ヒヴァ

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Khiva
KhivaWalls.jpg
イチャン・カラの城壁
座標 : 北緯41度23分 東経60度22分 / 北緯41.383度 東経60.367度 / 41.383; 60.367

ヒヴァウズベク語: Xiva: Хиваペルシャ語: خیوه‎)は、ホラズムヒヴァ・ハン国の首都であった町である。現在では、ウズベキスタンホラズム州にある。ヒヴァにあるイチャン・カラは、1991年にウズベキスタン国内で、初めて、ユネスコ世界遺産に登録された。

[編集] 歴史

ヒヴァの歴史が始まった際、ヒヴァの最初の住民は、ホラズム語と呼ばれる東方イラン語を話すアーリア人の人々であったとされる。10世紀、ヒヴァは、ムスリムの旅行者によって、初めて記録されたが、しかしながら、考古学者は、6世紀にはヒヴァは町の機能を持っていたと確信している。17世紀には、ヒヴァはヒヴァ・ハン国の首都となり、アストラハン・ハン国の王族によって支配された。

Khiva Узбекистан panorama.JPG
Khiva Узбекистан panorama2.JPG
ワシリー・ヴェレシュチャギンによるロシア軍のヒヴァ攻略を描いた絵

1873年ロシアの将軍であるフォン・カウフマンen:Konstantin Petrovich von Kaufman、初代のトルキスタン総督)がヒヴァを攻撃し、その年の5月28日には、ヒヴァを陥落させると同時に、ヒヴァ・ハーン国を従属させることに成功した。

10月革命の後、ボルシェヴィキの運動に賛同する形で、短命ながらも、ヒヴァ・ハーン国の領域にホラズム人民ソビエト共和国が建国された。1924年の民族境界画定工作の結果、この国家は廃止・分割されウズベク・ソビエト社会主義共和国が成立したが、その際、ヒヴァの町は、ウズベクに所属することとなった。

[編集] みどころ

ヒヴァは、2つの町に分かれる。城壁の外側は、いわゆるディチャン・カラと呼ばれる地区であり、かつては11の門が街を守っていた地区である。城壁の内側は、世界遺産にも登録されているイチャン・カラ地区であり、10世紀には建設されたといわれている煉瓦の城壁に守られている。現在の城壁は、17世紀にさかのぼることができ、その高さは10メートルに及ぶ。

イチャン・カラ地区は、18世紀から19世紀にかけて建設された50以上の歴史的建造物と250以上の古い民家が存在する。たとえば、イチャン・カラに残る金曜モスク(Djuma Mosque)は、10世紀に建設されたと伝えられ、1788年から1789年にかけて再建された。

[編集] 交通

ウルゲンチからバス、トロリーバスマルシュルートカがある。


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