ダニエル・オルテガ
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ダニエル・ホセ・オルテガ・サアベドラ(Daniel José Ortega Saavedra, 1945年11月11日 -)は、ニカラグアの政治家。サンディニスタ民族解放戦線(FSLN)の指導者。1985年から1990年までニカラグアの大統領。2006年11月のニカラグア大統領選挙に勝利し、16年ぶりに大統領に再選、2007年1月に就任している。
[編集] 経歴
ラ・リベルタ市出身。法学専攻で中米大学を卒業。アナスタシオ・ソモサ・ガルシアの統治時代、政権打倒に賛成し、革命学生戦線の一員となる。1963年、サンディニスタ民族解放戦線に加入し、1965年から学生運動の全権代表として同戦線の指導部に入った。
1967年~1974年、反政府活動で逮捕、拘留された。FSLNの作戦により釈放されると仲間と共にキューバに亡命し、軍事訓練を受けた。帰国後、1975年~1976年、FSLNの北部戦線部隊を指揮し、1977年~1979年、南部戦線部隊を指揮。
1979年、アナスタシオ・ソモサ・デバイレ政権打倒後、国家再建暫定民主政府指導者会議に入る。1980年9月からサンディニスタ人民革命監督国家委員会委員。1981年~1985年、国家再建政府指導者会議の調整官、1985年からサンディニスタ民族解放戦線国家指導部執行委員会の調整官。
1984年の民主的選挙に国民の支持を受けて当選し、1985年1月10日から1990年4月25日まで、ニカラグア共和国大統領を勤めた。この第一次オルテガ政権では大規模な私有財産の国有化が行われ、反対者は秘密警察を通じて徹底的に弾圧(誘拐・拷問・投獄など)された。この政策は多くの知識人・富裕層をロサンゼルス、マイアミに亡命させることになり、かっては中米一の繁栄を誇ったニカラグア経済は壊滅的な打撃を受けた(1990年のGDPはソモサ政権末期の30%以下)。その後10年以上も欧米OECD諸国が何百億円ものODAをつぎ込んだが、ニカラグアは未だに1980年のGDPのレベルにまで到達できていない。
1991年から、サンディニスタ民族解放戦線書記長。1990年、1996年、2001年の大統領選挙に出馬したが、落選した。また、ダニエル・オルテガのセクハラが養女によって告発され、スキャンダルとなってFSLNの腐敗が噂された。この間、サンディニスタ民族解放戦線は、イデオロギー上の立場を修正し、政治的・経済的過激主義を放棄し、国民の70%を占める貧困層中で支持を集めた。
2006年11月5日に行われた大統領選挙で当選し、2007年1月10日(現地時間)に就任。選挙前に行った法改正(国民の過半数の信任を得なくても、第一候補であれば当選できる)、強力なライバルであったエルティ・ルイッツの謎の急死などに助けられとはいえ、34-36%の支持率での辛勝であった。当選後は大統領官邸に居住せず、FSLN党本部から指揮をとっている。
[編集] パーソナル
将官の階級と革命司令官の名誉称号を有する。
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