千鳥ケ淵戦没者墓苑

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千鳥ケ淵戦没者墓苑
Chidorigafuchi National Cemetery
Chidorigafuchi National Cemetery1.JPG
千鳥ケ淵戦没者墓苑の六角堂
所在地
分類 国民公園等
面積 1万6063平方メートル[1]
開園 1959年3月28日
運営者 環境省
現況 35万8260柱の遺骨を安置[2]
2013年5月時点)
設備・遊具 六角堂
昭和天皇御製の碑
今上陛下御製の碑
前屋
休憩所
駐車場
建築家・技術者 谷口吉郎(建築物の設計)
田村剛(庭園の設計)
内藤春治(下賜骨壺の意匠)
産業工芸試験所(納骨壺の意匠)
事務所 千鳥ケ淵戦没者墓苑管理事務所
事務所所在地 東京都千代田区三番町2番地
公式サイト 千鳥ケ淵戦没者墓苑[環境省]
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千鳥ケ淵戦没者墓苑(ちどりがふちせんぼつしゃぼえん、英語Chidorigafuchi National Cemetery)は、日本戦没者慰霊施設。第二次世界大戦の戦没者の遺骨のうち、遺族に引き渡すことができなかった遺骨を安置している。公園としての性格を有する墓地公園とされており、環境省が所管する国民公園等のひとつである。千鳥ヶ淵戦没者墓苑国立千鳥ケ淵戦没者墓苑(こくりつちどりがふちせんぼつしゃぼえん)、国立千鳥ヶ淵戦没者墓苑とも表記される。

概要[編集]

前屋と掲揚された国旗

千鳥ケ淵戦没者墓苑は、第二次世界大戦の折に国外で死亡した日本の軍人軍属民間人の遺骨のうち、身元不明や引き取り手のない遺骨を安置する施設である[3]閣議決定「『無名戦没者の墓』に関する件」に基づき、1959年に創建された[3][4]政教分離の原則により、特定の宗教宗派に属さない施設とされている。

東京都千代田区千鳥ヶ淵のほとりに立地し、苑内には六角堂などの施設が建てられている[3]昭和天皇から下賜された骨壺に各地の遺骨を少しずつ納め、それを全戦没者の象徴として六角堂に安置している[5]。また、納骨室や増設納骨室には、およそ35万8000柱以上の遺骨が安置されている[3]皇居外苑などの国民公園と同様に国が直接管理しており、敷地の維持運営を環境省が担っている[6][7]。なお、苑内の増設納骨室は厚生労働省によって管理されている[8]

例年、厚生労働省によって戦没者を慰霊する拝礼式が挙行されており[3]皇族内閣総理大臣などが参列する[9]。また、毎年終戦の日には、内閣総理大臣が参拝するのが恒例となっている[10]

施設・設備[編集]

敷地[編集]

1989年に撮影された航空写真。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成

東京都千代田区三番町2番地に位置し、1万6063平方メートルの広大な敷地を持つ[1]。国が維持管理する戦没者の納骨施設であり、公園としての性格を有する墓地公園とされている[11]。そのため、皇居外苑などの国民公園に、千鳥ケ淵戦没者墓苑と戦後強制抑留及び引揚死没者慰霊碑苑地を加えて「国民公園等」と総称されており、それらの維持管理は環境省が所管している[6]

環境省においては自然環境局の総務課が所管しており[12][13]、その下部機関である千鳥ケ淵戦没者墓苑管理事務所が維持管理にあたっている[14][15]。また、千鳥ケ淵戦没者墓苑の維持奉賛のため、公益財団法人として千鳥ケ淵戦没者墓苑奉仕会が組織されており、清掃等の維持管理に協力している[16][17]

千鳥ケ淵戦没者墓苑の庭園は、田村剛が設計を手掛けた[18]。苑内には、全日本無名戦没者合葬墓建設会が日本国民から募った募金や関係機関などにより、およそ4000本の樹木が植樹された[19]。主に常緑樹が植えられており、それにケヤキなどの落葉樹が交ぜられている[2][20]。このような植栽となったのは、国の戦没者墓苑としてふさわしい厳粛な空間となるように、との配慮に基づいている[2][20]。そのため、苑内の花木は控えめになっている[19]

一般の拝礼は通年で可とされている[21][22]。公開時間は、4月から9月にかけては午前9時から午後5時まで、10月から3月にかけては午前9時から午後4時まで、とされている[23][24]

六角堂[編集]

六角堂の献花台と陶棺
増設納骨室

六角堂は遺骨を安置する納骨堂であり、上空から見ると六角形に見える外観を持つ[25]。六角堂をはじめとする千鳥ケ淵戦没者墓苑の建物は、谷口吉郎が設計を手掛けた[18]

六角堂の中央には、古代の豪族の寝棺を模した陶棺が設置されている[20][25]。この陶棺の製造は、九州耐火煉瓦が手掛けた[26]。第二次世界大戦時の日本の主な戦場から石を採取し、それを材料として高熱で焼き上げ、陶器の棺としたものである[25]。質量は5トンに達しており、世界的に見てもこれほど大きな陶製品は稀である[25]。この陶棺の中には、昭和天皇より下賜された骨壺が納められている[5][20][25]。下賜された骨壺は、内藤春治が意匠を手掛け[18]、内藤をはじめとする東京芸術大学の教員7名によって製作された[26]茶壺のような形状をした金銅製の壺であり[25]、表面は金箔で仕上げられている[5]。全戦没者の象徴]とするため、第二次世界大戦時の各戦場の遺骨を骨壺に少しずつ納め、それを陶棺の中に安置している[5][20][25]

六角堂の中央部の地下には、主な戦域ごとに本土周辺、満州中国フィリピン東南アジア太平洋ソ連の6部屋に分けた納骨室が設けられている[25]。その中には、遺族]に引き渡すことができなかった第二次世界大戦の戦没者の遺骨が、鋳鉄製の納骨壺に納められ安置されている[25]。納骨壺については、工業技術院の産業工芸試験所が意匠を手掛け[18]、老子製作所が製造を手掛けた[26]

2013年5月の時点で、35万8260柱の遺骨が安置されている[2]。遺骨の収集は今なお継続されており、のちに納骨室の収容能力に限界が生じることとなった。そのため、1991年2000年に、六角堂の奥正面に納骨室が新たに増設されることとなった[25]。それ以降、遺骨は増設された納骨室の方に納められることとなった[25]。ただ、増設納骨室の地上部には、六角堂のような施設や設備は特に設けられていなかった。そのため、増設納骨室の直上にビニール[シートを敷いて花見に興ずるなど、暴挙に及ぶ者が現れた[27]。この事態を受け、衆議院議員保坂展人が施設を改善するよう主張するなど[27]、国会でも問題となった。

標石・石碑[編集]

標石

2か所ある入口には、それぞれ「千鳥ヶ渕戦没者墓苑」[28]と記された標石が置かれている。これは、墓苑創建時の内閣総理大臣である岸信介の筆によるものである[28]。また、標石の裏には、「昭和三十四年三月二十八日建之 厚生省」[28]と記されている。これは、墓苑創建時の厚生大臣である坂田道太の筆によるものである[28]

また、苑内には「昭和天皇御製の碑」が建立されている[5][20][25]。千鳥ケ淵戦没者墓苑創建の際、昭和天皇より下賜された御製が刻まれている[5][20][25]。碑文は、雍仁親王妃勢津子の筆によるものである[20][25]。この石碑は千鳥ケ淵戦没者墓苑奉仕会によって建立され、1960年に竣工し、国に寄附された[5]。また、苑内には「今上陛下御製の碑」も建立されている[20][25]。終戦60周年となった年の歌会始の儀において、今上天皇が詠んだ御製が刻まれている[20][25]。碑文は、正仁親王妃華子の筆によるものである[20][25]。この石碑は2005年に竣工した[20][25]

行事[編集]

六角堂の祭壇と陶棺

拝礼式[編集]

例年5月になると、厚生労働省が主催する「拝礼式」が執り行われる[3]。直近一年間で戦没者遺骨帰還団などが新たに収容した遺骨のうち、身元不明や引き取り手のない遺骨が、厚生労働大臣によって納骨される[29]。拝礼式には、皇族や内閣総理大臣などが参列することが慣例となっている[30][31][32][33][34][35]。そのほかにも、外務大臣、環境大臣、防衛大臣など関係する国務大臣や、関係国から日本に派遣された特命全権大使衆議院厚生労働委員長参議院厚生労働委員長、各政党の代表者、都道府県知事の代表者、日本遺族会会長、遺族代表者、千鳥ケ淵戦没者墓苑奉仕会会長などが参列し、献花などを行う[29]。六角堂の祭壇には天皇、皇后から下賜された大きな花籠が飾られ、皇宮警察本部音楽隊などが国歌などの演奏を担当する[9]

秋季慰霊祭[編集]

例年秋になると、千鳥ケ淵戦没者墓苑奉仕会が主催する「秋季慰霊祭」が執り行われる[36]。慰霊祭には、皇族や国務大臣などが参列することが慣例となっている[36]。そのほかにも、関係国から日本に派遣された特命全権大使や、遺族の代表者など、およそ1000名が参列し、献花などを行う[36]。また、陸上自衛隊海上自衛隊航空自衛隊からも、それぞれを代表する部隊が参列し、部隊参拝を行う[36]。そのほか、献茶の儀や、昭和天皇や今上天皇の御製の奉誦などが行われる[36]。なお、陸上自衛隊中央音楽隊などが国歌などの演奏を担当する[36]

その他の行事[編集]

拝礼式や秋季慰霊祭以外にも、一年を通じて各種団体の慰霊行事が行われる。

大日本帝国陸軍と陸上自衛隊ならびに航空自衛隊の関係者にて構成される偕行社は、千鳥ケ淵戦没者墓苑にて月例参拝を続けている[37]。同様に、大日本帝国海軍および海上自衛隊の関係者にて構成される水交会も、千鳥ケ淵戦没者墓苑での月例参拝を続けている[37]。また、防衛大学校では、神奈川県横須賀市にあるキャンパスから夜通し歩いて千鳥ケ淵戦没者墓苑などを参拝する「東京行進」と呼ばれる行事があり、学生有志により運営される伝統行事となっている[38]

なお、施設自体は特定宗派の宗教性を帯びないため、仏教神道キリスト教等の各種宗教団体も行事を行う。苑内で行事を行う際には、環境大臣の許可を要する。

名称[編集]

銘板

堀]名称としての「千鳥ヶ淵」は小書きの「ヶ」で表記されることが多いが、墓苑の名称としての「千鳥ケ淵戦没者墓苑」は大きい「ケ」で表記されることが多い。環境省設置法など法令においては、いずれも大きい「ケ」を用いて「千鳥ケ淵戦没者墓苑」[6][12][13][15][39]と表記されている。環境省の下部機関として墓苑を維持管理する「千鳥ケ淵戦没者墓苑管理事務所」についても、同様に大きい「ケ」を用いて表記される。環境省組織規則など法令においては、いずれも大きい「ケ」を用いて「千鳥ケ淵戦没者墓苑管理事務所」[14][40]と表記されている。そのため、環境省の公式ウェブサイトなどでは、「千鳥ケ淵戦没者墓苑」[11]と表記することが多い。しかし、墓苑の維持奉賛を担う千鳥ケ淵戦没者墓苑奉仕会の公式ウェブサイトでは小書きの「ヶ」と大きい「ケ」が混在するなど[41]、小書きの「ヶ」を用いて「千鳥ヶ淵戦没者墓苑」と表記されることもしばしば見受けられる。銘板標識などにおいても、小書きの「ヶ」が用いられることがある。

また、かつては「淵」ではなく「渕」を用いて「千鳥ヶ渕戦没者墓苑」と表記されることもあった。岸信介の筆による標石にも「千鳥ヶ渕戦没者墓苑」[28]と記されている。なお、「渕」は「淵」の俗字である[42]

沿革[編集]

墓苑入口 (千鳥ヶ渕緑道)

多くの日本人は、その宗教観から遺骨を重視し、また、外国で斃れた者の遺骨は故国故郷に安置して慰霊すべきと考える。

第二次世界大戦により、海外で死亡した日本人(海外戦没者)の数は、約240万人(軍人軍属・約210万人、一般邦人・約30万人)に及ぶとされる。終戦後、海外戦没者の遺骨は、復員者により持ち帰られ、あるいは、アメリカ軍から送還された。さらに、連合国軍による占領統治からの独立を果たした1952年(昭和27年)4月頃から、日本政府も国外戦没者の遺骨収集を開始した。これら国外戦没者の遺骨のうち、身元の判明した分については遺族に引き渡された。身元不詳の遺骨や引き取り手のない遺骨については厚生省(遺骨収集事業を所管)の本省庁舎や市ヶ谷庁舎に仮安置され、その増加につれ、安置・慰霊方法の確立が求められた。

政府は、終戦後早くから、各国にある「無名戦士の墓」のような慰霊施設の建設を企図していた。独立後、その動きは、日本遺族会・日本宗教連盟・海外戦没者慰霊委員会・全日本無名戦没者合葬墓建設会等の諸団体の活動や身元不詳遺骨の増加もあって活発になる。

公的な慰霊施設建設については、日本国憲法が定める政教分離原則への抵触も懸念されたが、内閣法制局・厚生省・文部省等による検討の結果、支障なしとの結論に至る。

諸団体の意見を聴取し、関係機関や有識者による検討を経た後、1953年(昭和28年)12月11日、「戦没者遺骨の内、氏名判明せざるもの並びに遺族不明のためお渡しできぬものを、国が建設する「無名戦没者の墓」(仮称)に収納し、国の責任において維持管理する」との方針を閣議決定する。その背景には、1953年に来日したアメリカ合衆国副大統領リチャード・ニクソンが、靖国神社参拝を断ったという経緯もある。

この閣議決定の後も、施設の名称・性格・敷地等について各方面から様々な意見が交わされた。1956年(昭和31年)11月には千鳥ケ淵の宮内庁管理地(旧賀陽宮邸跡)に敷地が定められ、1958年(昭和33年)7月に着工、1959年(昭和34年)3月28日に竣工した。この日、厚生省主催の竣工および追悼式が執り行われ、昭和天皇と香淳皇后が臨席し、内閣総理大臣等が参列した。

なお、墓苑を管轄する千代田区は千鳥ケ淵を墓地、埋葬等に関する法律上の「墓」として認めておらず(墓地であれば個別埋葬を要する)、法的性格は「倉庫」「保管庫」に過ぎない事が2001年(平成13年)に発覚した[43]

2013年10月3日、米国のケリー国務長官とヘーゲル国防長官が日米安全保障協議委員会のため来日のおり献花した。米国の閣僚が訪れるのは初めてとされる[44]

拡充計画[編集]

2006年(平成18年)7月、自由民主党政調会長中川秀直は、千鳥ケ淵戦没者墓苑の周辺にある国有地も取り込み、墓苑を公園のように拡充・整備する計画があることを示した。

靖国神社問題が過熱した以降、極東国際軍事裁判にてA級戦犯として処された者を合祀している靖国神社に代わる「新たな宗教的に中立な」追悼施設の必要性を訴える声が増えた為、この拡充計画は千鳥ケ淵戦没者墓苑をアーリントン国立墓地のような宗教的に中立に見える追悼施設に生まれ変わらせる事が目的だと見られている[45]

脚注[編集]

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  1. ^ a b 「千鳥ケ淵戦没者墓苑」『各公園の特徴 || 国民公園及び千鳥ケ淵戦没者墓苑[環境省]環境省自然環境局総務課国民公園係
  2. ^ a b c d 「公園紹介」『公園紹介 || 千鳥ケ淵戦没者墓苑[環境省]環境省千鳥ケ淵戦没者墓苑管理事務所
  3. ^ a b c d e f 「千鳥ケ淵戦没者墓苑」『千鳥ケ淵戦没者墓苑[環境省]環境省千鳥ケ淵戦没者墓苑管理事務所
  4. ^ 「無名戦没者の墓」に関する件。
  5. ^ a b c d e f g 「昭和天皇からお骨壺と御製の御下賜」『千鳥ヶ淵戦没者墓苑の沿革』千鳥ケ淵戦没者墓苑奉仕会。
  6. ^ a b c 環境省設置法第4条第15号。
  7. ^ 「国民公園等」『国民公園等の概要 || 国民公園及び千鳥ケ淵戦没者墓苑[環境省]』環境省自然環境局総務課国民公園係。
  8. ^ 厚生労働省「千鳥ヶ淵戦没者墓苑について」『追悼・平和祈念のための記念碑等施設の在り方を考える懇談会内閣官房内閣広報室2002年2月1日
  9. ^ a b 「平成25年度厚生労働省主催拝礼式」『千鳥ヶ淵戦没者墓苑の近況』千鳥ケ淵戦没者墓苑奉仕会、2013年5月27日
  10. ^ 「終戦68周年・安倍内閣総理大臣の参拝」『千鳥ヶ淵戦没者墓苑の近況』千鳥ケ淵戦没者墓苑奉仕会、2013年8月15日
  11. ^ a b 「国民公園及び千鳥ケ淵戦没者墓苑」『国民公園及び千鳥ケ淵戦没者墓苑[環境省]』環境省自然環境局総務課国民公園係。
  12. ^ a b 環境省組織令第7条第7号。
  13. ^ a b 環境省組織令第38条第8号。
  14. ^ a b 環境省組織規則第20条第1項。
  15. ^ a b 環境省組織規則第20条第3項。
  16. ^ 「関係団体」『関係団体 || 国民公園及び千鳥ケ淵戦没者墓苑[環境省]』環境省自然環境局総務課国民公園係。
  17. ^ 「(公財)千鳥ヶ淵戦没者墓苑奉仕会の活動の概要」『公益財団法人 千鳥ヶ淵戦没者墓苑奉仕会について』千鳥ケ淵戦没者墓苑奉仕会。
  18. ^ a b c d 厚生省援護局庶務課記録係編集『続々・引揚援護の記録』厚生省、1963年、263頁。
  19. ^ a b 「戦没者墓苑の植樹」『千鳥ヶ淵戦没者墓苑の施設等』千鳥ケ淵戦没者墓苑奉仕会。
  20. ^ a b c d e f g h i j k l 「戦没者墓苑の施設」『千鳥ヶ淵戦没者墓苑の施設等』千鳥ケ淵戦没者墓苑奉仕会。
  21. ^ 新宿御苑、千鳥ケ淵戦没者墓苑並びに戦後強制抑留及び引揚死没者慰霊碑苑地の公開日時等を定める件第2条第1項。
  22. ^ 「公開日」『公開日時案内 || 千鳥ケ淵戦没者墓苑[環境省]環境省千鳥ケ淵戦没者墓苑管理事務所
  23. ^ 新宿御苑、千鳥ケ淵戦没者墓苑並びに戦後強制抑留及び引揚死没者慰霊碑苑地の公開日時等を定める件第2条第2項。
  24. ^ 「公開時間」『公開日時案内 || 千鳥ケ淵戦没者墓苑[環境省]』環境省千鳥ケ淵戦没者墓苑管理事務所。
  25. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 「施設案内」『施設案内 || 千鳥ケ淵戦没者墓苑[環境省]環境省千鳥ケ淵戦没者墓苑管理事務所
  26. ^ a b c 厚生省援護局庶務課記録係編集『続々・引揚援護の記録』厚生省1963年、264頁。
  27. ^ a b 保坂展人千鳥ヶ淵戦没者墓苑の遺骨収容施設の改善に関する質問主意書2001年5月28日
  28. ^ a b c d e 厚生省援護局庶務課記録係編集『続々・引揚援護の記録』厚生省、1963年、267頁。
  29. ^ a b 社会・援護局援護企画課・外事室「千鳥ヶ淵戦没者墓苑拝礼式の開催」『千鳥ヶ淵戦没者墓苑拝礼式の開催(5/27(月) 12:30~) |報道発表資料|厚生労働省』厚生労働省、2013年5月20日
  30. ^ 「千鳥ヶ淵戦没者墓苑拝礼式」『福田総理の動き-千鳥ヶ淵戦没者墓苑拝礼式-内閣官房内閣広報室2008年5月26日
  31. ^ 「千鳥ヶ淵戦没者墓苑拝礼式」『麻生総理の動き-千鳥ヶ淵戦没者墓苑拝礼式-内閣官房内閣広報室、2009年5月25日
  32. ^ 「千鳥ヶ淵戦没者墓苑拝礼式」『鳩山総理の動き 千鳥ヶ淵戦没者墓苑拝礼式|首相官邸ホームページ』内閣官房内閣広報室、2010年5月31日
  33. ^ 「千鳥ヶ淵戦没者墓苑拝礼式」『菅総理の動き 千鳥ヶ淵戦没者墓苑拝礼式|首相官邸ホームページ内閣官房内閣広報室2011年5月30日
  34. ^ 「千鳥ヶ淵戦没者墓苑拝礼式」『平成24年5月28日 千鳥ヶ淵戦没者墓苑拝礼式 | 平成24年 | 総理の一日 | 総理大臣 | 首相官邸ホームページ』内閣官房内閣広報室、2012年5月28日
  35. ^ 「千鳥ヶ淵戦没者墓苑拝礼式」『平成25年5月27日 千鳥ヶ淵戦没者墓苑拝礼式 | 平成25年 | 総理の一日 | 総理大臣 | 首相官邸ホームページ』内閣官房内閣広報室、2013年5月27日
  36. ^ a b c d e f 「平成25年度秋季慰霊祭」『秋季慰霊祭/春・秋のお茶会』千鳥ケ淵戦没者墓苑奉仕会、2013年10月18日
  37. ^ a b 「平成26年2月及び3月の戦没者墓苑主要行事及び参拝予定等」『千鳥ヶ淵戦没者墓苑の四季』千鳥ケ淵戦没者墓苑奉仕会。
  38. ^ 山岡将大「『東京行進』終えて」『自衛隊ニュース2011年2月1日(3)』防衛ホーム新聞社、2011年2月1日
  39. ^ 国民公園、千鳥ケ淵戦没者墓苑並びに戦後強制抑留及び引揚死没者慰霊碑苑地管理規則第1条。
  40. ^ 人事院規則九―一二三第2条第39号。
  41. ^ 「国立千鳥ヶ淵戦没者墓苑」『千鳥ヶ淵戦没者墓苑』千鳥ケ淵戦没者墓苑奉仕会。
  42. ^ 小池和夫『異体字の世界――旧字・俗字・略字の漢字百科』最新版、河出書房新社2013年、74頁。
  43. ^ 秋山格之助:朝日新聞2003年2月9日付「私の視点―遺骨の扱い違法で残酷」
  44. ^ “千鳥ケ淵墓苑両長官が訪問”. 読売新聞. (2013年10月4日). "13S版2面" 
  45. ^ 山崎氏、千鳥ケ淵墓苑が最有力候補地と指摘 産経新聞 2006年7月2日

関連事項[編集]

外部リンク[編集]

座標: 北緯35度41分24秒 東経139度44分49秒 / 北緯35.69000度 東経139.74694度 / 35.69000; 139.74694