攻撃ヘリコプター
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攻撃ヘリコプター(こうげきヘリコプター:Attack Helicopter)とは、武器を搭載し対地攻撃を主任務とする軍用のヘリコプターである。対戦車ヘリコプター、戦闘ヘリコプターなどと呼ばれることもある。
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[編集] 概要
攻撃ヘリコプターとは、主に機関砲やロケット弾・対戦車ミサイルなどの対地攻撃兵器を装備する機体を指す軍用ヘリコプターの一種。自衛用対空装備として短距離空対空ミサイルを搭載する機種も存在する。輸送用ヘリに武装を施したガンシップから、その当初から戦闘用として開発されたものまで幅広い。なお、その当初から攻撃能力を有するヘリコプターを攻撃ヘリコプターと呼び、輸送用ヘリに武装を施すなど、後に改良によって攻撃能力を取得したヘリは武装ヘリコプターと呼ばれる。
しかしながら攻撃ヘリコプターには、戦場において携行式地対空ミサイルによる攻撃によって撃墜されるリスクが大であり、遍在性に欠け、常にある特定の地域を確保するといった任務には不向きであるなど、脆弱性も存在する。天候にもある程度その活動は左右されることになる。
[編集] 歴史
[編集] 武装ヘリの芽生え
第二次世界大戦末期に実用化されたヘリコプターはその後急速に進歩し、朝鮮戦争の頃には航空戦力として欠かせない存在と認知されていた。しかし、当時のヘリコプターの能力はまだまだ低劣で、着弾計測を始めとする目視偵察や連絡任務、撃墜された航空機搭乗員の捜索、負傷兵の搬送などが主な任務であった。アメリカ海兵隊の史上初のヘリボーン作戦が行われ、注目を集めたのもこの頃であるが、やはりヘリが戦闘に直接参加する事態は避けられた。
1950年代後半に入り、シコルスキー社のUH-34やパイアセッキ社[1]のCH-21などの新型ヘリが登場し、その能力は大幅に向上した。だが、アメリカ陸軍内部ではヘリコプターはあくまでの補助的な機種に過ぎないとする見解が依然有力であった。これに対し、アラバマ州フォート・ラッカーの陸軍航空学校では、ヘリコプターに兵装を施し、地上部隊に火力支援を行うという構想が芽生えていた。1956年、陸軍航空学校長のカール・ハットン准将は、同校の戦闘開発部長を務めていたジェイ・バンダープール大佐に対し、武装ヘリコプターに関する研究を進めるように指示した。これは陸軍上層部の許可を得ていたわけでないため、人員や機材は航空学校内の予算等でやり繰りが行われた。
航空学校ではベル・エアクラフト社H-13に7.62mm機関砲を搭載した武装ヘリコプターを手はじめに、H-19、CH-21、UH-34に7.62mm、12.7mm機関銃、20mm機関砲、2.75inロケット弾を搭載して試験が繰り返された。この試験の存在はほどなく陸軍上層部の知るところとなり、1957年には武装ヘリコプター関連を専門に行う航空戦闘偵察小隊(ACRP)の編成が、航空学校内に認めている。この小隊は翌年3月には中隊規模に拡張され、名称を第7292臨時航空戦闘偵察中隊と改称された。
しかし、当時のヘリコプターはレプシロ・エンジンを搭載したものが主流であり、振動や飛行性能、搭載能力などの点で問題も多く、テストは決して順調とは言えなかった。だが、1960年代に入り、武装ヘリコプターに関するコンセプトは一応、完成の域に達した。
[編集] ガンシップの登場
ベトナム戦争においてはアメリカ陸軍は、ヘリボーン作戦を多用した。初のへリボーン作戦は1961年12月23日のことであり、サイゴン北方のタンソンニュット基地所属のアメリカ陸軍第8、第57輸送中隊が、CH-21を用いて南ベトナム陸軍空挺部隊をサイゴン西方約16kmの解放戦線拠点に展開させた。以降、アメリカ軍はヘリコプターによる輸送作戦の重要性を認識し、翌1962年には更にヘリ三個中隊をベトナムに派遣した。アメリカ海兵隊も同年にヘリ部隊を送り込んでいる。この大規模なヘリ本作戦に、投書解放戦線側は激しい反撃を行う事はなかったが、それでも着陸進入時等に小火器による反撃を行った。これに対し、アメリカ陸軍はCH-21の前部ドアに7.62mm機銃を搭載し、着陸時の制圧射撃を行うようになったが、機銃の射角やヘリ自体の機動性の低さから効果は上がらなかった。
ヘリボーン作戦にエスコートヘリの必要性を迫られたアメリカ陸軍は、1962年春から当時最新鋭輸送ヘリコプターであったUH-1イロコイ(採用当初はHU-1)汎用ヘリコプターの武装型(ガンシップ型)の研究を開始した。同年7月25日から沖縄で、15機のUH-1を有するUTTHCO(汎用戦術輸送ヘリコプター中隊)が編成され、10月9日にはベトナムへと派遣された。この中隊のUH-1は、M60またはM37C 7.62m機関銃二挺とロケット弾ポッド二個をスキッド上に搭載していた。翌年の1963年にはエンジンを換装し、メーカーによる本格的な艤装を施したUH-1Bを11機追加で配備している。このガンシップ型UH-1BはXM-156ユニバーサル・マウントが胴体後部に装着され、このマウントにはXM-6Eアーマメント・サブ・フライトシステムが取り付けられていた。
UTTHCOは1962年10月から約5ヵ月間、武装ヘリの実戦運用試験を行った。1,800時間にも及ぶ試験の結果、護衛する輸送ヘリの被弾率は50%以上減少し、その有効性を証明した。また、その運用性格上、射撃制圧時による反撃を多々受けたが、損害は1機のみであった。この試験でUTTHCOは、総じて5~7機のガンシップで20機から25機の輸送ヘリを護衛する事が可能という結論を出した。
一方で、1963年1月2日に第93輸送中隊のCH-21が4機と護衛についていた1機のUH-1、計5機のヘリが解放戦線の重機関銃や迫撃砲によって撃墜されるという大損害が発生している。この時はアメリカ空軍による支援で事なきを得たが、これを戦訓としアメリカ空軍は武装ヘリ・ガンシップへの過度な依存は危険であると強く指摘した[2]。
また、武装ヘリコプターはその武装や装甲故に速度が低下し、護衛すべき輸送ヘリコプターに追従できなくなる事態も発生し、運用に困難な面が多発し始める。よって、本格的な武装(攻撃)ヘリコプターの導入が急務である事は明白であったが、アメリカ陸軍が入手可能な攻撃ヘリは当面存在しなかった。しかし、UH-1Bの多彩な兵装システムは、その後登場する本格的な攻撃ヘリコプター(AH-1G)の開発に大きく寄与する事となる。
[編集] AAFSSの始動
ベトナム戦争で浮き彫りとなった武装ヘリ・ガンシップの問題点は、その重量増加による巡航速度の低下と生存性の低さであった。元々が輸送用ヘリコプターとして開発された機体に、後付けで機関銃やロケット弾ポッド、装甲板等を付け加える訳であるから、本来の機体バランスを低下させるには十分であった。これによって、設計の段階から重火器を搭載する事を前提とした攻撃ヘリコプターの開発が求められた。
当時、UH-1の開発メーカーであったベル社は、自社資金で攻撃ヘリコプターの独自研究を行っていた。1962年にはD225イロコイ・ウォリアと呼ばれるモックアップを完成させ、攻撃ヘリにはタンデム式コックピットと、機首下面にターレットを備えさせる事が有効であるとした。続いて、OH-13を改造した実験機「モデル207」を製作する。この機体もタンデム式コックピットを採用し、胴体のスタブウィングにはロケット弾ポッドが搭載されていた。「モデル207」は飛行性能こそ低かったものの、約300時間の試験飛行でタンデム式コックピットとその兵装システムが、攻撃ヘリコプターに最も適していることが確認された。
1964年にアメリカ陸軍は、これらの研究結果や成果を踏まえ、本格的な攻撃ヘリコプター開発計画「AAFSS(発展型空中火力支援システム)」を立案し、アメリカ国内の各メーカーに要求仕様を提示した。いくつかの機体の検討を行った上で、ロッキード社のAH-56が採用された。しかし、開発が順調に進んだとしても、本格的な配備が1970年以降になるとの見通しが既に立てられていたため、アメリカ陸軍はAAFSSの機種選定の段階で、暫定的攻撃ヘリコプターの開発を念頭に置いていた。暫定攻撃ヘリは現用ヘリを攻撃ヘリに転換させるという方法をとったが、1965年にAAFSSのコンペティションにベル社が提出した「モデル209」がAH-1 ヒューイコブラとして採用されている。よって、このAH-1が世界初の攻撃ヘリコプターとなった。その特徴は、大量の武装を搭載しても輸送ヘリコプターに追随できる速力・地上攻撃のための高い機動性・重武装搭載能力にあった。とくに錯綜する地形でも使い勝手がよく、敵の拠点を襲撃したり、敵機甲部隊を攻撃するのには非常にむいた兵器となった。このAH-1の(というよりモデル207)採用したタンデム式コックピットや機首下面やスタブウィングに武装を搭載する兵装システムは、後に登場する各国の攻撃ヘリコプターの手本となった。一方のAH-56はコスト高や開発の遅滞、構想の大幅な見直しなどによりキャンセルされている。
詳細はAH-1 コブラやAH-56 シャイアンを参照。
[編集] 多様・多彩化
AH-1の登場以降、世界各国において攻撃ヘリコプターの開発・運用が相次いだ。1980年代のアフガニスタンにおいては、ソ連軍が山岳地帯の対ゲリラ攻撃や輸送機等の護衛にMi-24を多用した。1991年の湾岸戦争においては、アメリカ陸軍のAH-64A アパッチがイラク軍の戦車を多数撃破。2003年のイラク戦争でもAH-64D アパッチやAH-1W スーパーコブラが戦果を上げている。特に搭載される兵装は対地攻撃兵器のみならず、自衛用の空対空ミサイルを保有する機体も登場した。また、火器管制装置を含む、アビオニクス類の発展も目覚ましい。
なお、武装ヘリコプターは攻撃ヘリコプターの登場後も広く使用されており、特に冷戦終結後はより汎用性の高い武装ヘリコプターを攻撃ヘリコプターより好んで採用している国も多い。
[編集] 主な攻撃ヘリコプター
- 汎用ヘリコプターに武装を取り付けたヘリコプター(武装ヘリコプター)
- ウラン・ウデ Mi-8AMTSh テルミナートル (ロシア)
- PZL-シフィドニク W-3W/WAソクウ、W-3WBフザル (ポーランド)
- MBB PAH-1
- アエロスパシアル SA341 ガゼル (フランス)
- ウエストランド リンクス (イギリス)
ヘリコプターはどんな機種でも(理論上は)武装ヘリコプターとして運用が可能であるが、実際には被弾率や運動性などの点から、UH-1 イロコイやUH-60 ブラックホークに代表される中型汎用ヘリコプターやOH-6 カイユースのような小型ヘリコプターが武装ヘリとして運用されることが多い。
- 対地攻撃を前提に設計されたヘリコプター(狭義の攻撃ヘリコプター)
- ベル AH-1 コブラ (アメリカ合衆国)
- ベル AH-1W スーパーコブラ (アメリカ合衆国)
- ロッキード AH-56 シャイアン ※開発中止(アメリカ合衆国)
- マクドネル・ダグラス(現ボーイング) AH-64 アパッチ (アメリカ合衆国)
- マクドネル・ダグラス(現ボーイング) AH-64D アパッチ・ロングボウ (アメリカ合衆国)
- ミル Mi-24 (NATOコードネーム:ハインド) (ソ連・ロシア)
- ミル Mi-28 (NATOコードネーム:ハヴォック) (ソ連・ロシア)
- カモフ Ka-50 チョールナヤ・アクーラ (NATOコードネーム:ホーカム) (ソ連・ロシア)
- カモフ Ka-52 アリガートル (ソ連・ロシア)
- アグスタ A129 マングスタ (イタリア)
- ユーロコプター ティーガー (ヨーロッパ)
- デネル AH-2ローイファルク (南アフリカ共和国)
- ボーイング RAH-66 コマンチ※開発中止(アメリカ合衆国)
- 武直-10(中華人民共和国)
[編集] 偵察・軽攻撃ヘリコプター
- 川崎 OH-1 ニンジャ (日本)
- ベル OH-58 カイオワ (アメリカ合衆国)
- ヒューズ OH-6 カイユース(アメリカ合衆国)
- ボーイング・シコルスキー RAH-66 コマンチ (アメリカ合衆国) 2004年に開発計画中止
- PZL-シフィドニク Mi-2US/URN (ポーランド)
- PZL-シフィドニク Mi-2URP/URP-G/URS (ポーランド)
[編集] 脚注
- ^ バードル社の旧名(現ボーイング・ヘリコプター)
- ^ これは、自前の対地攻撃能力を陸軍側が手にする事を、空軍側が嫌ったためでもあった。この後の本格的な攻撃ヘリコプター開発構想の段階でも、空軍側は当初強い反対の姿勢を取っている。
[編集] 参考文献
- ミリタリー・イラストレイテッド22「戦うヘリコプター」ワールドフォトプレス編:ISBN 4334707963 光文社

