アフシャール朝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
アフシャール朝
サファヴィー朝 1736年 - 1796年 ガージャール朝
ザンド朝
ペルシアの国旗
(国旗)
ペルシアの位置
公用語 アフシャール語英語版(宮廷語)
ペルシア語
首都 マシュハド
シャー
1736年 - 1747年 ナーディル・シャー(初代)
1747年 - 1748年 アーディル・シャー(第2代)
1748年 - 1748年 イブラーヒーム(第3代)
1748年 - 1750年 シャー・ルフ(第4代)
1750年 - 1750年 スライマーン2世英語版(第5代)
1750年 - 1796年 シャー・ルフ(復位。最後)
変遷
成立 1736年
滅亡 1796年
イランの歴史
イランの歴史
エラム
ジーロフト文化英語版
マンナエ
メディア王国
ペルシア帝国
アケメネス朝
セレウコス朝
アルサケス朝
サーサーン朝
イスラームの征服
ウマイヤ朝
アッバース朝
ターヒル朝
サッファール朝
サーマーン朝
ズィヤール朝
ブワイフ朝 ガズナ朝
セルジューク朝 ゴール朝
ホラズム・シャー朝
イルハン朝
ムザッファル朝 ティムール朝
黒羊朝 白羊朝
サファヴィー朝
アフシャール朝
ザンド朝
ガージャール朝
パフラヴィー朝
イスラーム共和国

アフシャール朝ペルシア語: افشاریان‎、アフシャーリヤーン)は、イランペルシア)の王朝首都マシュハドナーディル・クリー・ベグによって建てられた。

歴史[編集]

初代・ナーディルの勢力拡大[編集]

ナーディル・クリー・ベグ(ナーディル・シャー)は、サファヴィー朝アッバース3世摂政として、ホータキー朝英語版オスマン朝を破って、旧サファヴィー朝が失った領土のほとんどを回復し、一時ペルシアの覇権を握った。1736年にサファヴィー朝のアッバース3世を退位させ、ナーディル・シャーとして即位した。ナーディル・シャーはバルーチスターンへ侵攻し、カルホラ英語版を占領した。晩年になるとナーディルは息子を盲目にしたり、甥の息子ら親族を大量に殺したり、市民や役人を殺戮したりした。この反動により、1747年に部下の兵士らによって暗殺された。

衰退・抗争期[編集]

ナーディルの死後、跡を継いだのは暗殺に一枚噛んでいたとされるアーディル・シャーであった。彼はナーディルの直系親族を一部を例外として殺戮したが、弟のイブラーヒームに背かれて廃された。だが、イブラーヒームも有力者の支持を得られず、すぐに廃された。

2人に代わって擁立されたのが、ナーディルの嫡孫であるシャー・ルフである。しかし1750年、シャー・ルフは有力者によって退位させられ、サファヴィー朝の末裔とされるスライマーン2世英語版が傀儡として即位した。しかしすぐに亡き祖父ナーディルの旧臣らが反乱を起こしてシャー・ルクは復位した。

滅亡[編集]

以後のシャー・ルフは有力者の傀儡として利用された。そして1796年アーガー・モハンマド・シャーマシュハドを占領することでアフシャール朝は滅亡し、カージャール朝に取って代わられた。

歴代君主[編集]

  1. ナーディル・シャー1736年 - 1747年
  2. アーディル・シャー1747年 - 1748年
  3. イブラーヒーム1748年
  4. シャー・ルフ1748年 - 1750年
  5. スライマーン2世英語版 (1750年)
  6. シャー・ルフ (1750年 - 1796年、復位)