ホイサラ朝
ホイサラ朝(- ちょう、Hoysala dynasty)とは、11世紀後半から14世紀後半にかけて南インド、現カルナータカ州中南部のマイソール地方を中心に存在したヒンドゥー王朝(10世紀頃 - 1346年)。首都はドーラサムドラ。
目次 |
歴史 [編集]
起源~後期チャールキヤ朝の封臣(諸侯)時代 [編集]
始祖とされるヌリパ・カーマは、マイソール地方に住む山間部族の一首長であったと考えられている。ヌリパ・カーマの子、ヴィナヤーディティヤは、後期チャールキヤ朝の封臣(諸侯)となり、カーヴェーリ川上流のマイソールの北西100kmのドーラサムドラを本拠として勢力を伸ばした。
ヴィナヤーディティヤの孫に当たるヴィシュヌヴァルダナ(在位1110 - 1152)のとき、強力な王であった後期チャールキヤ朝のヴィクラマーディティヤ6世(在位1076 - 1126)が亡くなると、後期チャールキヤ朝の王位継承争いは激しくなって、ホイサラ家の力はますます強大となり、事実上の独立行動に出るようになり、その力はチョーラ朝からマイソールの東方のタラカードを奪うほどであった。
また、ヴィシュヌヴァルダナは著名な宗教哲学者であったラーマーヌジャに師事してヴィシュヌ派に改宗し、首都にホイサレシューヴァラ寺院などを建設している。
ホイサラ朝の独立とカーヴェーリ川下流域への介入 [編集]
ヴィシュヌヴァルダナの孫バッラーラ2世(在位1173 - 1220)のとき、チャールキヤ朝は、封臣(諸侯)のカラチュリ家に首都のカリヤーニを20数年間も占領されるような状況であった。
後期チャールキヤ朝のソーメーシュヴァラ4世はやっとのことで1183年、ヤーダヴァ朝の攻撃で弱まったカラチュリ家からカリヤーニを奪還して即位した。だが、まもなく自らもヤーダヴァ朝の攻撃をうけて南遷せざるを得なかった。
バッラーラ2世はこれを機に、1189年に後期チャールキヤ朝のソーメーシュヴァラ4世を滅ぼした。
またバッラーラ2世は勢いに乗るヤーダヴァ朝のビッラマ5世を破って撃退、ヤーダヴァ朝のカーヴェリ川上流域への南進を阻止し、ヤーダヴァ朝が奪ったチャールキヤ領の南半分を獲得した。
ここに、後期チャールキヤ朝の版図は、北西部はヤーダヴァ朝、南西部はホイサラ朝、東側は、東方の現アーンドラ・プラデーシュ州ワランガルを本拠とするカーカティーヤ朝によって分割された。
バッラーラ2世の子、ナラシンハ2世(位1220 - 1238)は、チョーラ朝とパーンディヤ朝の抗争の激化に伴い、チョーラ朝と同盟し、カーヴェーリ川下流域に進出するようになった。
ナラシンハ2世の子、ソーメーシュヴァラ(在位1238 - 1262)は、首都のドーラサムドラを長子のナラシンハ3世(在位1254 - 1292)に任せ、カーヴェーリ川下流北岸のカンナヌールを本拠として次子のラーマナータ(在位1254 - 1295)とともに共同統治を行ったため、ホイサラ朝は二つの中心をもつこととなった。このことは、王位継承争いを引き起こすこととなった。
再統一から滅亡 [編集]
ソーメーシュヴァラの死後、ドーラサムドラとカンナヌールの争いは続き、ヤーダヴァ朝やカーカティーヤ朝、パーンディヤ朝の介入もあったが、1300年前後に、ナラシンハ3世の子で、ドーラサムドラの支配者バッラーラ3世(在位1292 - 1342)がカンナヌールのヴィシュワナータ(在位1295 - 1300)を滅ぼして王国を統一した。
しかし、当時の北インドでは強力なハルジー朝が興り、スルタンのアラー・ウッディーン・ハルジーは、名将マリク・カーフールを遣わし、1307年、ヤーダヴァ朝の君主ラーマチャンドラを捕らえて壊滅的な打撃を与え、1310年にはカーカティーヤの首都ワランガルを落としたのち、ホイサラ朝の首都ドーラサムドラも落とし、バッラーラ3世は服従を強いられた。
ホイサラ朝は1320年ハルジー朝が滅亡すると一時独立したものの、1323年にトゥグルク朝のウルグ・ハーンに遠征軍がやってくると、再服従させられた。
ホイサラ朝は屈従を強いられながらも一定の勢力を維持し続けたが、バッラーラ3世は1334年にトゥグルク朝から独立した南方のマドゥライ王国との激しい抗争の末、1342年マドゥライ軍との戦いに敗れて戦死して、50年にわたる長い治世を終えた。
その後、子のバッラーラ4世(在位1342 - 1346)も数年間抵抗を続けるが、1346年ヴィジャヤナガル王国との戦いで戦死し、ホイサラ朝は滅亡した。
行政機構 [編集]
ホイサラ朝の歴史は、碑文の解読によって、王を補佐する高官であるマハープラダーナ、地方長官と推察されるダンダナーヤカのほかサルヴァーディカーリ、セーナパティなどの官職若しくは称号があったことがわかってはいるが、統治機構がどのようなものであったかまでは分かっていない。
ホイサラ様式 [編集]
なお、ホイサラ朝時代は、壁面に細かなレリーフを施して、平面プランは、張り出し部をジグザグ状にもっているために星型になる三つの聖堂が一組になる独特なホイサラ様式の寺院が建てられた(ホイサラ型建築)。
主としてヴィシュヌヴァルダナが首都ドーラサムドラに建てたホイサレシューヴァラ寺院、ホイサレシューヴァラ寺院よりやや古いと思われるチェナケシェーヴァ寺院が首都のやや南西に位置するベールールに建てられ、さらに南西のカーヴェーリ川中流域のソームナートに建てられたケーシャヴァ寺院が挙げられる。
聖堂の屋根の平面プランは、基部にあわせた星型であるが横から見ると釣り鐘状である。寺院の基部には、最下部に象の列、その上に馬の列、神話的な動物たち、唐草模様、神話的な場面が所狭しと細かく彫り込まれている。
歴代君主 [編集]
※記述無しの君主は、上に記された君主の子である。
- ヴィシュヌヴァルダナ(Vishnuvardhana, 在位1110 - 1152)
- ナラシンハ1世(Narasimha I, 在位1152 - 1173)
- バッラーラ2世(Ballala II, 在位1173 - 1220)
- ナラシンハ2世(Narasimha II, 在位1220 - 1238)
- ソーメーシュヴァラ(Someshvara, 在位1238 - 1262)
- ナラシンハ3世(Narasimha III, 在位1254 - 1292)(ソーメーシュヴァラの長子)
- バッラーラ3世(Ballala III, 在位1292 - 1342)
- バッラーラ4世(Ballala IV, 在位1342 - 1346)
カンナヌール王統
- ラーマナータ(Ramanatha, 在位1254 - 1295)(ソーメーシュヴァラの次子)
- ヴィシュワナータ(Vishwanatha, 在位1295 - 1300)
参考文献 [編集]
- 『アジア歴史事典』8(ヒ~ミ)貝塚茂樹、鈴木駿、宮崎市定他編、平凡社、1961年
- 『世界歴史事典』8(フラ~メト)井上幸治、江上波夫他編、1990年 ISBN 4-582-10308-1(初版1956年)
|
||||||||||||||||||||