パミール人

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パミール人
(バダフシャーン人)
Tajik Pamiri children.jpg
総人口

約350,000人

居住地域
タジキスタンの旗 ゴルノ・バダフシャン自治州
中華人民共和国の旗 新疆ウイグル自治区
アフガニスタンの旗 バダフシャーン州
言語
パミール諸語
宗教
イスマーイール派シーア派スンナ派[1]
関連する民族

イラン人

パミール人 (ラテン文字:Pamiri、タジク語: Помириペルシア語: پامیریパーミーリー) はタジキスタンゴルノ・バダフシャン自治州アフガニスタンバダフシャーン州に住む、インド・ヨーロッパ語族に属する民族である。


民族アイデンティティ[編集]

パミール人は元々は何世紀にも渡り、民族意識の大規模な変化を経て生き残ってきた歴史のある民族である。パミール人は広大な中央アジアの山々において発生したコーカソイドと同一であるとみなされているが、彼らは付近の民族であったペルシア民族の影響も大きく受けている。例えば、ゴルノ・バダフシャーン自治州のイシュカシム地区において、ほとんどの住民の肌は暗褐色でありアフロ・アジア人の外見と非常に似ている。また、言語面においては近隣の民族であったアフガーンの言語と近縁関係にある。しかし、ルシャン地区やシュグナン地区に住むパミール人の肌は褐色ではなく、青や茶色の瞳を持つ。パミール人はゴルノ・バダフシャーンの原住民語英語版であるパミール諸語英語版の話者によって構成されており、イスラム教シーア派の一派であるイスマーイール派を信仰する者が多い。パミール人は言語、文化、宗教的紐帯という面においてアフガニスタンバダフシャーン州に住む人々や中国新疆ウイグル自治区タシュクルガン・タジク自治県に住むサリーコリー語英語版話者、パキスタン北部山岳地帯のギルギット・バルティスタン州にあるゴジャール地区英語版に住むワヒー語英語版話者と類似点が多い[2]。パミール語において、パミール人は自身のことを「パーミーリー」もしくはパミール人が住んでいたバダフシャーンという土地名から「バダフシャーニー」と呼んでいる。

中国においては、パミール人はタジク民族として扱われている。一方、アフガニスタンにおいてはパミール民族として扱われており、アフガニスタン国歌ではアフガニスタンの1民族「パーミールヤーン (パシュトー語: پاميريان)」として歌われている[3]

歴史[編集]

1929年、ゴルノ・バダフシャーンは新しく建国されたタジク・ソビエト社会主義共和国の下に組み入れられ、これ以降パミール人の民族的なアイデンティティを巡る論争が起きることとなる。タジク人学者の中にはパミール諸語タジク語方言と主張するものもおり、パミール人がタジク人と全く違うナショナリティーを持ち合わせていることを示すためには長い議論が必要だった[4]。しかし、その後言語学者の間でパミール語はイラン語群の一派である東イラン語群英語版に属し、西イラン語群英語版に属しペルシア語と親和性の高いタジク語とは異なることで合意が得られた。1926年から1937年にかけて、ソビエト連邦ではルシャン語英語版話者、シュグニー語話者、ワヒー語英語版話者は全く別のナショナリティーを持つという合意が得られた。1937年以降、これらの民族は国家政策上タジク人として登録されることとなった[5]

ソビエト連邦統治下において、多くのパミール人がヴァフシュ渓谷英語版を離れて現在のハトロン州クルガンテッパ地区に住むようになった。1980年代にはタジク・ソビエト社会主義共和国におけるパミール語の公式の扱いについて多くの議論が行われた。1991年にタジキスタンが独立すると、パミール人のナショナリズムの高揚が見られるようになり、パミール人の愛国主義者はゴルノ・バダフシャンを勢力下とするラアリ・バダフシャン英語版党を立ち上げる。ゴルノ・バダフシャーンの州都ホログでは反政府デモが行われ、1992年、タジキスタン政府はゴルノ・バダフシャーンの独立を認める声明を出したが、この声明は後に撤回された。1992年から1997年まで続いたタジキスタン内戦においてパミール人は一貫してタジク野党連合英語版を支持、パミール人はドゥシャンベクルガンテッパに住む人々から殺戮の標的にされた[6]。1990年代前半にはパミール人の間においてゴルノ・バダフシャーン独立運動が展開された[7]

宗教[編集]

パミール人はアーガー・ハーンを指導者とするイスマーイール派の一派ニザール派を信仰しているムスリムが多い。アーガー・ハーン財団英語版ゴルノ・バダフシャーン自治州における最大の非政府組織となっている。また、スンナ派のムスリムも数千人単位でいるとされる[8]

著名人物[編集]

脚注[編集]

  1. ^ Islamic peoples of the Soviet Union, pg. 33 By Shirin Akiner
  2. ^ 吉枝聡子. “ゴジャール・ワヒー語の動詞体系”. 東京外国語大学論集第76号 (2008). 2012年1月18日閲覧。
  3. ^ Afghan National Anthem”. Nationalanthems.info. 2013年1月18日閲覧。
  4. ^ Cheshko, S. V. (1989). “Не Публицистично, Но И Не Научно”. Sovetskaya Etnografiya Akademiya Nauk SSR I Narodnyi Komisseriat Prosveshcheniya RSFSR (5): 23–38. 
  5. ^ Suny, Ronald Grigor (2006). “History and Foreign Policy: From Constructed Identities to "Ancient Hatreds" East of the Caspian”. In Shaffer, Brenda. The Limits of Culture: Islam and Foreign Policy. MIT Press. pp. 100–110. ISBN 0-262-69321-6. 
  6. ^ メフラリ・トシムハンマドフ. “タジキスタン内戦と戦後復興”. 北海道大学スラブ研究センター. 2013年1月18日閲覧。
  7. ^ Suhrobsho Davlatshoev (2006年). “The Formation and Consolidation of Pamiri Ethnic Identity in Tajikistan. Dissertation”. School of Social Sciences of Middle East Technical University, Turkey (M.S. thesis). 2013年1月18日閲覧。
  8. ^ Islamic peoples of the Soviet Union, pg. 33, By Shirin Akiner

外部リンク[編集]