マリク・カーフール

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マリク・カーフール(? - 1316年)は、インドを支配したハルジー朝の重臣で宦官

マリクはもともとハルジー朝と敵対していたヒンドゥー教徒で、アラーウッディーン・ハルジーと戦って敗れて捕虜になった際、去勢されたという。アラー・ウッディーンがヒンドゥー教からイスラーム教に改宗した教徒を大量に人材として登用したとき、それに応じて登用された。

アラー・ウッディーンのもとではチャガタイ・ハン国などのモンゴルとの戦い、カーカティーヤ朝ホイサラ朝パーンディヤ朝などのインド南部の遠征などで多大な功績を挙げて、ヒンドゥー改宗者らの中でも頭角を現した。1316年にアラーウッディーンが死去すると、その長子らを差し置いて末子のシハーブ・ウッディーン・ウマル・シャーを擁立し、自らは宰相となって権勢を誇った。さらにその権勢を確実なものにするため、シハーブッディーン・ウマル・シャーの兄らや反対派を粛清しようとしたが、その専横に反発した家臣によって暗殺されたという。

アラーウッディーンの死後の所業が悪辣なため奸臣として評されるが、インド南部の遠征での功績は大きくアラー・ウッディーンにも賞賛され、この遠征でもたらされた莫大な戦利品が文化の発展にも寄与している。智勇を兼ね備えた宦官だったと見てもよいだろう。[誰によって?]

参考文献[編集]

  • 「アジア歴史事典」(平凡社)
  • 「中世インドの歴史」(山川出版社)