パーラ朝

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パーラ朝
পাল সাম্রাজ্য
Pal Samrajyô
グプタ朝
ヴァルダナ朝
750年 - 1174年 セーナ朝
パーラ朝の位置
パーラ朝の版図(紫)。この王朝とともに、ラーシュトラクータ朝(オレンジ)、プラティーハーラ朝(緑)が鼎立していた。
公用語 サンスクリット
首都 パータリプトラガウラ英語版
パーラ英語版
750年 - 770年 ゴーパーラ
1162年 - 1174年 ゴーヴィンダパーラ英語版
変遷
建国 750年
滅亡 1174年

パーラ朝(パーラちょう、英語:Pala dynasty)は、8世紀後半から12世紀後半まで、北東インドベンガル地方ビハール地方を中心とした地域)を支配した仏教王朝750年 - 1162年あるいは1174年)。首都はパータリプトラガウラ英語版

歴史[編集]

ヴィクラマシーラ寺院の遺跡
パーラ朝時代の仏教絵画

7世紀後半にヴァルダナ朝が滅亡したのち、ベンガル地方ビハール地方無政府状態に陥り、北西インドプラティーハーラ朝デカンラーシュトラクータ朝の侵入もあって、この地域は「マンスヤンヤーヤム(魚の法律、すなわち弱肉強食をあらわす)」と呼ばれた。

そのため、この地方の混乱を収拾しようという動きがあらわれ、各地の名士たちによる公式な選挙で、750年ゴーパーラ(在位750 - 780)が王に選出された(ゴーパーラの父シュリー・ヴァプヤタは、この混乱期に武力で小王国を建設した有能な戦士だったようだ)。

この王家の起源は不明であるが、ラージプートの王朝などのように、その祖先を神話や史詩の英雄にさかのぼらせていない点から、クシャトリヤでもバラモンでもなかったと推定される。

ゴーパーラの息子で次王ダルマパーラ英語版(在位780 - 810)は、8世紀末にガンジス川流域に有力な勢力が存在しなかったことに乗じて、軍をカナウジまで進め、北インドの4割近い地域を支配下に置いた。

しかし、プラティーハーラ朝のヴァッツァラージャの遠征軍に敗れて、北インドにおける一時優位を失い、その後、ビハールと東部ウッタル・プラデーシュがパーラとプラティーハーラの国境線となった。

なお、ダルマパーラは熱心な仏教徒で、ヴィクラマシーラ寺院など多くの僧院を建設し、グプタ朝の時代に建設されたナーランダー僧院など、かつてから存在した仏教寺院も保護された。

その息子デーヴァパーラ(在位810 - 850)の治世は、アッサム地方オリッサ地方、北インド、デカンに勢力を拡大する一方、東進してきたプラティハーラのボージャ1世を破り、850年にデーヴァパーラが亡くなるまで、ボージャ1世は東方遠征を控えるほどで、パーラ朝の力が健在であることを知らしめた。

また、デーヴァパーラも熱心な仏教徒で、ヴィクラマシーラ寺院やナーランダー僧院をはじめ、多数の寺院に寄進したことで知られ、東南アジアシュリーヴィジャヤ王国からも寄付が届くほどだった。

このように、ダルマパーラとデーヴァパーラの治世は、パーラ朝にとってとても輝かいしい時代であった。

デーヴァパーラの息子マヘーンドラパーラ(在位850 - 854)はすぐに死亡し、名将と誉れ高い従兄弟ヴィグラハパーラ1世(在位854)が王位についたが、その息子ナーラーヤナパーラ(在位854 - 920)のために退位した。

ナーラーヤナパーラの長い治世には、ボージャ1世のもとでプラティーハーラ朝が台頭し、圧迫されながらも、ビハールの主要部分をなんとか保持した。

アティーシャの肖像。チベット仏教中興の祖である彼は、この王朝の出身である。

ラージヤパーラ(在位920 - 952)の治世に、プラティーハーラ朝はソーン川をわたって、ビハール西部を占領しますます圧迫を加えたため、ゴーパーラ2世(在位952 - 969)は、ラーシュトラクータ朝と結んで失地の回復に努めた。

10世紀に入ると、プラティーハーラ朝は弱体化して分裂し、かつての力を失い、ラーシュトラクータ朝も南方のチョーラ朝との抗争で、10世紀後半には封臣チャールキヤ家のために滅亡することになった。

そのため、マヒーパーラ1世(在位995 – 1043)の治世には、パーラ朝は一時的に圧力から解放され、ビハール地方での失地を回復した。

だが、1023年、チョーラ朝のラージェーンドラ1世の遠征軍に敗れ、その軍がガンジス川流域にまで到達するなど、王朝の衰運は止めることができなかった

その後、ベンガルの新興王朝であるセーナ朝に圧迫されて、王朝はまったく振るわず、ビハールの一勢力となり、1162年マダナパーラ(在位1143 - 1162)の治世、セーナ朝に滅ぼされた。

とはいえ、ゴーヴィンダパーラ英語版(在位1162 - 1174)という人物が継いだともされるが、それでも1174年には滅亡している。

仏教の繁栄[編集]

パーラ式仏像の例
パーラ式仏像のヒンドゥー教の女神ラリタ

パーラ朝の歴代の王は、仏教を保護し、当時の北部ベンガルには、ヴィハーラ(僧院)が多かったため、のちのビハールの語源となるほどであった。

8世紀の後半に、インド哲学の巨匠シャーンタラクシタと大密教行者パドマサンバヴァなどを、チベットへ仏教使節を派遣した。

パーラ朝時代の仏教は、密教としての仏教がさかんでいわゆるタントラ仏教であったため、チベット仏教もその影響を強くうけている。

また、芸術を保護したため、絵画、彫刻、青銅の鋳造技術が著しく進歩して、仏教美術では、「パーラ式仏像」を生み出して世界的に有名となり、その美術は「パーラ派」や「東方派」と呼ばれ、優れた技巧と典雅な意匠で知られいる。

とはいえ、民衆は仏教のみならず、ヒンドゥー教を信仰する者もいた。

歴代君主[編集]

  • ゴーパーラ1世(Gopala I, 在位750 - 780)
  • ダルマパーラ英語版(Dharmapala, 在位780 - 810)
  • デーヴァパーラ(Devapala, 在位810 - 850)
  • マヘーンドラパーラ(Mahendrapala, 在位850 - 854) 
  • ヴィグラハパーラ1世(Vigrahapala I, 在位854)
  • ナーラーヤナパーラ(Narayanapala, 在位854 - 920)
  • ラージヤパーラ(Rajyapala, 在位920 - 952)
  • ゴーパーラ2世(Gopala II, 在位952 - 969)
  • ヴィグラハパーラ2世(Vigrahapala II, 在位969 - 995)
  • マヒーパーラ1世(Mahipala I, 在位995 - 1043)
  • ナヤパーラ(Nayapala, 在位1043 - 1058)
  • ヴィグラハパーラ3世(Vigrahapala III, 在位1058 - 1075)
  • マヒーパーラ2世(Mahipala II, 在位1075 - 1080)
  • シュラパーラ(Shurapala, 在位1080 - 1082)
  • ラーマパーラ(Ramapala, 在位1082 - 1124)
  • クマーラパーラ(Kumarapala, 在位1124 - 1129)
  • ゴーパーラ3世(Gopala III, 在位1129 - 1143)
  • マダナパーラ(Madanapala, 在位1143 - 1162)
  • ゴーヴィンダパーラ英語版(Govindapala, 在位1162 - 1174)

参考文献[編集]

  • 『アジア歴史事典』7(ト~ハ)貝塚茂樹、鈴木駿、宮崎市定他編、平凡社、1961年