オウム真理教事件

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オウム真理教事件(おうむしんりきょうじけん)とは、1980年代後半から1990年代中期にかけてオウム真理教が起こした事件の総称である。

目次

[編集] 概要

オウム真理教の教祖である麻原彰晃が救済の名の下に日本を支配して、自らその王になることを空想し、それを現実化する過程で教団と敵対する人物の殺害や無差別テロを実施した。

一連の事件で28人の死者を出し、6千人以上の負傷者が出た。

特に注目される事件として、教団に敵対する弁護士とその家族を皆殺しにした1989年11月坂本堤弁護士一家殺害事件、教団松本支部立ち退きを担当する判事殺害を目的としてサリンを散布し計7人の死者を出した1994年6月27日の松本サリン事件、教団への捜査の攪乱と首都圏の混乱を目的に5両の地下鉄車両にサリンを散布して計12人の死者を出した1995年3月20日の地下鉄サリン事件があげられる。

地下鉄サリン事件以降484人の信者が逮捕され、189人が起訴されている。

裁判では教団幹部に対し、13人の死刑判決(内7人が上告中)、5人の無期懲役判決が出されている。2009年4月20日、無期懲役判決を言い渡された被告人1名の上告が棄却され、死刑以外の判決を受けた者の刑が全員確定した。

[編集] 強制捜査

地下鉄サリン事件発生から2日後、オウムの活動拠点である山梨県西八代郡上九一色村(現・南都留郡富士河口湖町)へ目黒公証人役場事務長拉致監禁致死事件の実行犯を逮捕を目的に強制捜査が開始される。その後もオウム関連施設への強制捜査が続けられ、オウム事件の解明が進む。

そして5月16日、麻原彰晃を逮捕するため、第6サティアン一帯の強制捜査が始まった[1]。現場前線での指揮は山田正治理事官が執った。自衛隊から貸し出しを受けた迷彩仕様の化学防護服に身を包み完全武装した数百名に及ぶ警視庁捜査員、山梨県警捜査員、また警察の中に化学防護服の扱いに慣れている者が少なかったため、応援としてかけつけた自衛官が一斉に上九一色村に入り即座に付近一帯を全面封鎖。付近住民を避難させサティアン内の捜索を開始。信者の確保、証拠品押収にも全力を注いだが、何よりも麻原の確保を最優先に考え麻原逮捕に全力を傾けた。事前の警察への匿名による密告情報では『麻原はサティアン内の中二階に引き篭もっている』ということだったのでサティアン内へ捜査員を潜入させ内部の重点捜索を行った。捜索から数時間後、事前の密告情報による中二階は存在しないことが判明し、捜査撹乱を狙った密告であったと判断した山田に焦りの色が見え始めた頃、サティアン内の屋根裏に不審人物が横たわっているとの報告が入る。この不審人物が麻原であった[2]。捜査員が踏み込んだ際は逃亡する気配すら無く横たわったままほとんど身動きしなかったので重度の身体障害があるのかとも思われたが、現場へ赴いた山田が「麻原か?」と尋ねると「…はい」と弱々しく答え自認した為その場から表へ出し、9時45分緊急逮捕した。数名の武装捜査員によりサティアンから出された麻原は警察側の連れてきた医師によって身体に異常が無いか調べられた後、特に怪我も無く異常無しと診断されたのでそのまま警察車両で護送された[3]

[編集] 警視庁・山梨県警

当時の上九一色村の第6サティアンは毒ガステロを引き起こした犯罪組織の本拠地ということでサリン等の毒ガス使用も懸念された。この為、強制捜査にあたる捜査員全員に化学防護服の着用が命令され銃撃戦の恐れもあるとして捜査員全員が拳銃携帯にてサティアン捜索に臨んだ。日本警察による犯罪捜査において捜査員全員が拳銃携帯で犯罪者の確保にあたることは実に稀なことで、いつも大半の捜査員は拳銃を持たずに捜査を行っているのだが、今回は相手があまりにも凶悪な犯罪組織であった為、捜査員の生命の安全を考え全員武装での捜査となった。通常、拳銃を携帯しても予備の弾薬まで携行することはないのだが、本件では予備の弾薬を携行して行った捜査員もいる。

当時の上九一色村は山梨県内にあるので本来は山梨県警察の管轄事件だが、今回のケースは警視庁管内で発生した事件と同一犯であったことと事件の規模があまりにも大きかったので警視庁主導での合同捜査が展開された。山梨県警からも大量の捜査員が派遣され警視庁捜査員と合流し隊列を組んで上九一色村へ向かった。これら大多数の捜査員の後を追って多数のマスコミ取材班も現場へ派遣されている。

[編集] 機動隊

テロ事件ということで警視庁刑事部の他に警備部も動員され、警視庁管轄下の機動隊員(警視庁および山梨県警を含む関東管区警察局管内の機動隊員ら)が大多数動員され山梨県上九一色村のオウム真理教第6サティアンへ派遣された。

警視庁刑事部捜査一課と山梨県警から動員された数百名の捜査員に加わり現場での捜索活動及び後方支援を展開。信者からの銃撃が想定されたので機動隊員もガスマスクと拳銃を装備し厳重警戒態勢にて現地入りした。

[編集] 防衛庁・自衛隊

防衛庁(現・防衛省)は、オウム真理教が海外で軍事訓練なども行っている武装集団であり、強制捜査時に於ける組織的な武力抵抗により、警察力での対処が困難な場合の治安出動の可能性を考慮し、陸上自衛隊東部方面隊に対し第三種非常勤務態勢を発令していた。 また、教団がロシアヘリコプターおよびラジコンヘリコプターを所有していたことから、それを利用した無差別テロ攻撃に対処する為、木更津駐屯地の東部方面隊第4対戦車ヘリコプター隊に出動準備命令が出ていた[4]と言われている[誰?]。 また第一空挺団も、教団が武力抵抗した場合、制圧するよう命令が下っていたといわれている。

[編集] オウム真理教関係特別手配被疑者

麻原ら教団主要幹部らは逮捕され裁判にかけられたが、オウム真理教事件に関与した重要容疑者である平田信高橋克也菊地直子が未だ逃亡中であり、警察庁は3名を全国指名手配し、現在も全国中の警察による懸命の捜索が行われている。

刑事訴訟法第254条2項により、オウム逃亡犯は共犯者の起訴から結審まで公訴時効が停止されている。

[編集] 主な事件一覧

オウム真理教事件
発生年月日 事件名 死者 動機
1989年2月 男性信者殺害事件 1名 教団に反発した信者の殺害
1989年11月 坂本堤弁護士一家殺害事件 3名 教団に敵対した弁護士の殺害
1993年11月以降 サリンプラント建設事件 なし 不特定多数の殺害を目的としたサリンの生成
1994年1月30日 薬剤師リンチ殺人事件 1名 教団から脱退させようとした人物の殺害
1994年5月9日 滝本弁護士サリン襲撃事件 なし 教団に敵対した弁護士の殺害
1994年6月以降 自動小銃密造事件 なし 教団の武装化
1994年6月27日 松本サリン事件 8名 教団松本支部立ち退きを担当する判事殺害
1994年7月10日 男性現役信者リンチ殺人事件 1名 スパイを疑われた信者の殺害
1994年12月2日 駐車場経営者VX襲撃事件 なし 教団を脱走した信者を匿った駐車場経営者の殺害
1994年12月12日 会社員VX殺害事件 1名 スパイを疑われた信者の殺害
1995年1月4日 被害者の会会長VX襲撃事件 なし 教団に敵対した被害者の会会長の殺害
1995年2月28日 目黒公証人役場事務長拉致監禁致死事件 1名 目黒公証人役場事務長が匿った多額の布施を見込める信者奪還
1995年3月20日 地下鉄サリン事件 12名 教団への捜査の攪乱と首都圏の混乱
1995年4月・5月 新宿駅青酸ガス事件 なし 教団への捜査の攪乱と首都圏の混乱
1995年5月16日 東京都庁小包爆弾事件 なし 教団解散権限を持つ都知事への妨害と教団への捜査の攪乱

[編集] 犯人

オウム真理教事件
人物














































































V
X






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X










V
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宿















身柄拘束日 判決
麻原彰晃     1995年5月16日 死刑
松本知子                             1995年6月26日 懲役6年
村井秀夫                 刺殺(1995年4月23日)
早川紀代秀                         1995年4月19日 死刑
井上嘉浩               1995年5月15日 死刑(上告中)
新実智光             1995年4月12日 死刑(上告中)
岡崎一明                           1995年9月6日 死刑
中川智正         1995年5月17日 死刑(上告中)
青山吉伸                             1995年5月4日 懲役12年
林郁夫                           1995年4月8日 無期懲役
遠藤誠一                       1995年4月26日 死刑(上告中)
土谷正実                     1995年4月26日 死刑(上告中)
越川真一                             懲役10年
飯田エリ子                             1995年5月29日 懲役6年6ヶ月
横山真人                           1995年5月16日 死刑
北村浩一                             1996年11月14日 無期懲役
外崎清隆                             1995年5月16日 無期懲役
林泰男                         1996年12月3日 死刑
豊田亨                       1995年5月15日 死刑(上告中)
広瀬健一                           1995年5月16日 死刑(上告中)
杉本繁郎                         1995年5月16日 無期懲役
渡部和実                           1995年5月16日 懲役14年
中村昇                       1995年7月9日 無期懲役
大内利裕                             1998年4月 懲役8年
富田隆                           1995年 懲役17年
端本悟                         1995年7月9日 死刑
富永昌宏                         1995年10月8日 懲役15年
山形明                         1995年5月4日 懲役20年
平田信                             逃亡中
高橋克也                           逃亡中
菊地直子                             逃亡中

[編集] 脚注

  1. ^ この際に指揮を執ったのは警視庁井上幸彦警視総監寺尾正大捜査一課長。
  2. ^ 山田によれば麻原は髭は伸び放題で着衣も薄汚れ、目は虚ろで極度のアルコール中毒患者か廃人のようであったという。当時の麻原は尿失禁もしていた。
  3. ^ 当初護送は警視庁が保有していたV-107大型輸送ヘリコプターで行われる予定だったが、当日悪天候の為ヘリコプターが飛べず、警察車両での護送に変更された。
  4. ^ 出動した場合、目標の撃墜も許可されていた

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク