ゴルノ・バダフシャン自治州

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ゴルノ・バダフシャン自治州 (Вилояти Мухтори Кӯҳистони Бадахшон)
自治州
Lac Karakul (754379539).jpg
タジキスタンの旗 タジキスタン
首都 ホログ
面積 64,200 km² (24,788 sq mi)
人口 218,000人 (2008年)
人口密度 3.4 /km² (9 /sq mi)
ISO 3166-2 TJ-GB
タジキスタン内でのゴルノ・バダフシャン自治州の位置
タジキスタン内でのゴルノ・バダフシャン自治州の位置

ゴルノ・バダフシャン自治州(Gorno-Badakhshan Autonomous Province、Вилояти Мухтори Кӯҳистони Бадахшон)とは、タジキスタン共和国の東部の自治州である。州都はホログ

名称[編集]

バダフシャーン地方

アフガニスタンバダフシャーン州からタジキスタンのゴルノ・バダフシャン自治州にかけての一帯は、かつてバダフシャーンと呼ばれていた。ゴルノ(Горно-)とはロシア語で「山岳の」という意味である。

地理[編集]

パンジ川の流域図

ゴルノ・バダフシャン自治州は日本の東北地方とほぼ同じ大きさの州である。パミール高原に位置し、標高5000メートルを越える高山が広がっている。主要河川はパンジ川であり、ムルガーブ川英語版バルタン川英語版ワンチ川英語版など様々な川が注いでいる。パミール高原の北部にはイスモイル・ソモニ峰コルジェネフスカヤ峰モスクワ峰独立峰Gora Kurumdyレーニン峰フェドチェンコ氷河カラクル湖がある。一方、中部にはPatkhor峰サレズ湖英語版ヤシルクル湖英語版があり、南部にはマヤコフスキー峰Karl Marx峰Concord峰ゾルクル湖英語版がある。ゴルノ・バダフシャン自治州は中華人民共和国新疆ウイグル自治区アフガニスタンキルギスタンと国境を接している。

歴史[編集]

中世[編集]

春のパミール高原

13世紀後半、中国に向かう途中のマルコ・ポーロがバダフシャーン地方を訪れた。その頃のバダフシャーンは巴達哈傷と呼ばれており、アフガニスタンのバダフシャーン州と合わせて4面12行程の広大な王国があったと言う。住民は独自の言語を持ち、獣皮の服を着て羊を飼っていた。王はアレクサンダー大王とダリウス王の娘の子孫であり、「ズルカーネイン」の称号を名乗って居たと言う。街は防御に適した高地にあり、寒さは厳しいものの頂上部の広大な台地には草木が生い茂り、水や魚や鳥が豊富で良質な小麦が採れ、良馬を産出し、かつてはブケパロスの子孫が居たという伝説もあった。その他に碧玉群青、銀・銅・鉛なども産出し、特にバラス紅玉(Badakhshi Ruby)は国王が独占的に採掘していた。空気が綺麗で硫黄泉もあったので、マルコポーロは1年間滞在して病気を治したと言う[1]

19世紀[編集]

1881年のイリ条約により、清朝がパミール高原の一部をロシアに割譲した[2]

第一次大戦後[編集]

1924年にウズベク・ソビエト社会主義共和国が成立し、1925年に自治州が設立された。1929年、ウズベク・ソビエト社会主義共和国からタジク・ソビエト社会主義共和国が分離すると、同共和国に属した[要出典]

冷戦時代[編集]

1950年代、長らくこの地域に居住していたパミール人が、強制的にタジキスタン南西部に移住させられた[要出典]

冷戦後[編集]

1991年、ソビエト連邦からタジキスタン共和国が分離独立した。しかしゴルノ・バダフシャン自治州などのイスラム勢力や民主勢力が蜂起してタジキスタン内戦が始まった。

2000年代[編集]

2001年9月、アメリカ同時多発テロ事件が起き、10月にはアメリカ合衆国がアフガニスタンに侵攻した。2005年にはキルギスでチューリップ革命が起きた。同年、ロシア国境警備隊が警備していたアフガニスタン国境の警備をタジキスタン国境保護国家委員会が行うようになった[3]

2010年代[編集]

2010年1月、ゴルノ・バダフシャン自治州でマグニチュード5.1~5.3の地震が発生し、vanj郡を中心に激しい被害を受けて2万人が家を失った[4]。2011年1月、国境画定条約により、パミール高原の一部を中華人民共和国に返還した[5]。同年6月、裁判所の判決に怒った群集がホログ市の裁判所や検察を襲った。2012年7月、州の国家保安委員会の長官が殺害された為、3000人の政府軍[6]が派遣されて反政府勢力と交戦し(死者39名、負傷者40名[7])、巻き添えになった市民に死傷者が出た。その後ホログ市では頻繁に反政府集会が行われるようになり[8]、政府が数百人分の容疑者リストを作って[9]更なる弾圧を企んでいると信じられるようになった。2014年5月、ホログ市で警察と麻薬業者の間で銃撃戦があり、巻き添えになった数人の地元住民が死傷した。怒った住民は数百人で州庁舎に押しかけて州知事・州警察の長官・地方検事の辞任を要求し[10]、警察本部を焼き討ちにして[9]、州庁舎にテントを張って座り込んだ為[11]夜間外出禁止令が出された[12]。なお隣接するアフガニスタンのバダフシャーン州の麻薬生産量は2008年以降急激に回復し、2014年現在34州中9位になっている[13]

政治[編集]

ゴルノ・バダフシャン自治州は国土の約半分の面積(約45%)を占めているにもかかわらず、人口が極めて少ない為(3%)、地元住民は少数派の扱いを受けている。例えば知事や郡の長官は住民の選挙で選ばれておらず、警察・司法の幹部は地元住民ではない。またパミール語のラジオ番組が無いことなど言語的な差別もある。その結果、多くの住民は大統領よりアーガー・ハーン4世を支持し、警察や司法が問題を起こす度に激しい抗議活動が起きて自治権拡大を要求してエスカレートする[9]

行政区分[編集]

ゴルノ・バダフシャン自治州は、7つの地区に区分される。

産業[編集]

交通[編集]


住民[編集]

民族[編集]

緑がタジク人・パミール人、オレンジがキルギス人、紫がウイグル族

パミール人キルギス人

言語[編集]

パミール諸語英語版シュグニー語ルシャン語英語版ワヒ語英語版イシュカシム語英語版サリコリ語英語版バルタング語英語版フフィー語英語版ヤズグリャム語英語版オロシャン語英語版ヴァンチ語英語版ムルガーブ地区英語版キルギス語ロシア語タジク語

宗教[編集]

シーア派イスマーイール派。特にアーガー・ハーンを指導者とするニザール派が最大の非政府組織である。

脚注[編集]

  1. ^ マルコ・ポーロ、愛宕 松男 『完訳 東方見聞録1』 平凡社2000年、151-156頁。ISBN 978-4582763263
  2. ^ 如月隼人. “中国が1158平方km獲得…タジキスタンとの国境が最終画定”. SearchChina. 2015年3月27日閲覧。
  3. ^ タジキスタン安全対策基礎データ”. 外務省. 2015年3月26日閲覧。
  4. ^ Quake leaves 20,000 homeless in Tajikistan”. CNN (2010年1月3日). 2015年3月26日閲覧。
  5. ^ 中国との国境線画定 タジク、1000平方キロを割譲”. 日本経済新聞 (2011年1月13日). 2015年3月27日閲覧。
  6. ^ 安全対策情報”. 在タジキスタン日本大使館 (2012年12月). 2015年3月26日閲覧。
  7. ^ タジキスタンについての渡航情報(危険情報)の発出”. 外務省 (2013年10月11日). 2015年3月26日閲覧。
  8. ^ タジキスタン:大統領選挙実施に伴う注意喚起”. 外務省 (2013年10月11日). 2015年3月26日閲覧。
  9. ^ a b c Explainer: What's Going On In Tajikistan's Gorno-Badakhshan?”. Radio Free Europe Radio Liberty (2015年3月26日). 2015年3月27日閲覧。
  10. ^ Hundreds Protest In Tajikistan's Khorugh After Deadly Clashes”. Radio Free Europe Radio Liberty (2014年5月22日). 2015年3月27日閲覧。
  11. ^ Situation Tense In Tajikistan's Khorugh After Deadly Clashes”. Radio Free Europe Radio Liberty (2014年5月23日). 2015年3月27日閲覧。
  12. ^ タジキスタン:ゴルノ・バダフシャン自治州ホログ市における騒乱事件発生に伴う注意喚起”. 外務省 (2014年5月23日). 2015年3月26日閲覧。
  13. ^ 2014 Afghanistan Opium Survey”. 国際連合薬物犯罪事務所 (2014年). 2015年3月2日閲覧。

関連項目[編集]