アムダリヤ川
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アムダリヤ川(アムダリヤがわ, ペルシア語: آمودریا Āmū Daryā )は、パミール高原に源を発し、ヒンドゥークシュ山脈を抜けて北西へ向かって流れる川。元々アラル海に注いでいたが、現在は途中の砂漠で消えてしまっている。延長1450km(元々は2400km)。
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[編集] 名称
「ダリヤ」は、「海(転じて大河)」を意味するペルシア語のテュルク語読みになるので、「アム川」と表記する場合も見られる。
ギリシア語文献でオクサス Οξας Oxas の名前で記されている川で、ソグド語では「ワフシュ」 wxwšw と呼ばれ神格のある大河であった。またサーサーン朝時代には東方境域であるフワラーサーン(後のホラーサーン)地方とソグド地方とを明確に分かつ重要な境界ともなり、イスラーム時代になってもホラーサーンとマーワラーアンナフルを分かつ境となった。ペルシア語の「アームー(・ダルヤー)」の他に、アラビア語ではジャイフーン川 جيحون Jayḥūn とも称されていた。
[編集] 概要
上流域にはバダフシャーンやトハーリスターン地方があり、中流域はザラフシャン川水系のブハーラーが隣接している。その他河川流域には大小様々な都市が点在しており、古代のソグド地方はもとより中央アジアを代表する重要な河川である。
カラクム砂漠とキジルクム砂漠を分けるように流れ、アラル海南岸に肥沃なデルタ地帯を形成した。4~5千年前から人が住み始め農業が行われたことが点在する遺跡の調査で判明している。アムダリヤ川は何度か著しく流路を変えており、そのため、人々は川が流れを変えるたびに城を造り替えたため、その下流の東側だけでも1000を数える都城跡が残されている。河畔沿いの主な都市は、ウルゲンチとヒヴァが知られ、ウルゲンチは、10世紀~13世紀までホラズム王国の首都として、14世紀までホラズム地方の中心として栄え、高さ67mに及ぶ中央アジアで最も高いというクトルグ・ティムール・ミナレットが築かれた。17世紀にアムダリヤの流路が変わると南東150kmのヒヴァに繁栄の中心が遷った。ホラーサーン地方へ南下しようとする北方遊牧民族に対する防衛線としても機能した。
アフガニスタンと、タジキスタン・ウズベキスタンとの国境になっている。
[編集] 自然改造計画に伴う環境破壊
1960年代以降、旧ソ連の「自然改造計画」によりカラクーム運河が建設され農地が開発された。しかし、この運河は原始的工法で、水が大量に大地に吸収されてしまっている。さらに砂漠気候(BWk)の気象条件下で蒸発量も多く、この蒸発と毛細管現象に伴う激しい塩害により、流域の農業は壊滅に近い。さらに巻き上げられた塩・農薬による、住民の健康被害も発生している。こうした無計画な運河建設に伴う水量の激減・蒸発のため、現在では下流部が消滅している。
また、その結果流入量の激減したアラル海は急速に縮小し、周辺環境が大きく悪化している。(詳細はアラル海を参照)

