沿ドニエストル共和国

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沿ドニエストル・モルドバ共和国
Република Молдовеняскэ Нистрянэ
沿ドニエストル共和国の国旗 沿ドニエストル共和国の国章
国旗 国章
国の標語:なし
国歌トランスニストリアよ、われら汝を称える
沿ドニエストル共和国の位置
公用語 モルドバ語
ロシア語
ウクライナ語
首都 ティラスポリ
最大の都市 ティラスポリ
政府
大統領 エフゲニー・シェフチュク
首相等 タティアナ・トゥランスカヤ
面積
総計 4,163km2暫定176位[1]
水面積率 不明
人口
総計(2014年 505,153人(暫定174位
人口密度 121.3人/km2
GDP(自国通貨表示)
合計(xxxx年 xxx,xxx沿ドニエストル・ルーブル
GDP(MER
合計(xxxx年 およそ4.2億ドル(???位
GDP(PPP
合計(xxxx年 xxx,xxxドル(???位
1人あたり xxxドル
独立
 - 宣言
モルドバから
1990年9月2日
通貨 沿ドニエストル・ルーブルPRB[2]
時間帯 UTC +2(DST:+3)
ISO 3166-1 なし
ccTLD なし
国際電話番号 373[3]
  1. ^ 3,567km2とも。
  2. ^ ISO 4217で正式に定められた通貨コードではない。
  3. ^ モルドバのもの。

沿ドニエストル・モルドバ共和国(えんドニエストル・モルドバきょうわこく)、通称沿ドニエストルは、東ヨーロッパモルドバの東部ドニエストル川東岸のウクライナ国境に接する地域

国際的にはモルドバ共和国の一部とみなされており、主権国家として承認されていないが、現在、モルドバ共和国政府の実効統治は及んでおらず、事実上の独立状態にある。

国名[編集]

正式名称はモルドバ語キリル文字)で、Република Молдовеняскэ Нистрянэ。略称は、РМН英語ラテン文字)の表記は、Pridnestrovian Moldavian Republic。略称は、PMR

なお、この地域は、ロシア語ではプリドニエスローヴィエプリドニエストルПриднестровье、Pridn'estrov'ye)、ルーマニア語ではトランスニストリア (Transnistria) と呼称する。国際機関ではトランスドニエストル (Transdniester) という呼称を用いている。略称はПМР (PMR) で、ロシア語の名称「Приднестро́вская Молда́вская Респу́блика」(Pridnestrovskaya Moldavskaya Respublika、沿ドニエストル・モルドバ共和国)に由来する。

歴史[編集]

ドニエストル川西岸の都市ベンデルを除けば、もともとこの地域はモルダビア公国ベッサラビアに属していなかった。 18世紀、ロシア帝国の西の国境であったこの一帯を防衛する意味もありロシア人ウクライナ人が移住した。ただし南スラブ族は、6世紀の後半からこの地域にいた。1924年にソ連がドニエストル河東岸にウクライナ・ソヴィエト社会主義共和国の構成部分としてモルダヴィア自治共和国を創設した。そのころはルーマニア人が大部分を占めており、ルーマニア語で教える学校も開校した。

1940年第二次世界大戦後にはモルダビア・ソビエト社会主義共和国の一部となる。

ソビエト連邦末期にモルドバ民族主義の昂揚により、モルダビアからモルドバへの国名変更や主権宣言が行われたことに対して、1990年にドニエストル川東岸のロシア系住民が「沿ドニエストル・ソビエト社会主義共和国」を宣言してモルドバから分離を目指した。さらに1990年9月2日には、「沿ドニエストル共和国」として独立を宣言。1992年にはトランスニストリア戦争に発展。7月、和平協定が締結され、ロシア、モルドバ、沿ドニエストル合同の平和維持軍 (Joint Control Commission, JCC) によって停戦監視が行われている。

先のモンテネグロの独立に影響を受けた共和国議会は2006年7月12日、沿ドニエストル共和国が国際的な独立の承認を受けた後にロシアに編入することなどの是非を問う住民投票を行うことを決めた。投票は同年9月17日に実施され、圧倒的多数で賛成票が反対票を上回った。

ところがモルドバのヘルシンキ人権委員会が当日現地に出向き出口調査等独自で監視を行ったところ、当局によって発表された70%を超えるという投票率に対し実際には10-30%しか確認できなかったこと、結果に関しても少なくとも2~3倍に水増しされたか全く捏造された不公正な投票である可能性が高いと発表している。かつ

  • 選挙当日には投票に行かない者を選挙後にルーマニアに強制的に移住させるという脅し文句で投票を強制させていた。
  • 過去にボイコットを行った反体制的国民は有権者のリストから除外されていること。
  • 公安や軍人がガードをしており投票所の近くに監視員が近づけないようにしていた投票場があったこと、また彼らが投票結果を改竄していたことなどが目撃されている。

この住民投票は欧州安全保障協力機構欧州連合アメリカ合衆国がそろってこの開催と結果を認めない声明をかねてより出している。欧州評議会においても議長国のロシアのみがこれを認める立場を固持しているのみである。また同様の住民投票は過去に数度行われており、今回のも含めて実際の影響力、ましてや拘束力は乏しいものといえる。

しかし2014年クリミア危機によって成立したクリミア共和国が、ロシアへの編入を求めた結果ロシア側から承認されたことに伴い、沿ドニエストル共和国政府は再びロシア下院に対してロシア連邦への編入を求めた[1]

政治[編集]

元首は大統領であり、大統領は国民による選挙で選出される。長くスミルノフ大統領による統治が続いたが、議会やシェリフ・グループ、さらには駐留ロシア軍、ロシア資本の意向も絡まり、一概には独裁体制といえない政治状況にある。2011年には選挙による政権交代が実現した。1940年代から1960年代のソビエト連邦のような政治文化が街中に色濃く残っているが、二代目大統領シェフチュクによる自由化の流れも見られる。軍事、経済をロシアに頼っており、欧米寄りのモルドバに対してロシア寄りの政策を採っている。旧ソ連軍の備蓄した膨大な量の武器(核兵器を含む[要出典])を保有しており、国際的な武器密輸疑惑で非難を受けている。

外交[編集]

2006年6月14日、国際的に未承認のアブハジア共和国南オセチア共和国、沿ドニエストル共和国の3か国の大統領が、スフミで会談を行い、共同声明の形で民主主義と民族の権利のための共同体の設立を宣言した。 国際的承認は無いが、ロシアなど国連加盟国6ヵ国から承認されているアブハジアと南オセチアと外交を持つため、言い方としては、国際的承認が少ない国連非加盟国からの承認を受けている国家、となる。

地方行政区分[編集]

地方行政区分

地区[編集]

地区 (район) 中心地
カーメンスキー地区 (Каменский) カーメンカ町 (пос. Каменска)
ルイブニツキー地区 (Рыбницкий) ルイブニツァ市 (г. Рыбница)
ドゥボッサルスキー地区 (Дубоссарский) ドゥベサリ市 (г. Дубоссары)
グリゴリオポリスキー地区 (Григориопольский) グリゴリオポリ町 (пос. Григориополь)
スロボゼイスキー地区 (Слободзейский) スロポゼヤ町 (пос. Слободзея)

共和国級市[編集]

国民[編集]

民族構成は、ルーマニア(モルドバ)系が31.9%、ウクライナ系が28.8%、ロシア系が30.4%。

1990年代の経済低迷により移民する人が多く、1989年に546,400人だったこの地域の人口は、2001年には633,600人までに増加した。ただ、年齢構成が高齢傾向にある。

公用語は、モルドバ語ロシア語ウクライナ語

経済[編集]

ソ連時代、重化学工業が立地しており、現在でも、鉄鋼、発電、セメント生産、繊維生産が盛んである。GDP(国内総生産)はおよそ10億ドル。また、独自通貨たる沿ドニエストル・ルーブルが国内で流通している。スミルノフ大統領の息子が経営するシェリフ・グループと呼ばれる企業グループがスーパーマーケット、ガソリンスタンド、携帯電話会社などを経営しており、大きな影響力を持っている。

脚注[編集]

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参考文献[編集]

廣瀬陽子『強権と不安の超大国・ロシア 旧ソ連諸国から見た「光と影」』光文社新書、2008年 ―第2章「『未承認国家』という名の火薬庫」に著者の沿ドニエストル訪問記が収録されている。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

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