トルキスタン

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トルキスタンに含まれる国家・地域を囲った地図
トルキスタンの面積は、インド亜大陸よりも広い
テュルク系民族分布

トルキスタン(Turkestan/Turkistan)は今日テュルク系民族が居住する中央アジアの地域を指す。原義はペルシア語でテュルク人(Türk)の土地(-istan)である。

トルキスタンは、西トルキスタンに含まれるトルクメニスタンウズベキスタンキルギスタンカザフスタンタジキスタンと、東トルキスタンとも呼ばれる中華人民共和国新疆ウイグル自治区(ウイグルスタンとも)からなる。

歴史[編集]

「トルキスタン」とは、「テュルク人」(Turk-)という単語に「~が存在する(ところ)」(-istān)を意味する接尾辞が付属したペルシア語での他称に由来するものであり、「テュルク」と呼ばれる一定の人間集団が集まり住む地域を指す言葉であって固有の地名に根ざした名称ではない。そのため、前近代においてはその地域的な範囲は明確ではなく、イスラーム時代以降はマーワラーアンナフルと呼ばれた中央アジア南部のオアシス都市の地域の北方に広がるテュルク系遊牧勢力がいた領域を指す漠然としたものであった。一方、スィル川の中流にはヤサヴィー教団の始祖アフマド・ヤサヴィー廟墓があることで有名なトルキスタン市(古名ヤス)がある。

13-14世紀のモンゴル帝国時代、いわゆる東トルキスタン天山ウイグル王国のウイグル駙馬王家があったため、この地域はおおよそウイグリスタンと呼ばれ、15世紀からはチャガタイ家のアブル=ハイル・ハンなどモグーリスターン・ハン家の領域を本来モンゴル高原を指していた「モンゴル人の住むところ」を意味する言葉であるモグーリスターンなどと呼んでいる。西トルキスタンは変わらずマーワラーアンナフルと呼ばれていた。これはティムール朝末期のバーブルの時代でも同じであった。これらの地域を「トルキスタン」と一括する慣習はロシアなど19世紀以降のことである。

13世紀以降はモンゴル帝国、次いで後継の汗国に支配される。

テュルク人とその国家[編集]

国名 人口 構成民族比率 面積 GDP 一人当たり 備考
カザフスタン 1,683万人 46%、露35% 272万km2 1,184億ドル 7,800ドル
キルギスタン 464万人 60%、露10% 20万km2 77億ドル 1,600ドル
トルクメニスタン 424万人 77%、9% 43万km2 270億ドル 5,700ドル
ウズベキスタン 2344万人 76%、露6% 44万km2 441億ドル 1,700ドル
タジキスタン 605万人 タ64%、24% 14万km2 69億ドル 1,000ドル イラン系のタジク人が多数派
新疆ウイグル自治区 2000万人 45%、漢41%、7% 165万km2 320億ドル 1,600ドル 中華人民共和国の自治区
アフガニスタン 2800万人 パ45%、32%、9% 65万km2 200億ドル 700ドル トルキスタン外
テュルク系(カ=カザフ人、キ=キルギス人、ト=トルクメン人、ウ=ウズベク人、維=ウイグル人
非テュルク系(露=ロシア人、タ=タジク人、漢=漢民族、パ=パシュトゥーン人

上表のように面積はカザフスタンが桁違いに広い。人口はウズベキスタン、ついでカザフスタンが多い。一人あたりの所得はタジキスタンが目立って低い。

アフガニスタンはトルキスタンには含まれないが、その国内には1000万人程のテュルク系民族が居住する。

近代以降[編集]

その他[編集]

  • 「トルキスタン」は、ロシア帝国時代には、西トルキスタンの南部であるウズベキスタン・タジキスタン・トルクメニスタン一帯と、さらに狭い地域の名称として用いられたこともあった。

脚注[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]