アブハジア

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アブハジア(Abkhazia)は、カフカースの一地域で、アブハジア自治共和国としてグルジアに属するが、事実上、独立状態にある。その独立国際的には認知されていなかったが、2008年8月26日ロシア連邦が承認を発表した。それに続きベラルーシが支持、ニカラグアが承認を発表した。自治共和国の首都スフミ (Sukhum)。

アブハジア共和国
Аҧсны (アブハズ語)
აფხაზეთი (グルジア語)
Абхазия (ロシア語)
アブハジアの国旗 アブハジアの国章
国旗 国章
国の標語 : なし
国歌 : (未詳)
アブハジアの位置
公用語 アブハズ語ロシア語
首都 スフミ
最大の都市 スフミ
政府
大統領 セルゲイ・バガプシュ
首相 アレクサンドル・アンクヴァブ
面積
総計 8,600km²???位
水面積率 不明
人口
総計(2000年 250,000人(???位
人口密度 29人/km²
GDP(自国通貨表示)
合計(Xxxx年 xxx,xxxルーブル
GDPMER
合計(Xxxx年 xxx,xxxドル(???位
GDPPPP
合計(Xxxx年 xxx,xxxドル(???位
1人当り xxxドル
独立
 - 宣言
グルジアより
1992年7月23日
通貨 ルーブルRUB
時間帯 UTC +3(DST: 不明)
ccTLD 不明
国際電話番号 不明

目次

[編集] 地理

アブハジアはグルジアの最西端に位置し、黒海北岸に面する。北のカフカス山脈ロシア連邦との国境とする。山がちな地域であり、居住地は黒海沿岸やいくつかの峡谷に限られている。気候は温暖で、ロシア帝国ソビエト連邦時代にはガグラなどのリゾート都市が国内屈指の保養地として知られた。タバコワイン果実などを産する。

[編集] 住民

アブハジアの人口については、紛争の続く地域であるため正式な統計は存在しないが、2006年の段階ではおおよそ16~19万人程度ではないかと見られている。ソビエト連邦時代における最後の国勢調査(1989年)では、人口は約52万人、そのうちの48%がグルジア人(その多くはグルジア系のメグレル人)、17%がアブハズ人であり、その他少数民族としてロシア人アルメニア人ギリシャ人などが居住していた。1990年代始めにグルジアからの独立を求める紛争が起こり、その過程で80%以上のグルジア系住民が国外へ脱出したほか、アブハジア人等の流出も発生し、人口は半分以下に減少した。なお、グルジア系住民減少の原因として、民族浄化の存在を指摘する声も存在する。紛争は未だ解決を見ておらず、アブハジアの人口減少は現在も続いている。

[編集] 歴史

[編集] 古代からロシアによる征服まで

カフカース西部に人が最初に住み着いたのは、紀元前4000年から紀元前3000年ごろのことである。紀元前9世紀から紀元前6世紀にかけて、現在のアブハジアは古代のコルヒダ王国の一部であった。紀元前63年にはエグリシ王国に組み込まれる。アブハジアの首都スフミは、この時代にギリシア人によって黒海沿岸に建設された交易港の一つディオスクリア(Διοσκουριάς) を起源としている。

エグリシ王国は1世紀ローマ帝国によって征服され、4世紀までその支配を受けた。その後は独立を回復したが、東ローマ帝国の影響下に置かれ続けた。6世紀半ばにはアブハズ人たちはキリスト教を奉じるようになった。7世紀から9世紀まで、アブハジアは、東ローマ帝国に服属しながらも、半ば独立した地位を保った。9世紀には、グルジア系のイメレティ王国に編入される。

16世紀、アブハジアを含む西グルジアはオスマン帝国に征服され、アブハズ人たちは一部イスラムに改宗した。その後、オスマン勢力は駆逐され、グルジア系の独立国家が建設された。

[編集] ロシアの支配・ソビエト連邦

ロシア帝国のカフカースへの進出は、住民の激しい抵抗に遭った。1801年から1864年にかけて、グルジアの国土は段階的にロシアに編入されていった。1829年から1842年の間に、アブハジアもロシアの保護下に置かれるようになり、1864年には主権が剥奪された。その過程で、ロシア帝国によるムスリムの迫害を恐れ、多くのアブハズ人がオスマン帝国に逃れた。アブハジア側の主張では、このときに残された土地に多くのアルメニア人やグルジア人、ロシア人が住み着いたことで、アブハズ人は少数派になった。ブリタニカ百科事典によれば、1911年のスフミの人口43,000人のうち、3分の2はグルジア系メグレル人、3分の1がアブハズ人である。

ロシア革命後、アブハジアはボリシェヴィキ政権から文化的・政治的な自治を与えられた。1931年にはスターリンによってグルジア・ソビエト共和国に属する自治共和国とされた。実際には自治はほとんど機能せず、グルジア化が強く進められた。アブハズ語が禁止されるとともにグルジア語公用語として強制され、多くのアブハズ人が粛清で命を落とした。グルジア人のアブハジアへの移住も奨励された。スターリンの死後になって、アブハジアの自治は回復された。

[編集] アブハジア紛争

1980年代末期にソビエト連邦の結束が崩れ始めると、グルジアの独立をめぐってアブハズ人とグルジア人のあいだに緊張が生まれた。すでに1989年には、独立グルジアへのアブハジアの統合が、グルジアの民族主義者たちによって声高に主張されていた。多くのアブハズ人たちは、新たな「グルジア化」につながるとの考えからこれに反対し、その代わりに、独立の共和国としてのアブハジアの建設を考え始めた。両者の論争は熱を帯び、1989年7月16日には、大学の学生の受け入れをめぐって、スフミで暴動が起こった。このとき、16人が死亡し、137人が負傷したと言われている。暴動は数日間続いた後、ソビエト軍によって鎮圧された。

1991年4月9日、グルジアが独立を宣言する。初代大統領ズヴィアド・ガムサフルディアは、1991年12月から1992年1月にかけての軍事クーデタで追放された。その後、1992年3月、ソビエト連邦の外務大臣であったエドゥアルド・シェワルナゼが最高権力者に就任する。

1992年2月21日、グルジアの軍事評議会は、ソビエト連邦期の憲法を廃止し、1921年に制定されたグルジア民主主義共和国の憲法を復活させることを宣言。これを、アブハズ人たちは、自治権の廃止ととらえた。これに応えて、1992年7月23日にはアブハジア自治政府が独立を宣言したが、国際的な認知は得られなかった。グルジア政府は3000人の部隊をアブハジアに送り、スフミにおいて、アブハジアの分離主義武装グループとのあいだで激しい戦闘が起こった。1週間の戦闘で双方に多くの犠牲者を出した末、グルジア政府はアブハジア自治政府を廃した。

アブハジア側の敗北の後、北コーカサス地方の諸共和国からやってきた義勇軍がアブハジアの分離主義グループに合流し、再びグルジア政府軍との交戦が始まった。1992年9月の反乱軍は攻勢によって、グルジア軍は劣勢に立った。シェワルナゼ政権は、アブハジアの分離主義者に対して密かに軍事的な支援を行っているとしてロシアを非難した。1992年から1993年にかけて、過激派指導者シャミル・バサエフはアブハジア紛争に武装勢力「チェチェン大隊」を率いて介入し、義勇軍を称してアブハジア独立を阻止する立場のグルジア政府軍と戦った。裏には、ロシア連邦軍参謀本部情報総局(GRU)の工作があったとされ、バサエフ麾下の武装勢力は、GRUによって直接訓練を受け、アブハジアに介入するように指示されたという。1992年末には、反乱軍がスフミ以西のアブハジアの大部分を掌握した。「民族浄化」が双方に起こり、この段階で約3000人が殺されたとされる。

1993年7月、アブハジア軍は、スフミを管理していたグルジア軍に対する攻撃に出た。町は包囲され、シェワルナゼも町中に幽閉される事態となった。7月末に停戦合意が成ったが、9月半ばにアブハジア軍が攻撃を再開したことで停戦は破られた。10日間の激しい戦闘を経て、1993年9月27日にスフミはアブハジア軍の手に落ちた。新たに大統領に指名されて間もないシェワルナゼはこのとき、何事が起ころうともスフミに留まると宣言していたが、滞在していたホテルが狙撃手によって攻撃され、ロシア海軍に助けられてスフミから脱出した。1993年10月国連安保理はアブハジアの軍事行動、民族浄化を非難。

折りしもサメグレロ地方で高まっていたズヴィアド・ガムサフルディア前大統領の支持者たちの騒乱に乗じて、アブハジア軍はアブハジアの大部分を手中に収めた。ここに至るまでに、ほぼすべての非アブハズ人の住民が陸路や海路で脱出し、その過程で約1万人が命を落としたと考えられている。25万人から30万人ほどの難民が発生した。

1994年5月15日停戦合意が成立し、国際連合平和維持軍が停戦の監視に当たっている。以後、戦闘は起こっていないが、その代わり、繰り返し行われている交渉による事態の大きな進展もない。グルジアの難民問題は深刻である。

アブハジア政府は1994年11月4日に新しい憲法を採択し、主権を宣言した。また、1996年11月23日には選挙が行われたが、グルジア政府や国際社会からは認知されていない。2004年10月にも再び大統領選挙が行われた。

2008年2月17日コソボ独立宣言や南オセチア紛争 (2008年)を受け、ロシアなど独立国家共同体(CIS)国際連合に対し、近くグルジアからの独立承認を求める方針を明らかにしたと報道された。8月20日、アブハジア議会はロシアに対する独立承認要請採択を承認した。8月26日、ロシアのメドヴェージェフ大統領が南オセチアと共にアブハジアのグルジアからの独立を認める大統領令に署名したことで、ロシアにグルジアの領土保全の意思がないことが明らかになり、欧米との対立がさらに激化することが懸念される。

2008年8月8日、アブハジアと同じくグルジアからの分離を求めて事実上独立状態にある南オセチア自治州にグルジア軍が侵攻。これに対してロシア軍がロシア人の保護を名目に同自治州に侵攻し、グルジアと戦争状態に突入した。翌9日にはアブハジアの一部を支配するグルジア軍に対してロシア軍による空爆が始まり、戦争がアブハジアにまで拡大しつつある。

[編集] 政治

アブハジアの国家元首は、大統領であり、行政府の長も兼ねる。大統領の任期は5年で、再選は2期までである。

内閣は、大統領に直属し、大統領の任期中に活動し、新大統領の選出とともに総辞職する。

議会は、一院制。任期5年、定数35人。

[編集] 外交

2006年6月14日、国際的に未承認のアブハジア、南オセチア沿ドニエストル共和国の3カ国の大統領が、スフミで会談を行い、共同声明の形で民主主義と民族の権利のための共同体の設立を宣言した。

2008年8月26日、ロシア連邦のメドヴェージェフ大統領は、アブハジアの独立を承認する大統領令に署名した。[1][2]。9月には、ニカラグアダニエル・オルテガ大統領が独立を承認した。2008年9月17日、ロシア連邦はアブハジアとの友好協力条約に調印した。

[編集] 軍事

軍事力としては、4,500~1万人程度の現役兵を有し、最大2万8千人までの予備役が動員可能である。装備としては、戦車 ×約100両(過半数がT-72)、火砲 ×237門(内152門が自走砲)、BM-21グラートロケット発射機 ×27門、BMP-1/2 ×80両、BTR×95両を保有している。

空軍は、Su-27 ×2機、MiG-23 ×1機、Su-25 ×2機、L-39 ×2機、An-2 ×2機、Yak-52 ×1機、Mi-24 ×3機、Mi-35 ×1機、Mi-14 ×6機、Mi-8 ×1機(Mi-8MTあるいはその派生型)、Mi-2 ×1機、UH-1 ×10機を保有し、7基の高射機関砲ZSU-23-4ZU-23-2が存在する。アブハジア紛争中、モーターグライダーも頻繁に使用された。

海軍は、ディーゼル船「コムソモーレツ・アブハジア」及び「スフミ」、舟艇「ラードゥガ-5」、「ラードゥガ-08」、並びに海上自走荷船を有する。全艦は、強襲揚陸、海上及び航空交通路の封鎖、並びに海上戦闘の実施のために設備されている。また、100 mm沿岸砲 ×4門が存在する。

[編集] 地方行政区分

7地区から成る。

  • ガグラ地区
  • グダウタ地区
  • スフミ地区
  • グリリプシュ地区
  • オチャムチラ地区
  • トクアルチャル地区
  • ガル地区

[編集] 郵便切手

アブハジアは珍しい郵便切手を発行することでコレクターに知られており、例えば1998年にはアメリカのビル・クリントン大統領とモニカ・ルインスキーの不倫疑惑を皮肉った郵便切手を数回に分けて発行している。

[編集] 注釈

  1. ^ Президент России | Указ «О признании Республики Абхазия»(ロシア政府公式サイト、2008年8月26日。2008年8月27日確認)
  2. ^ BBC NEWS | Europe | Russia recognises Georgian rebelsBBCニュース、2008年8月26日。2008年8月27日確認)

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

ウィキメディア・コモンズ
政府
日本政府