トルクメニスタン

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トルクメニスタン
Türkmenistan
トルクメニスタンの国旗 トルクメニスタンの国章
国旗 国章
国の標語:なし
国歌独立、中立、トルクメニスタンの国歌
トルクメニスタンの位置
公用語 トルクメン語
首都 アシガバート
最大の都市 アシガバート
政府
大統領 グルバングル・マリクグルイェヴィチ・ベルディムハメドフ
首相 グルバングル・マリクグルイェヴィチ・ベルディムハメドフ註1
面積
総計 488,100km251位
水面積率 極僅か
人口
総計(2012年 5,200,000人(???位
人口密度 10人/km2
GDP(自国通貨表示)
合計(2008年 471億[1]トルクメニスタン・マナト
GDP(MER
合計(2008年 ???[1]ドル(???位
GDP(PPP
合計(2008年 300億[1]ドル(89位
1人あたり 5,710[1]ドル
独立
 - 日付
ソビエト連邦より
1991年10月27日
通貨 トルクメニスタン・マナトTMM)(£)
時間帯 UTC +5(DST:なし)
ISO 3166-1 TM / TKM
ccTLD .tm
国際電話番号 993
  • 註1: 憲法により大統領の兼任が決まっている

トルクメニスタンは、中央アジア南西部に位置する共和制国家カラクム砂漠が国土の85%を占めており、国民のほとんどは南部の山沿いの都市に住んでいる。豊富な石油天然ガスを埋蔵する。西側でカスピ海に面し、アフガニスタンイランウズベキスタンカザフスタンと国境を接する。首都はアシガバート永世中立国。20世紀の末から21世紀にかけて、ソ連からの独立を果たしたニヤゾフ大統領による独裁が長く続いたが、その後は開放路線を歩んでいる。

国名[編集]

正式名称はトルクメン語で、Türkmenistan。公式の英語表記は、Turkmenistan日本語の表記は、トルクメニスタン。漢字による当て字は土耳古斯坦

トルクメニスタンは「トルクメン人の土地」をひらいた。

歴史[編集]

首都アシガバード郊外には、人類最古の農耕集落遺跡のひとつであるアナウ遺跡、および紀元前2世紀または3世紀頃のパルティア王国(漢名「安息国」)の発祥地とされるニサ遺跡がある。またこの時代、現在のアシガバードの位置に小さな集落があったが、その後サーサーン朝ペルシアの領地となった。6世紀には遊牧民テュルク系民族の領地となり、7世紀からウマイヤ朝およびアッバース朝の領地となる。9世紀からサーマーン朝セルジューク朝ガズナ朝ホラズム王国などの領地となる。13世紀モンゴル帝国が侵攻する。イル・ハン国ティムール朝の領地となる。

16世紀以降、ヒヴァ・ハン国ブハラ・ハン国サファヴィー朝などに絶えず侵略される。

1869年帝政ロシア軍がカスピ海東岸に上陸し、1873年ザカスピ軍区を設置。同年、ヒヴァ戦争ロシア語版1879年第一次アハル・テケ遠征英語版が行なわれ、1880年ザ・カスピ鉄道が開通する。1880年から1881年第二次アハル・テケ遠征ロシア語版英語版では、1881年アレクサンドル2世治下のロシア帝国陸軍アシガバートを占領し基地を築く。

1882年アレクサンドル3世治下の帝政ロシアにより、カフカス総督管区内のザカスピ州とされた。ロシア帝国への編入後、ロシア向け綿花栽培が拡大し、1910年頃よりロシアの綿工業の原綿の供給地の役割を果たし、現在も繊維工業や綿花栽培は主要な産業となっている。

伝統的な衣装を着たトルクメン人の男性(20世紀初頭)

第一次世界大戦中の1916年から1918年にかけて反ロシア大暴動(バスマチ運動)が起きる。1924年トルキスタン自治ソビエト社会主義共和国を民族別の共和国に再編し、トルクメン・ソビエト社会主義共和国としてソ連構成国の1つとなる。ヨシフ・スターリンによる農業集団化に反発した遊牧民の抵抗が1936年頃まで続いた。

ソ連時代末期の1990年8月22日に主権宣言を行い、10月27日には直接選挙による大統領選で単独候補のサパルムラト・ニヤゾフ最高会議議長が98.8%の得票率で当選した。1991年10月26日の国民投票でソ連からの独立に94.1%が賛成し、翌10月27日独立。1992年5月18日、最高会議が大統領権限を強めた新憲法を採択。1992年5月にロシアCIS諸国との集団安全保障条約の署名を拒否。

1992年6月、大統領選でニヤゾフ大統領が99.5%の支持で再選。1995年12月、国連総会において「永世中立国」として承認される(ロシアの影響力を排除する目的と言われる)。ニヤゾフ大統領は個人崇拝による独裁体制をしき、2002年8月には終身大統領とされた。国内ではニヤゾフ大統領は「テュルクメンバシュ(トルクメン人の長)」を姓としている。2002年11月25日、アシガバートで大統領の車列が銃撃を受け、警護員1人が重傷を負った。この事件後のニアゾフ政権は、反対派を弾圧し、米ロなどの諸外国を非難するなど国際常識で考えられない行動に出た。

その後ニヤゾフ大統領は、2006年12月21日未明に66歳で死去した。その直後、同日中に大統領代行オヴェズゲリドゥイ・アタエフが刑事訴追を理由に解任された。約2ヶ月後の2007年2月14日に大統領選が行われ、89.23%の得票率を獲得したグルバングル・ベルディムハメドフ大統領代行が、正式に第2代大統領に就任した。

政治[編集]

大統領宮殿

行政[編集]

国家元首である大統領は憲法規定によれば任期は5年で、国民の直接選挙により選出される。だが1990年以来2006年末までニヤゾフが終身制の下で大統領職に就き、首相も兼任していた。ニヤゾフは、2008年から2010年頃に大統領選挙が行われると表明していたが、彼が死亡した為、死去後に大統領選挙が行われた。選挙の結果、得票率89.23%(2007年2月14日朝日新聞)で他の候補を圧倒したグルバングル・ベルディムハメドフ大統領代行が、第2代大統領に就任した。2008年に憲法を改正した。

議会[編集]

マジュリスと呼ばれる定数125議席の議会があるが、議員全員は大統領の承認を得る必要がある。議員は比例代表制に基づき国民の直接選挙で選出され、任期は5年である。

国権の最高機関として国民評議会(ハルク・マスラハトイ)が存在していたが、2008年の憲法改正により廃止され、権限は議会に移った。この際、それまで50議席だった議会定数は125議席に拡大された。国民評議会は、大統領による主宰の下、マジュリス代議員、閣僚、地方、司法権等の代表が入り、大統領不信任案を提出し、弾劾に関する国民投票を行う権限を有していた。

政党[編集]

トルクメン共産党の後身トルクメニスタン民主党 (Türkmenistanyň Demokratik Partiýasy, TDP) による事実上の一党独裁制で、ニヤゾフ初代大統領が同党の議長を務めていた。

憲法では複数政党制が認められているものの、TDP以外の合法政党は農民正義党の1つしかない。この農民正義党はTDPの地方(農村)幹部により構成される衛星政党であるため、実質には複数政党制は機能していない。2004年12月19日の議会(マジュリス)選では、全50議席をTDPが独占した。

独裁[編集]

ニヤゾフ大統領時代は完全な独裁体制が確立しており、欧米からは「中央アジア北朝鮮」といわれていた。 黄金のニヤゾフ大統領像は高さ14メートルで、太陽を追って回転する。言論の自由はなく、インターネットの一般利用も認められていなかった[2]。これに対し、ベルディムハメドフ現大統領は、インターネット利用の開放などを行う事を約束している。さらに国民の多くはパラボラアンテナにより海外の衛星放送を受信している。

軍事[編集]

トルクメニスタン軍陸軍海軍空軍の三軍から構成されている。

国際関係[編集]

地方行政区分[編集]

トルクメニスタンの地方行政区分

5州(ウェラヤトゥ)とアシガバート市(Aşgabat)で構成される。

  1. アハル州 (Ahal) - 州都アナウ (Änew)
  2. バルカン州 (Balkan) - 州都バルカナバトBalkanabatNebitdag ネビトダグ)
  3. ダショグズ州 (Daşoguz) 州都ダショグズ (Daşoguz)
  4. レバプ州 (Lebap) - 州都テュルクメナバト (Türkmenabat)
  5. マル州 (Mary) - 州都マル (Mary)
  • 順番は地図の番号と対応させている。

地方自治制度は、ゲンゲシュ(小会議)と地方公共自治機関が構成する。ゲンゲシュは、小都市、町村の代表機関である。ゲンゲシュ議員は、5年の任期で選出される。

主要都市[編集]

地理[編集]

トルクメニスタンの地図
トルクメニスタンの地形

地形[編集]

国境線の長さは3,736km。カラクム砂漠が面積の多くを占める。ウズベキスタンとの国境付近にアムダリヤ川が流れており、そこからカラクム運河が分かれていて、灌漑農業などに利用されている。最高地点は東部のウズベキスタン国境にそびえるアイリババ山 (海抜3139m)である。

気候[編集]

ほぼ全域が砂漠気候である。は40~50度、は0度以下まで下がるなど、夏と冬の寒暖の差日中と夜間の寒暖の差が激しい。昼と夜で20度を超える温度差になることもある。夏季に雨はほとんど降らない。

経済[編集]

色と面積で示したトルクメニスタンの輸出品目

主な産業は、天然ガス石油綿花栽培、繊維工業。特に天然ガスは狭い国土にもかかわらず世界第4位の埋蔵量の資源国である。これらの資源の輸出により潤沢な資金流入があるため、独裁国家には珍しく国民は非常に裕福といわれることがある。しかし、一人当たりのGDPが5000ドルなので裕福とはいえない。かなりの額が大統領周辺に消えているのではという指摘がある。見かけ上失業率は高い(30%前後)が、経済が豊かなことと、政府による治安維持が行き届いているため、現状ではとても治安はよく、近隣諸国と違いテロ事件等もおこっていない[3]経済成長率は潤沢な資源のおかげで高成長を見せている。さらに、独裁者の政策方針により、国民の収入自体はそれほど裕福ではないものの、食料品・日用品や住居等の物価が低く抑えられているほか、教育・医療費・電気やガス・水道などが無料とされている[4]。このため、実質的な収入金額以上には国民生活は安定していると言える。

鉱業[編集]

トルクメニスタンは他の中央アジア諸国と比較した場合、鉱物資源に乏しいと言える。例えば、金属鉱物資源は採掘されていない。

ただし、有機鉱物資源、特に天然ガスに恵まれている。2013年版BP統計によると埋蔵量はイラン、ロシア、カタールに次ぐ世界第4位の17.5兆立方メートルを誇る。2002年時点の天然ガス産出量は1944千兆ジュールであり、これは世界シェアの2%に達する。輸出額に占める天然ガスの割合は2000年時点で49.7%。原油(802万トン)にも恵まれている。輸出額に占める石油製品と原油の割合は合計30.2%である。したがって、輸出に占める鉱業(一部、化学工業が含まれる)セクターの割合は8割に達する。なお、石炭はほとんど採掘されていない。

観光[編集]

メルヴニサといったシルクロード遺跡が有名だが、全体として観光業はあまり発展していない。観光ビザの取得手続きは煩雑である。政策により物価はとても安く滞在しやすい。

日本からの観光については、シルクロードトラベルインフォメーションセンターが渡航の手配をしている[5]

交通[編集]

国民[編集]

民族構成[編集]

民族構成(トルクメニスタン)
トルクメン人
  
85%
ウズベク人
  
5%
ロシア人
  
4%
その他
  
6%

トルクメン人人口の大半を占めるが、ロシア人ウズベク人も多い。現在はロシア人は減少傾向にある。

トルクメン人 (85%)、ウズベク人 (5%)、ロシア人 (4%)、その他 (6%) (2003年)

言語[編集]

トルクメン語 72%、 ロシア語 12%、ウズベク語9%、その他7%。

トルクメン語が公用語だが、ロシア語が広く通用する。トルクメン人でも長く都市部に住んでいる者やエリートなどの中にはロシア語を母語とし、トルクメン語が満足に話せない者もいる(ニヤゾフ元大統領自身もそのうちの一人であった)。

宗教[編集]

イスラム教スンナ派が大多数。正教会も一部存在する。

教育[編集]

2011年の推計によれば、15歳以上の国民の識字率は99.6%(男性:99.7%、女性:99.5%)である[6]

保健[編集]

2013年の推計によれば、国民の平均寿命は69.16歳(男性:66.18歳、女性:72.29歳)である[6]

文化[編集]

伝統的な衣装を身にまとったトルクメン人の女性

アハル・テケというトルクメニスタン名産のはトルクメニスタンの誇りとされ、かのアレクサンダー大王もお気に入りだったという。この他、絨毯も名産品の一つ。

食文化[編集]

音楽[編集]

ペルシアインドの音楽の影響下にある独自の民族音楽がある。

また、ソ連時代からジャズ軽音楽のバンドの活動もあり、打楽器奏者 Rishad Shafi をリーダーとするバンド Gunesh Ensemble のレコードがソ連国営レコード会社から発売されていた。同バンドは高度な演奏技術を持ち、トルクメニスタンを代表するバンドとして西側諸国でも高い評価を得ている。

世界遺産[編集]

トルクメニスタン国内には、UNESCO世界遺産リストに登録された文化遺産が3件存在する。

祝祭日[編集]

日付 日本語表記 現地語表記 備考
1月1日 新年
1月12日 記憶の日
2月19日 トルクメニスタン国旗の日
3月8日 トルクメニスタン(国際)女性の日
3月21日、22日 春分の日
4月第1日曜日 水の滴、金の粒」の日
4月最終日曜日 トルクメニスタン競走馬の日
5月8日 1941-1945年大祖国戦争戦死者追悼日
5月9日 勝利の日
5月18日 再生、統一、マフトゥムグルの詩の日
5月最終日曜日 トルクメン絨毯の日
7月第3日曜日 ガッラー・バイラマの日
8月第2日曜日 メロンの日 これはニヤゾフ元大統領がメロン好きだから定められた。
9月第2土曜日 石油・ガス、エネルギー、地質産業職員の日
9月第2日曜日 トルクメン・バフシーの日 バフシーとは、弾き語りをする音楽師
10月6日 追悼、全国民服喪の日
10月27日、28日 トルクメニスタン独立記念日
11月第1土曜日 健康の日
11月17日 学生の日
11月最終日曜日 収穫の日
12月第1日曜日 善隣の日
12月12日 中立の日
12月21日 初代トルクメニスタン大統領、偉大なるサパルムラト・テュルクメンバシュ記念日 2007年3月2日制定
政府が決定 クルバン・バイラムの日
政府が決定 オラザ・バイラムの日

月名と曜日名[編集]

2002年、ニヤゾフ元大統領の独断により、月の名称と曜日の名称が独自のものに変えられた。国民には不評で、2008年4月現在、元に戻す法案が準備されている。

トルクメニスタンの月
日本語表記 現地語表記 備考
1月 テュルクメンバシュ Türkmenbaşy ニヤゾフの言葉によれば、彼自身を賛美するためではなく、トルクメン人にとっての最初の月だからだという。
2月 バイダク Baýdak 「旗」、2月に国旗を制定したため
3月 ノヴルーズ Nowruz イラン暦新年
4月 グルバンソルタン Gurbansoltan ニヤゾフの母親の名前。これは議員からの「提案」
5月 マフトゥムグル Magtymguly トルクメニスタンの国民的詩人
6月 オグズ Oguz 歴史上の人物。トゥルクマーンによる国家をはじめて築いたとされるオグズ・ハーン
7月 ゴルクート Gorkut 歴史上の人物。トルクメンの叙事詩の英雄
8月 アルプ・アルスラーン Alp Arslan 歴史上の人物。セルジューク朝を拡大させたスルタン
9月 ルーフナーマ Ruhnama ニヤザフが9月にルーフナーマを書き終えたから
10月 ガラシュスィズルィク Garaşsyzlyk 「独立」、トルクメンが1991年に独立した月
11月 サンジャール Sanjar 歴史上の人物。大セルジューク朝最後のスルタン・サンジャール
12月 ビタラプルイク Bitaraplyk 「中立」、永世中立国となった月
トルクメニスタンの曜日
曜日 日本語表記 現地語表記 備考
月曜日 バシュギュン Başgün 主要な日
火曜日 ヤシュギュン Ýaşgün 若き日
水曜日 ホシュギュン Hoşgün 善の日
木曜日 ソガプギュン Sogapgün 敬虔の日。死者に祈りを捧げる日
金曜日 アンナギュン Annagün 全国民がルーフナーマを読む日
土曜日 ルフギュン Ruhgün 精神の日。読書や観劇で精神を高める日
日曜日 ドゥインチギュン Dynçgün 休息の日

著名な出身者[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d IMF Data and Statistics” (英語). IMF (2009年4月). 2009年4月27日閲覧。
  2. ^ “トルクメニスタン、地方病院を閉鎖 独裁進み深まる孤立”. 朝日新聞 (asahi.com). (2005年3月5日). オリジナル2005年3月5日時点によるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20050305072237/http://www.asahi.com/international/update/0305/010.html 2012年2月19日閲覧。 
  3. ^ トルクメニスタンに対する渡航情報(危険情報)の発出”. 外務省海外渡航安全ページ. 外務省. 2012年2月19日閲覧。
  4. ^ “ルポ「中央アジアの北朝鮮」トルクメニスタン 岐路に立つ独裁”. MSN産経ニュース (産経新聞). (2008年12月4日). オリジナル2008年12月7日時点によるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20081207141624/http://sankei.jp.msn.com/world/asia/081204/asi0812042012008-n1.htm 2012年2月19日閲覧。 
  5. ^ トルクメニスタン”. シルクロードトラベルインフォメーションセンター. 2012年2月19日閲覧。
  6. ^ a b CIA World Factbook "Turkmenistan"2013年9月8日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

政府
日本政府