グルバングル・ベルディムハメドフ

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グルバングル・マリクグルイェヴィチ・ベルディムハメドフ
Gurbanguly Mälikgulyýewiç Berdimuhammedow
Gurbanguly.jpg

任期 2007年2月14日

出生 1957年6月29日(57歳)
ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦 Flag of Turkmen SSR.svg トルクメン・ソビエト社会主義共和国アハル州ババラブ
政党 トルクメニスタン民主党

グルバングル・マリクグルイェヴィチ・ベルディムハメドフトルクメン語Gurbanguly Mälikgulyýewiç Berdimuhammedowロシア語Гурбангулы Мяликгулыевич Бердымухаммедов1957年6月29日 - )は、トルクメニスタン政治家歯科医師サパルムラト・ニヤゾフ政権時代に副首相を務め、ニヤゾフ死去(2006年12月21日)後は大統領代行を経て第2代大統領兼トルクメニスタン民主党議長。

ベルディムハメドフは大統領就任後は、高齢者向けの年金の復活や閉鎖されていたアシガバート以外の病院再開、そしてオペラサーカス映画の解禁、公共料金の無料化、インターネットの利用の解禁など脱ニヤゾフ化政策を進めている。

ベルディムハメドフが脱ニヤゾフ化を進める背景としてニヤゾフによる頻繁な粛清で国家機構の人材不足が深刻になっていることが指摘されている。また、豊富な天然ガスをテコにした資源外交を活発化させている現政権としてはニヤゾフ政権の異常な体制を廃止することで北朝鮮とは違うということを国際社会にアピールする狙いもあると見られている。しかし、秘密警察による監視は続いており、ニヤゾフの肖像画がベルディムハメドフのものに取り替えられるなど、新たな個人崇拝の傾向が出てきている。こうした動きに対し、国内の諸部族のバランスを取るため体制の安定が必要だという見方がある。

2012年4月には、息子が交通事故を起こしたエネルギー・工業大臣のヤルムハメト・オラズグルイエフを、父親として行き届いていないとして解任[1]。2013年4月28日には乗馬レース中に落馬し病院に搬送されたものの、国内ではほぼ報道されなかった[2]

2013年9月11日に来日。

経歴[編集]

1957年、ソビエト連邦トルクメニスタン南部アハル州ババラブ生まれ。

1979年、トルクメニスタン国立医科大学卒業

2007年2月14日、先の大統領選挙の結果、他の候補を大きく引き離す89.23%の得票率を獲得し、第2代大統領へと正式に就任する。

2012年2月12日、大統領選挙の結果、約97%の得票率を獲得し、再選される。

脚注[編集]

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