ガズナ朝

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ガズナ朝
サーマーン朝
プラティーハーラ朝
955年 - 1187年 セルジューク朝
ゴール朝
ガズナ朝の国旗
(国旗)
ガズナ朝の位置
ガズナ朝の版図(1040年)
公用語 ペルシア語テュルク語
首都 ガズナラホール
君主
955年 - xxxx年 (初代)
977年 - 997年 サブク・ティギーン
998年 - 1030年 マフムード
1059年 - 1099年 イブラーヒーム英語版
1160年 - 1187年 ホスロー・マリクトルコ語版
変遷
成立 955年
サブク・ティギーンの一族の政権の開始 977年
滅亡 1187年
イランの歴史
イランの歴史
エラム
ジーロフト文化英語版
マンナエ
メディア王国
ペルシア帝国
アケメネス朝
セレウコス朝
アルサケス朝
サーサーン朝
イスラームの征服
ウマイヤ朝
アッバース朝
ターヒル朝
サッファール朝
サーマーン朝
ズィヤール朝
ブワイフ朝 ガズナ朝
セルジューク朝 ゴール朝
ホラズム・シャー朝
イルハン朝
ムザッファル朝 ティムール朝
黒羊朝 白羊朝
サファヴィー朝
アフシャール朝
ザンド朝
ガージャール朝
パフラヴィー朝
イスラーム共和国

ガズナ朝ペルシア語 : غزنويان Ghaznaviyān)は、現在のアフガニスタンガズナ(ガズニー)を首都として、アフガニスタンからホラーサーンインド亜大陸北部の一帯を支配したイスラム王朝955年/977年 - 1187年)。ガズニー朝ともいう。

ガズナ朝は、王家の出自はテュルク系マムルークが立てたイスラム王朝であるという点において、セルジューク朝や後のオスマン朝のように部族的な結合を保ったままイスラム世界に入った勢力が立てたテュルク系イスラム王朝とは性質が異なり、むしろアッバース朝の地方政権であったトゥールーン朝などに近い。その歴史上における重要性は特にインドへの侵入にあり、イスラム政権としては初めてとなるガズナ朝の本格的なインドへの進出は、以後のインドのイスラム化の契機となった。

歴史[編集]

サーマーン朝からの半独立[編集]

サーマーン朝アブド・アル=マリク1世英語版に仕えていたテュルク系マムルーク(奴隷軍人)出身の有力アミール(将軍)だったアルプテギーンが、マリク1世の死後に失脚して、955年にガズナで半独立化して立てた政権を基礎としている。

アフガニスタン支配の確立[編集]

アルプテギーンのマムルークで、ガズナ政権の5代目の支配者となったサブク・ティギーン(在位977年 - 997年)のとき勢力を拡張し、サーマーン朝に代わって現在のアフガニスタンの大部分を支配するようになり、南のパンジャーブにも進出した。スブクティギーンより政権の世襲が始まるため、スブクティギーンを王朝の初代に数えることが多い。

マフムードのインド侵攻[編集]

サブク・ティギーンの死後、998年en:Battle of Ghazni (998)で弟イスマーイール英語版(在位997年 - 998年 )を倒して即位したマフムード(在位998年 - 1030年)のとき、ガズナ朝は最盛期を迎えた。マフムードはサーマーン朝に対する攻撃を強めてこれを滅亡に追いやり、イラン方面のホラーサーンに勢力を広げるとともに、パンジャーブから本格的にインドに進んで北インドグジャラートに対して17回にわたる遠征を連年行った。異教徒に対するジハード聖戦)の名目のもとに行われた遠征により、ガズナ朝は1018年にはカナウジプラティハーラ朝を滅ぼすなど勢力をインドに大きく広げるとともに、ヒンドゥー教の寺院などを破壊・略奪して戦利品として莫大な富をガズナへと持ち帰った。マフムードの治世において、ガズナ朝の領域は北は中央アジアサマルカンドに及び、西はクルディスタンカスピ海から東はガンジス川に至るまで広がって、ガズナ朝のマフムードの権威は鳴り響いた。

マフムードの遠征を支えたガズナ朝の軍隊の中核は、テュルク系主体のマムルークからなっていた。文化面では、行政の実務はペルシア人の官僚が担当したので、ペルシア語が公用語になり、マフムードの時代には、その惜しみない援助を頼って『シャー・ナーメ』で名高い詩人フィルダウスィーを初めとする文人たちがガズナに集い、マフムードのもとでペルシア語文学が大いに盛行した。首都ガズナもまた繁栄を極め、文人たちはその壮麗さと征服者マフムードの名を称えた。その盛名は、ガズナ、ガズナ朝といえば、マフムードの名と永遠に結びつくといわれるほどである。マフムードが1030年に亡くなると、広大に過ぎる征服地を維持することはできなかった。

セルジューク朝の台頭[編集]

1055年頃の西側勢力範囲

マフムードの後を継いだ息子のマスウード1世英語版(在位1031年 - 1041年)は、1040年に新興のセルジューク朝ダンダーナカーンの戦い英語版で敗れ、ホラーサーンなど支配領域の西半を失った。

その後、ガズナ朝はイブラーヒーム英語版(在位1059年 - 1099年)の治世に幾分か勢いをとりもどしたが、かつてのような栄光や力はもはや失われ、12世紀前半にはホラーサーンを本拠地としたセルジューク朝のサンジャル(在位1118年 - 1157年)に臣従して貢納を行うほどであった。

滅亡[編集]

1150年、もとガズナ朝の宗主権下にある地方政権に過ぎなかったゴール朝によって、首都ガズナは陥落させられ、その略奪によってガズナの繁栄も地に落ちることとなった。ガズナ朝の残部はインドに南下してパンジャーブ地方のラホールでしばらく生きながらえたが、1186年に至り、ついにゴール朝によって滅ぼされた。

歴代君主[編集]

  1. アルプテギーン962年 - 963年
  2. イブラーヒームトルコ語版963年 - 966年
  3. ビルゲティギーントルコ語版966年 - 975年
  4. ボリティギーントルコ語版975年 - 977年
  5. サブク・ティギーン977年 - 997年
  6. イスマーイール英語版997年 - 998年
  7. マフムード998年 - 1030年
  8. ムハンマド英語版1030年 - 1031年
  9. マスウード1世英語版1031年 - 1041年
  10. ムハンマド(復位)(1041年
  11. マウドゥード英語版1041年 - 1048年
  12. マスウード2世トルコ語版1048年
  13. アリートルコ語版1048年
  14. アブドゥッラシードトルコ語版1049年 - 1052年

1052年アブー・サイード・トゥグリルトルコ語版支配

  1. ファッルフザード英語版1052年 - 1059年
  2. イブラーヒーム英語版1059年 - 1099年
  3. マスウード3世トルコ語版1099年 - 1115年
  4. シールザードトルコ語版1115年
  5. アルスラーン・シャー英語版1116年
  6. バフラーム・シャー英語版1117年 - 1150年

1150年ゴール朝首都征服

  1. バフラーム・シャー(復位)(1152年 - 1157年
  2. ホスロー・シャートルコ語版1157年 - 1160年
  3. ホスロー・マリクトルコ語版1160年 - 1186年

ゴール朝によって滅亡

参考資料[編集]