ベトナム共和国

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ベトナム共和国
Việt Nam Cộng Hòa
ベトナム国 1955年 - 1975年 南ベトナム共和国
南ベトナムの国旗 南ベトナムの国章
(国旗) (国章)
国の標語:
Tổ quốc - Danh dự - Trách nhiệm (1954年-1967年)
(ベトナム語 : 祖国、名誉、責任)
Tổ quốc - Công minh - Liêm chính (1967年-1975年)
(ベトナム語 : 祖国、公明、廉正)
国歌: Tiếng gọi Công dân
南ベトナムの位置
公用語 ベトナム語
首都 サイゴン
大統領
1955年 - 1963年 ゴ・ディン・ジエム
1963年 - 1964年 ズオン・バン・ミン
1964年 - 1964年 グエン・カーン
1964年 - 1965年 ファン・カク・スー
1965年 - 1975年 グエン・バン・チュー
1975年 - 1975年 チャン・バン・フォン
1975年 - 1975年 ズオン・バン・ミン
首相
1963年 - 1964年 グエン・ゴク・ト
1975年 - 1975年 ブ・バン・マウ
面積
1973年 173,809km²
人口
1973年 19,370,000人
変遷
成立 1955年10月26日
消滅 1975年4月30日
通貨 ベトナム共和国ドン
時間帯 UTC +7
ベトナム
ベトナム社会主義共和国の国章

ベトナムの歴史


主な出来事
仏領インドシナ成立
仏印進駐 · 太平洋戦争
ベトナム八月革命
第一次インドシナ戦争
ベトナム戦争 · 中越戦争
ドイモイ


ベトナム共産党
南ベトナム解放民族戦線
共産主義
ホー・チ・ミン思想


「国家」
ベトナム民主共和国
ベトナム国
ベトナム共和国
南ベトナム共和国
自由ベトナム臨時政府
ベトナム社会主義共和国
越南民国臨時政府


人物
ファン・ボイ・チャウ
グエン・タイ・ホック英語版
バオ・ダイ
ホー・チ・ミン
ボー・グエン・ザップ
ゴ・ディン・ジエム
ゴ・ディン・ヌー
マダム・ヌー
グエン・ミン・チェット
グエン・カオ・キ
グエン・タン・ズン
ノン・ドゥック・マイン


言語
ベトナム語 · チュノム
クオック・グー

[編集]

ベトナム共和国(ベトナムきょうわこく、Việt Nam Cộng Hòa越南共和)は、1955年から1975年までベトナム南部に存在した国家である。ベトナム国に続き、北緯17度線以南の地域を領土としていたことから、南ベトナムと略称される。

概要[編集]

分断国家の一つであり、ベトナム民主共和国(北ベトナム)と対峙して反共産主義的な立場をとっていた。国家としての実体は1975年北ベトナムとの戦争に敗戦し消滅したが、現在では亡命政府である自由ベトナム臨時政府アメリカ合衆国で組織されている。

建国までの経緯[編集]

第二次世界大戦後、日本軍の撤退とフランス植民地主義者のいない権力の空白期にインドシナ共産党統一戦線組織であったベトミンが山岳地帯から都市部に進撃しハノイ・クーデターによってチャン・チョン・キム政権を突如・崩壊に追い込み強引に独立宣言を発して政権樹立をした。この動きに反対した宗主国フランスは、「コーチシナ共和国」(1946年-1948年)を建国したり、ベトナム臨時中央政府(1948年-1949年)を経て、バオ・ダイを国長に担いで「ベトナム国」(1949年-1955年)を建国したり、親仏政権を樹立したが、いずれも民衆からの支持が得られないまま失敗し、やがてベトミン政権は実質的に中ソの支援を受ける共産主義政権となり、フランス駐留軍とのあいだで軍事衝突が起き第一次インドシナ戦争(1946年-1954年)に突入した。北ベトナムは、ソ連や成立間もない中華人民共和国からの軍事援助を背景にフランス軍を追い込む事に成功した。

この戦争に敗退したフランスの実情を憂いたアメリカは、ドミノ理論(ある一国が共産化すれば、ドミノ倒しのように近隣諸国も共産化する=東欧諸国、国共内戦後の毛沢東による中国、またのちの王制廃止後のラオス、・ポル・ポト政権下のカンボジアなどのように)を提唱して、アジアにおいて共産主義の拡大を防ぐため、フランス撤退後のベトナムにおいて共産主義を嫌悪する旧・阮朝の宮廷官史や民族主義者・自由主義者と計らい、1955年10月26日、アメリカの支援により、ゴ・ディン・ジェムが南部で反対勢力(バオ・ダイ派)を一掃し、国名を「ベトナム共和国」(1955年-1975年)として政権を発足させた。

歴史[編集]

  • 1955年10月26日 - アメリカの後ろ盾により、ゴ・ディン・ジエムが反対勢力(特にバオ・ダイ派)を一掃する事に成功。国号を「ベトナム共和国」として、初代大統領に就任。
  • 1960年 - 南ベトナム解放民族戦線(NLF、ベトコン)が成立し、ジエム政権とアメリカの打倒を掲げてゲリラ活動を開始、政府軍との内戦状態に陥る(ベトナム戦争の勃発)。
  • 1963年 - ジエム政権が行なうカトリック優遇政策に仏教徒らが反発、焼身自殺を行なう。この出来事により、各地で抗議デモが頻発した。
  • 1963年11月1日 - 軍事クーデターによりジエム政権崩壊。
  • 1964年 - トンキン湾事件(武力介入のための捏造事件)発生。これを契機として、アメリカ軍がベトナム戦争に本格介入を開始。
  • 1964年 - 軍事クーデターが続発し、南ベトナムの社会が不安定化(~1967年)。
  • 1967年 - 軍事政権のグエン・バン・チュー政権(副大統領:グエン・カオ・キ)が成立。
  • 1968年 - NLFがテト攻勢を行う。(テトは旧正月の意。)
  • 1968年5月10日 - チュー政権が民政化。パリ和平会談実施(南北ベトナム、アメリカ)
  • 1969年6月8日 - NLFが南ベトナム共和国臨時革命政府を樹立。
  • 1973年1月 - 南北ベトナム政府、臨時革命政府、アメリカの4者がパリ和平協定に調印し、アメリカ軍が撤退。
  • 1975年3月 - NLF・北ベトナム軍の、ベトナム共和国支配地域への猛攻始まる
  • 1975年4月30日 - サイゴン陥落・ベトナム戦争終結により、ベトナム共和国が消滅。

地理[編集]

南ベトナムの地図

国土面積は173,809km²であった。最高峰はフエやダナンに近いアンナン山脈のアトゥアト山(2,500m)である。

主な都市[編集]

政治[編集]

議会制民主主義を標榜していたが、その短い歴史の中で軍隊クーデターを起こすことにより対立する政権を転覆させ、国政を掌握させる事例が相次いだ。これは長らくにわたる植民地圧政下で宗主国による愚民化政策が、有能な政治勢力の形成を阻んだり、独立運動民族運動を弾圧したことにも起因している。

歴代大統領・国家元首[編集]

経済[編集]

通貨ピアストルであった。重工業はほとんど存在しておらず、軽工業及び農業が中心であったが経済活動は活発であった。また、アメリカやフランス日本などからの各種支援に大きく依存していた。

交通[編集]

都市部における公共交通機関はバスタクシーシクロなどが中心で、鉄道網は充実しておらず、地下鉄は存在していなかった。また、諸外国との交通手段は、近隣諸国との間は長距離バスが中心であった。なお、エア・ベトナムが、東南アジア各国の都市に乗り入れを行っていた他、日本にも羽田空港伊丹空港(サイゴン発大阪経由東京便)へ乗り入れていた。

首都サイゴン周辺やメコンデルタ地方では、サイゴン川メコン川などの河川の本支流や運河などの水路が発達しており、伝統的なサンパンジャンクを使用した水運が盛んに利用された。

国民[編集]

1973年の人口は19,370,000人であった。民族構成はベト人(越人、京人)やホア族(華人)3%、タイ人(ターイ族、タイー族)、クメール人(クメール族)などの他、多くの少数民族がいた。

言語[編集]

言語はベトナム語が公用語であった。その他、中国語クメール語なども使われており、フランス領インドシナ時代の影響から、少数のエリート層の間では、フランス語も話されていた。

宗教[編集]

宗教は仏教(主に大乗仏教)が大半を占め、その他、道教ローマ・カトリックなどがあった。またホアハオ教や、混淆宗教としてのカオダイ教が教勢を保っていた。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]