ジャーナリスト
| 報道 |
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| ニュース / スタイル 倫理 / 客観性 価値 / 情報源 名誉毀損 編集の独立 ジャーナリズムスクール |
| 分野 |
| ジャンル |
| 社会的影響 |
| 報道機関 |
| 役割 |
| Category:報道 |
ジャーナリスト(journalist)とは、新聞、雑誌など、あらゆるメディアに記事や素材を提供する人、または職業である。ジャーナリストという呼称自体が人物に対する社会的評価であるという見方もある。明治時代には「操觚者」と訳された。
目次 |
概要 [編集]
発祥 [編集]
19世紀はじめごろはチャールズ・ディケンズのような、ジャーナル (journal) に記事を書く人を指した。
これが転じて新聞やジャーナルの記事を書く人を指すようになった。ジャーナリストとは、新聞社やテレビ局など報道機関に所属して取材活動を行う者もいれば、特定の報道機関に所属しないでフリーランスとして取材活動を行う者もいる。前者に関しては、報道機関に所属しているという点で、ジャーナリストとしての一定の資質や能力が推定される。フリーランスのジャーナリストにおける資質や能力に関しては下記を参照のこと。
ジャーナリストの定義 [編集]
基本的にはメディアに寄稿する人の事を指す。
欧米諸国では大学ないし大学院におけるジャーナリズム教育も盛んに行われており、オンブズマン制度が浸透しており[1]、政府機関が記者会見に参加するための記者証を発行の基準が存在している。フリーのジャーナリストは新聞社、テレビ局、(まれに専門出版社)でジャーナリズムの実務経験を積んだ後で転身するケースがほとんどである。
一方で日本においては「ジャーナリスト」と自称する際の特別な基準は存在せず、ジャーナリストとなるために教育システムや制度は整備されていない。より専門的な分野を得意としていることを示すために、“**ジャーナリスト”(例:国際ジャーナリスト、軍事ジャーナリスト、経済ジャーナリスト、教育ジャーナリスト、芸能ジャーナリスト、中東ジャーナリストなど)を自称することもある。ただし、日本における「ジャーナリスト」は文章を採用するメディアが取捨選択する過程で自然淘汰されることにまかせている状態であり、資質や能力に問題がある者がジャーナリストに相応しくないとして強制的に排除されるシステムは存在しない。そのため、文章作成を初めとする能力、資質、倫理観などが欠如している者でも何らかのメディアに寄稿さえしていれば「ジャーナリスト」と自称しても間違いとまでは言えないが、ジャーナリストと呼ぶに値するかの点では議論の対象になる。
ジャーナリストは事実に対する現状や意義、展望を報道する専門家であるとされるが、ジャーナリストの倫理観や政治的態度に基づいて左右され、ジャーナリスト自身の経済的基盤、個人的利害関係が記事の内容に大きく影響を与えるケースもある。特定の団体に所属していないジャーナリストの中には「フリージャーナリスト」と自称する者も多いが、出稿媒体や取材対象との利害関係がないことを示すものではない。
ジャーナリストとして社会的に高い評価を受けるには、報道の正確性・客観性のみならず、報道対象の選定も重要となる。例えば、犯罪とは無関係の全く無名の私人について報道したところで、いかに内容が正確であっても単なるプライバシーの侵害にしかならないとも解釈できる。適切な報道対象の選定を行う能力、正確かつ客観的な報道を行う能力を兼ね備えなければ、ジャーナリストとして評価を受ける事は出来ないのである。
社会的評価を受けているジャーナリストの書いた記事や報道(ジャーナリズム)は影響が大きい。フリージャーナリストの草分けである黒田清のように「ジャーナリズムの基本は伝えることではなく弱者の訴えを代弁する事」を信念とするものもいるように、日本独自に発展したジャーナリズム観も生まれている。
ニュース雑誌の巻頭を飾るような記事を、雑誌社に売り込むことを仕事にしているフリージャーナリストのことは「トップ屋」と呼ばれた。トップ屋と呼ばれた人物としては梶山季之、草柳大蔵、竹中労、五島勉、吉原公一郎、大下英治などがいる。
なお、ゴシップ誌に代表される芸能人の結婚・離婚などのスキャンダル情報を主に扱うジャーナリズムは、イエロージャーナリズムと呼ばれる。大新聞の記者らは、週刊誌、実話系雑誌、ミニコミ雑誌、イエロージャーナリズムなどを軽視し、差別する傾向がある。イエロージャーナリズムをジャーナリズムに含めるべきかどうかは常に論争となる点ではあるが、報道にかかわる者に階級をつけたり、差別したりしない姿勢が必要である。
分業制 [編集]
ジャーナリストの中でも、特に記事執筆のために必要なデータ収集を専門とする人間を「データマン」、そしてデータマンの集めてきたデータを元に記事を執筆する人間を「アンカーマン」と呼ぶ。
いわばデータマンはアンカーマンのアシスタント的な役割を果たしており、多くのジャーナリストはまずデータマンとして経歴をスタートし、経験を積んだ上でアンカーマンとなるのが一般的である。テレビのニュース番組の司会者(ニュースキャスター)のことを「アンカーマン」と呼ぶのは、この用法が転じたものである。
研究や評価 [編集]
社会に広く情報を提供する役割を担っているため、ジャーナリスト自身がしばしば研究の対象ともなる。
その人の政治的な選好や出身階級、性別などにどのような偏りがあるか、それがどのようなバイアスに結びつくか、といった研究や、個々のジャーナリストの活動や判断についての評論などが存在する。これらの評論は、ジャーナリストの信頼性等を評価する意味で有用であったり、そもそもジャーナリストと呼ぶに値しない者を排除するシステムとしても機能している。ジャーナリストとして活動を行い始めた時点で、彼らは公人とならざるを得ない宿命があり彼ら自身の態度ならびに態度変容にいたるまで観察ならびに研究対象とされる。例えば、前科前歴のある者がジャーナリストを名乗った場合、ジャーナリストの公人性により前科等の言及は名誉毀損とはならず、むしろ積極的な研究の対象となるのである。
国際的に情報技術の高度な発展により、一般人でも、個人のウェブサイトやブログなどを用いて容易に情報発信活動を行うことが技術的に可能になっている。情報を受信する者にとっては、一定の時間内で「無意味な」情報を無視し、「有意義な」情報収集を行わなければならないため、情報の価値や真贋を見抜くリテラシー能力がより一層求められているが、各個人の情報リテラシーにはおのずと限界がある。そのため、ジャーナリストによって発信される情報は、情報収集の過程で重要な意味を持つ。情報発信者はジャーナリストを名乗ることで情報発信力を強める事が出来るため、「ジャーナリスト」の肩書きは濫用される傾向にある。
企業等の対応 [編集]
近年のインターネットの発達により、ブログなどのメディアを主な発表の場として活動するジャーナリストが増加しているが、それらのジャーナリストに対する対応は企業によってまちまちである。個人ジャーナリストに対しても積極的に情報提供を行い企業の広報活動に利用しようとする企業がある反面、個人ジャーナリストを警戒し、新聞社等の紹介があった場合のみ対応する、あるいは個人の取材を受け付けないという方針を持つ企業も存在する。
多くの企業では、社会的評価を得ていない個人ジャーナリストへの対応は、原則として一般個人の活動として扱う実務が定着してきた。
関連著作 [編集]
- 『職業としてのジャーナリスト』 本多勝一 朝日文庫 1984年 ISBN 4022608137
- 『メディアの海を漂流して』 筑紫哲也 朝日文庫 1985年 ISBN 4022603402
- 『時代を読むノート』 田原総一朗 講談社文庫 1986年 ISBN 4061838830
- 『オトナのメディア・リテラシー』 渡辺真由子 リベルタ出版 2007年 ISBN 4903724077
- 『現代世界を斬る!ジャーナリスティックな地図 世界・日本』 帝国書院 2008年 ISBN 4807157914
- 『「個」としてのジャーナリスト』(石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞記念講座2008)花田達朗編 早稲田大学出版部 2008年 ISBN 9784657089076
- 『「可視化」のジャーナリスト』(石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞記念講座2009)花田達朗編 早稲田大学出版部 2009年 ISBN 9784657099129
- 『超入門ジャーナリズム』 小黒 純・李 相哲・西村 敏雄・松浦 哲郎 晃洋書房 2010年 ISBN 9784771021617
- 『「境界」に立つジャーナリスト』(石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞記念講座2010)花田達朗編 早稲田大学出版部 2010年 ISBN 9784657102201
- 『「対話」のジャーナリスト』(石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞記念講座2011)花田達朗編 早稲田大学出版部 2011年 ISBN 9784657110138
関連項目・人物 [編集]
- 噂の真相
- 池上彰
- 岡留安則
- 鳥越俊太郎
- 久米宏
- 筑紫哲也
- 本多勝一
- ベトナム戦争
- ウォルター・クロンカイト
- カール・バーンスタイン
- ウォーターゲート事件
- 竹中労
- 黒田清
- ウィキリークス
- 公民権運動
- 朝日ジャーナル
- 日本読書新聞
- 現代思想
- トップ屋
- ルポライター
- 報道(ジャーナリズム)
- 記者クラブ
- 記者
- 新聞
- 雑誌
- テレビ
- ルポルタージュ
- リポーター (reporter)
脚注 [編集]
- ^ 早稲田大学 オピニオンバックナンバー(2003) No.61 ジャーナリズムの倫理と教育