した。8月、東京都が宗教法人として認証。さらに、真理党(しんりとう)を結成し1990年(平成2年)の第39回衆議院議員総選挙に教祖・麻原彰晃(松本智津夫)を党首とし、教団幹部ら25名を擁立。確認団体となったが、全員落選した。

宗教法人規則認証申請書の記載内容[編集]

設立
1989年8月29日
主たる事務所の位置
東京都江東区亀戸
目的
主神をシヴァ神として崇拝し、創始者の松本智津夫(別名麻原彰晃)はじめ、真にシヴァ神の意思を理解し実行する者の指導のもとに、古代ヨガ、原始仏教、大乗仏教を背景とした教義をひろめ、儀式行事をおこない、信徒を教化育成し、すべての生き物を輪廻の苦しみから救済することを最終目標とし、その目的を達成するために必要な業務を行う。
規則
  • 代表役員は、9人の責任役員の互選により選任され、オウム真理教を代表し、その事務を総理する権限を有する。
  • 責任役員は、信徒および大師のうちから、総代会の決議をへて、代表役員が選任する。
  • 総代会を組織する総代は、信徒および大師のうちから、責任役員会の議決を得て、代表役員が選任する。
  • 信徒とは、オウム真理教の教義を信奉する者で、代表役員の承認を受けたもの。
  • 大師とは、オウム真理教の教義を信奉する者で、信徒を正しく指導できると、代表役員が認めたもの。
役員等
  • 代表役員:松本智津夫
  • 責任役員:松本知子、石井久子、大内早苗、上祐史浩、都澤和子、飯田エリ子、新実智光、大内利裕
  • 監事:満生均史、別所妙子

国外での活動[編集]

1991年(平成3年)には、麻原彰晃がロシアを初訪問した。当時のモスクワ放送もこの模様を伝え、クレムリン宮殿で宗教劇の上演が行われたことやアナトリー・ルキヤノフ最高会議議長と会談したことを報じた。モスクワにおいて麻原は、当時ロシア副大統領だったアレクサンドル・ウラージミロヴィッチ・ルツコイヴィクトル・チェルノムイルジンユーリ・ルシコフ等ロシア政界の上層部と接触。翌年には後に安全保障会議書記となるオレグ・ロボフが来日し麻原から資金援助の申し出を受けるなど、オウムのロシア進出に拍車がかかった。

モスクワ放送(現・ロシアの声)の時間枠を買い取って「エウアンゲリオン・テス・バシレイアス」(御国の福音)というラジオ番組が1992年4月1日から1995年3月23日まで放送された。またロシアで「キーレーン」というオーケストラを組織。日本からロシアの施設での射撃訓練ツアーがオウム関連の旅行会社によって主催されたり、他にもロシアからヘリコプターなどが輸入されている。またロシアに数ヶ所の支部を開設。ソ連崩壊後に精神的支柱が揺らいでいた当時、ロシアの多くの若者がオウム真理教に惹きつけられた。

事業[編集]

オウム真理教は、宗教活動のかたわら、多彩な事業を行っていた。業種は、コンピューター事業、建設不動産出版印刷、食品、家庭教師派遣土木作業員などの人材派遣など多岐におよび、さながら総合商社の観を呈していた。数多くの法人を設立し、ワークと称して信者をほぼ無償で働かせていたため、利益率は高く、特に中心となっていたのはパソコンショップの売り上げで、公安調査庁によると年間70億円以上の売り上げ(1999年当時)があり、純利益は20億円に迫る勢いであった。出家信者200人がそこで働いていた。[27]

関連年譜[編集]

一連の事件における被害者数は、死者30人・重軽傷者6000人以上。日本史上最悪の組織的犯罪である。

  • 1984年
2月14日 - 麻原彰晃こと松本智津夫により東京都渋谷区で創設される。当初はヨガのサークルであった。
5月28日 - 株式会社オウム設立。
  • 1985年
秋 - オカルト雑誌「ムー」「トワイライトゾーン」に麻原の空中浮遊写真が掲載される。
4月 - オウムの会オウム神仙の会と改称。
7月 - 麻原がヒマラヤで最終解脱したと主張する。
9月 - 僧伽(出家制度)発足。
  • 1987年
2月24日 - ダライ・ラマ14世とインドで会談。
7月 - オウム真理教と改称。
11月 - ニューヨーク支部を開設(初代支部長は上祐史浩)。
  • 1988年
7月6日 - ダライ・ラマ14世とインドで会談
8月 - 静岡県富士宮市富士山総本部を開設。
9月22日 - 富士山総本部に来ていた在家信者が修行中に死亡。遺体は、護摩壇で焼かれた上に、旧上九一色村の精進湖へ遺棄された。(在家信者死亡事件)
11月 - 江東区に東京総本部を開設。
  • 1989年
2月10日 - 教団最初の殺人事件、男性信者殺害事件発生。
3月1日 - 東京都に対し宗教法人の認証申請。
6月22日 - 坂本堤らがオウム真理教被害対策弁護団を結成。
8月16日 - 東京都選挙管理委員会に真理党の政治団体設立を届出。
8月25日 - 宗教法人認可。(8月29日設立登記)
10月2日 - サンデー毎日が『オウム真理教の狂気』の連載をスタートし、高額な布施未成年出家者に対する親権者監護権侵害などを取り上げ糾弾する。各メディアもこれに追随する。
10月21日 - オウム真理教被害者の会設立。
10月26日 - 上祐、青山吉伸、早川紀代秀が東京放送(現・TBSテレビ)千代田分室を訪れ、取材内容に抗議、放送を中止するよう圧力をかける。(TBSビデオ問題
11月4日 - 坂本堤弁護士一家殺害事件で一家3人を殺害。
  • 1990年
1月7日 - 中野文化センターにおいて次期衆議院選挙への集団出馬表明式を挙行する。
2月18日 - 第39回衆議院議員総選挙執行。全員落選。これ以降、社会敵視傾向に拍車がかかる。
5月 - 日本シャンバラ化計画の一環として熊本県阿蘇郡波野村の土地を入手・造成。シャンバラ精舎とする。
8月16日 - 熊本県が国土利用計画法森林法違反で教団を告発。(国土利用計画法違反事件)
10月 - 全国の教団施設が熊本県警の強制捜査を受ける。
  • 1991年
3月7日 - ニフティサーブに「オウム真理教会議室」を開設。
春 - 山梨県上九一色村に進出開始。
9月28日 - 『朝まで生テレビ!』にパネリストとして麻原、上祐、村井秀夫杉浦実が出演。幸福の科学幹部らも出演するが、番組途中に麻原が番組の運行が幸福の科学に有利に進められ、発言の機会も幸福の科学の方が多いなどと興奮し、大声で司会の田原総一朗に食ってかかる場面があった。これに対しパネラーの一人であった下村満子は、「あなたは解脱者を自称するのに、どうしてそんなことで興奮するんですか」と麻原をたしなめた。一方で池田昭、島田裕巳など兼ねてからオウムに共鳴的であった宗教学者も出演した。
12月 - 『ビートたけしのTVタックル』に出演。
  • 1992年
2月 - ロシア共和国のオレグ・ロボフらと会談。ロシア進出のきっかけとなる。
5月27日 - 教団が長野県松本市に取得した土地の地主が、売買賃貸契約の無効と土地の明け渡しを求めて教団を提訴。
9月 - モスクワ支部を開設(初代支部長は新実智光)。
9月14日 - オカムラ鉄工乗っ取り事件
11月 - キーレーン結成。
12月10日 - 港区に東京総本部開設。同時に江東区の旧総本部は新東京総本部と改称。
  • 1993年
漫画家小林よしのり、幸福の科学の大川隆法総裁、衆議院議員小沢一郎細川護熙タレントデーブ・スペクターなどの暗殺を計画するも失敗。
6月6日 - オウム真理教男性信者逆さ吊り死亡事件が発生。遺体は幹部らによって遺棄された。
6月28日 - 第1次亀戸異臭事件
7月2日 - 第2次亀戸異臭事件。
11月 - 山梨県上九一色村の第7サティアンにおいて、サリンプラントを建設を開始。(サリンプラント建設事件
  • 1994年
1月30日 - 薬剤師リンチ殺人事件が発生。
3月27日 - 宮崎県旅館経営者営利略取事件(被害者は5ヶ月間監禁され、解放後の9月2日に告訴)
5月 - 上九一色村の第7サティアンに化学プラント建設開始(7月完成)
5月9日 - 滝本弁護士サリン襲撃事件
6月 - 1995年3月 - 旧ソ連製のAK-74を密造(詳細はオウム真理教の兵器自動小銃密造事件を参照)。
6月27日 - 省庁制の発足式を挙行。22省庁を開設し大臣と次官を設置。当時の教祖、麻原は神聖法皇に。
6月27日 - 松本サリン事件。長野地裁松本支部官舎に隣接する住宅街でサリンを噴霧し、8人を殺害。重軽傷660人。
7月9日 - 第7サティアン周辺で異臭騒ぎ。警察当局が付近の土を採取し、警察庁科学警察研究所で調べたところ、サリン製造の際の副生成物が検知され、松本サリン事件で現場に残留していた副生成物とほぼ一致したことが判明[28]
7月10日 - オウム真理教男性現役信者リンチ殺人事件 発生。
7月15日 - 50℃の温熱療法修行による男性信者死亡事件。
9月20日 - 江川紹子ホスゲン襲撃事件
12月2日 - 駐車場経営者VX襲撃事件
12月10日 - ピアニスト監禁事件
12月12日 - 会社員VX殺害事件
旧・青山総本部(東京・南青山、2011年)
  • 1995年
1月1日 - 読売新聞が上九一色村の第7サティアンでサリン残留物が検出されたとスクープ。これを受けてサリンプラントを解体し、シヴァ大神を祭った神殿に改装するよう麻原が指示。
1月4日 - 「オウム真理教被害者の会」会長をVXガスで襲撃。(被害者の会会長VX襲撃事件
1月4日 - 上九一色村の教団施設にサリンを噴霧したとして、教団信徒18人が村内の肥料会社社長を殺人未遂罪で告訴。(この件を主導した弁護士の青山が5月4日名誉毀損罪で逮捕される)
2月28日 - 公証人役場事務長逮捕監禁致死事件で男性1人が死亡。
3月13日 - 「オウム真理教被害対策弁護団」の滝本太郎弁護士が警察庁長官検事総長宛に「本当にオウムがサリンを撒く可能性がある」と速達で上申。
3月15日 - 東京・霞ヶ関地下鉄駅構内で、不審なアタッシェケース(中身は超音波振動による自動式の噴霧器)が発見され、警視庁爆発物処理班が出動する。
3月17日 - 複数の教団幹部のステージ昇格を伝える尊師通達が発令される。(当月付けから7月付けまで計23名)
3月17日 - 警察庁において警視庁機動隊捜査一課捜査員によるオウム真理教に対する一斉家宅捜索を3月22日に行う決定[28]
3月18日 - 「オウム真理教から被害者を救出する会」主催による1万人集会
3月19日 - 脱会希望の大学生を拉致した容疑で大阪府警が教団大阪支部に家宅捜索、信者3名を逮捕。
3月20日 - 地下鉄サリン事件。東京の営団地下鉄(現・東京地下鉄)でサリンを撒き、13人を殺害、5,510人が重軽傷を負った。
3月22日 - 警視庁が公証人役場事務長逮捕監禁致死事件でオウム真理教信徒の逮捕状を取り、上九一色村の教団施設など1都2県の施設25カ所を一斉家宅捜索。
4月18日 - ロシア全土における活動禁止命令。
4月23日 - 村井秀夫刺殺事件
5月16日 - 麻原彰晃こと松本智津夫を山梨県上九一色村の教団施設で逮捕。
5月16日 - 東京都庁小包爆弾事件
6月12日 - 長野県警が松本サリン事件に関して記者会見。「11日に署長が第一発見者宅を訪ねて、捜査過程における心労に対して遺憾の意を表した」と述べた。しかし「謝罪というものではない」と捜査の間違いは認めなかった。
10月30日 - 東京地方裁判所宗教法人法に基づく解散命令を決定(同年12月確定)。
12月 - 国会で宗教法人法改正法が成立。
  • 1996年
6月19日 - 麻原(松本)に代わり、松本の長男(当時3歳)と次男(当時2歳)の二人を「教祖」とする。麻原の地位は「開祖」に。
  • 1997年
1月31日 - 公安審査委員会、オウム真理教への破壊活動防止法の適用を棄却。
  • 1999年
4月 - 東京都内の繁華街で“復活”をアピール[29]
12月3日 - 団体規制法と破産特別法が成立。
  • 2000年
2月1日 - 団体規制法に基づく公安調査庁長官の観察処分(3年間)が効力発生。
2月4日 - 「宗教団体・アレフ」として再編。
7月1日 - ロシアで松本智津夫の武力奪還・対日テロを図ったオウム信者逮捕(シガチョフ事件
1月 - 上祐が教団代表に就任。麻原彰晃との決別を表明。
  • 2003年
1月23日 - 団体規制法に基づく観察処分の期間更新(2月1日から3年)決定。
2月 - 「宗教団体・アーレフ」と改称。
2月27日 - 東京地裁が松本智津夫に死刑判決。
9月15日 - 最高裁判所は特別抗告を棄却し、1審通り松本への死刑判決が確定。
  • 2007年
3月8日 - アーレフから上祐前代表含む62人が脱会(脱会届提出は前日)。
5月7日 - 上祐前代表を含む62人による新団体「ひかりの輪」設立。公安調査庁への報告。
  • 2008年
5月20日 - 「Aleph」(アレフ)と改称。
12月31日 - 平田信が警視庁丸の内警察署出頭。翌日に逮捕監禁致死の容疑で逮捕。その後、逮捕監禁罪(公証人役場事務長逮捕監禁致死事件)、爆発物取締罰則違反(島田裕巳宅爆弾事件)、火炎瓶処罰法違反(オウム真理教東京総本部火炎瓶事件)で起訴される。
6月3日 - 菊地直子相模原市内の潜伏先で身柄を確保される。その後、殺人未遂罪と爆発物取締罰則違反の幇助罪(東京都庁小包爆弾事件)で起訴される。
6月15日 - 高橋克也が東京都大田区西蒲田の漫画喫茶内で身柄を確保される。これでオウム関連の特別指名手配者はすべて確保される。その後、殺人罪と殺人未遂罪(地下鉄サリン事件、会社員VX殺害事件、オウム真理教被害者の会会長VX襲撃事件)、殺人未遂罪と爆発物取締罰則違反の幇助罪(東京都庁小包爆弾事件)、逮捕監禁致死罪と死体損壊罪(公証人役場事務長逮捕監禁致死事件)で起訴される。

公称信徒数[編集]

  • 1985年12月 - 15人
  • 1986年10月 - 35人
  • 1987年2月 - 600人
  • 1987年7月 - 1,300人
  • 1988年8月 - 3,000人
  • 1995年3月 - 15,400人(出家1,400人、在家14,000人)
  • 1997年7月 - 5,500人(出家500人、在家5,000人)
  • 1997年12月 - 2,200人(出家900人、在家1,300人)
  • 2000年 - 1,115人(教団が公安調査庁に報告した数)
  • 2003年2月 - 1,251人(教団が公安調査庁に報告した数)

オウム真理教を題材・モデルにした作品[編集]

  • 「A」シリーズ - 森達也によるドキュメンタリー作品。
  • 地獄 (1999年の映画) - 本作にオウム真理教をモデルにした新興宗教団体「宇宙真理教」が登場する。主人公である16歳の少女リカはその教団の信者であったが、ラストで他の信者達と共に脱会する。
  • ホーク/B計画
  • 煉獄の使徒 - 馳星周による小説作品。
  • カナリア (映画)

脚注[編集]

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  1. ^ 東京都に提出された宗教法人規則認証申請書より
  2. ^ a b オウム真理教 | 国際テロリズム要覧(要約版) | 公安調査庁
  3. ^ 目次 オウム真理教 反社会的な本質とその実態(警察庁)
  4. ^ a b 未曾有のテロ(警視庁公式ウェブサイト)
  5. ^ 上祐史浩「オウム事件 17年目の告白」(扶桑社)P.90
  6. ^ a b c 別冊宝島229号『オウムという悪夢』
  7. ^ 判例時報1544号』43頁、『判例タイムズ890号』38頁
  8. ^ 『判例時報1548号』26頁、『判例タイムズ894号』43頁
  9. ^ 『判例時報1555号』3頁、『判例タイムズ990号』160頁
  10. ^ 『判例時報1558号』3頁、『判例タイムズ907号』98頁
  11. ^ オウム真理教 反社会的な本質とその実態活発化する動き」『焦点』260号、警察庁、1999年
  12. ^ 「サンサーラ」1992年1月号 徳間書店
  13. ^ 「麻原オウム真理教と統一協会を結ぶ点と線」週刊現代 1995年5月27日
  14. ^ ビートたけしのTVタックル 1991年12月30日放送
  15. ^ 『BART』 1992年6月22日号、集英社
  16. ^ 1990年7月『別冊宝島』114号「オウム真理教はディズニーランドである」など
  17. ^ 『宝島30』1995年3月号「徹底検証!オウム真理教=サリン事件」
  18. ^ 江川紹子『「オウム真理教」追跡2200日』、浅見定雄『なぜカルト宗教は生まれるのか』など
  19. ^ 『オウム―なぜ宗教はテロリズムを生んだのか』トランスビュー、2001年
  20. ^ 週刊ポスト1989年12月8日号「オウム真理教のどこが悪いのか」など
  21. ^ 別冊宝島33号 独占手記・元オウム信者の告発「僕と中沢新一さんのサリン事件」宝島社
  22. ^ 島田裕巳『中沢新一批判、あるいは宗教的テロリズムについて』亜紀書房、2007年
  23. ^ 苫米地英人『スピリチュアリズム』にんげん出版、2007年。
  24. ^ 『【宗教・こころ】吉本隆明氏に聞く(1)弓山達也氏と対談』 産経新聞 1995年9月5日夕刊
  25. ^ 内外情勢の回顧と展望 平成22年(2010年)1月 (PDF)
  26. ^ オウム、青年層にターゲット 時事ドットコム(2010/03/15配信)
  27. ^ 別冊宝島476『隣のオウム真理教』(宝島社
  28. ^ a b 文藝春秋1995年5月号
  29. ^ はじめに(警視庁公式ウェブサイト)

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

公式ウェブサイト[編集]

その他[編集]