イメレティ州
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| イメレティ州 იმერეთის მხარე |
|
|---|---|
| — 州 — | |
| 「州」としての管轄区域 | |
| 州成立以前からの「イメレティ地方」 | |
| 座標: 北緯42度10分 東経42度59分 / 北緯42.167度 東経42.983度 | |
| 国 | グルジア |
| 行政 | |
| - 知事 | イラクリ・チョゴヴァゼ |
| 面積 | |
| - 計 | 6,552km2 (2,529.7mi2) |
| 人口 (2002年) | |
| - 計 | 700,000人 |
| - 人口密度 | 106.8人/km² (276.7人/mi²) |
| Region ISO 3166 code | GE-IM |
| Capital | Kutaisi |
| Districts | 10 districts, 1 city |
| ウェブサイト | imereti.ge/index.php?lang_id=ENG&sec_id=20&lang_id=GEO |
イメレティ州(グルジア語: იმერეთი მხარე、英: Imereti Province)は、グルジアの中部、リオニ川の下流域に位置する州。以下の地区から構成される。
県都クタイシのほか、サムトレジア、チアトゥラ(マンガン生産)、トキブリ(炭鉱)、ゼスタポニ(鉱業)、ホニ、サチュヘレなどの町でも工業が盛んである。昔からクワやブドウもつくられてきた。
古代後期から中世前期にかけて歴史上に現れた古代グルジア王国西部のエグリシ地方は、現在のイメレティ州にあったとされる。エグリシの王は523年にキリスト教を国教とした。975年から1466年までグルジア連合王国の一翼を担ったが、同王国の崩壊に伴い独立した。
17世紀から18世紀にかけてはトルコに頻繁に侵略され、1810年にロシア帝国に占領・併合される直前にはオスマン帝国の実質的な支配下に入っていた。最後のイメレティ王はソロモン2世(在 1789年 - 1810年)であった。1918年から1921年にかけてグルジア民主主義共和国に属したが、同国がソビエト社会主義共和国連邦(USSR)に滅ぼされると1922年からザカフカースSFSRに、1936年から1991年の独立までグルジアSSRに属した。
外部リンク [編集]
- 公式サイト (グルジア語)