雷撃機

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第二次世界大戦中にイギリス海軍が使用した雷撃機・ソードフィッシュ
胴体下に魚雷を搭載。

雷撃機(らいげきき)とは、軍用機の一種。雷撃航空魚雷による対水上艦攻撃)に特化した飛行機。通常、水平爆撃を兼務することができる。

対艦ミサイルの開発までは、魚雷航空機による艦船攻撃の重要な一手段だった。第一次世界大戦でもイギリス海軍航空隊による一部使用例があるが、本格的に運用されたのは第二次世界大戦である。第二次世界大戦後は対艦ミサイルの登場により使われなくなり、現在は全く存在しない。

第二次世界大戦で使用された雷撃機[編集]

日米英といった海軍国では、雷撃戦を想定した航空機を開発配備していた。その他の国でも陸上用の爆撃機に魚雷を搭載して運用することがあった。

アメリカ合衆国[編集]

アメリカ海軍は魚雷による艦船の撃破を目的とした機種を雷撃爆撃機(Torpedo Bomber トーピード・ボマー)と呼称した。

TBは雷撃・爆撃を行える機体 (Torpedo Bomber) であることを意味する符号であり、DやFは開発・生産を行った会社の符号である。このほか、PBYカタリナが魚雷2本の搭載能力をもっていたが、実戦で雷撃任務に就いたことはなかった。また、陸軍も一時期マーチンB-26などの中型爆撃機による雷撃を行ったが、後に反跳爆撃に切り替えた。

日本[編集]

日本海軍では急降下爆撃の能力をもたない代わりに大型爆弾または魚雷を搭載可能で長距離の作戦が可能な(3座の)爆撃機艦上攻撃機と呼称した。

重い魚雷を搭載可能な上に急降下爆撃が可能な強度をもった機体の航空機は、エンジン出力の不足によって第二次世界大戦後期までは作ることができなかった。したがって、次の2種類の名称の機体に分かれた。

艦上攻撃機の例:

九六式陸上攻撃機一式陸上攻撃機は、他国と日本陸軍では大型(ないし中型)爆撃機と称されるべき機体であるが、日本海軍の定義では雷撃が可能、かつ急降下爆撃ができない大型機なので、「攻撃機」に分類された。

陸軍の四式重爆撃機「飛龍」の一部が、台湾沖航空戦以降はいくつかの部隊(飛行第7戦隊、飛行第98戦隊など)において、海軍の航空魚雷を搭載し、海軍の指揮下に入って雷撃機として使用された(海軍では、雷撃機型の四式重爆撃機「飛龍」のことを、「攻撃機・靖国」と呼んだ)。

初期の雷撃用艦上攻撃機[編集]

創成期に、横須賀工廠の造兵部は飛行機を造り、造機部はエンジンを造った。しかし航空機用鋼材の熱処理一つとっても情報がなく、グラインダー工具も買い集めることから始めるなど苦労の連続だった。将校が飛行器操縦を習得し、さらに飛行器制作にまでも挑んでいた。とにかく航空機が制作できるようになったのは1914年(大正3年)夏ごろからだった。当時の工廠の飛行機生産能力は1か月「2台」だった。[1]

その後の海軍航空では、外国製機材の模倣の繰返しに飽きた1928年から1937年の日中戦争勃発までの10年間は、次第に外国依存を捨てて国産の研究、開発、生産技術を充実させることに努力した時期であり、航空機の開発設計技術が徐々に欧米の水準に接近した。このために、新機の設計採用に際しては、特定1社指定で設計させる、複数社で競争設計させるなど試行した。1931年(昭和6年)にはあえて「設計者は日本国民に限定し、外国人の助けを排除する」という制令まで設けて国産技術発達を促進した。[1]

1924年以降、太平洋戦争開始前までの雷撃機(攻撃機)を示す。

  • 一三式艦上攻撃機 - 三葉式の一〇式艦上雷撃機を基に複葉に再設計した初の本格的攻撃機。操縦性は良好で、長く使用された。
  • 八九式艦上攻撃機 - 鈍重かつ高価で不評のため、まもなく姿を消した。
  • 九二式艦上攻撃機 - 一三式艦上攻撃機の各部を大幅に改良したもの。
  • 九三式艦上攻撃機(別名九三式陸上攻撃機)- 大型航空母艦用の大型双発艦上機を目指したが、艦載の実用の域に達せずに姿を消した。
  • 九六式陸上攻撃機 - 1936年(昭和11年)に誕生した日本の飛行機設計史上の飛躍となった航空機。単葉の先進的な設計で、飛行速度も高速、さらに機体重量の半分の搭載量を誇る画期的な航空機であり、陸上基地からの長距離渡洋攻撃を可能にした。[1]
  • 九七式艦上攻撃機 - 上記の翌年の1937年に、当時の世界水準を抜きん出た九七式艦上攻撃機(B5N)が出現した。

ドイツ[編集]

  • Fi 167(少数のみ)
  • Ju 87を空母搭載用の雷撃機に改造(実際には使用せず)
  • Ju 88He111Do 217などの水平爆撃機の一部や、Me410の雷撃機型が雷装可能

イギリス[編集]

イギリスの雷撃機は、空軍沿岸航空軍団(RAF Coastal Command)の陸上雷撃機と、海軍艦隊航空隊(Fleet Air Arm)の艦上雷撃機に二分される。

陸上雷撃機

艦上雷撃機

イタリア[編集]

兼用機[編集]

第二次世界大戦までは、急降下爆撃機と雷撃機には要求される性能が異なるため、それぞれ別の機体であった。しかし、艦載機数が限定される航空母艦では機種はできるだけ統一する必要があった。また、第二次世界大戦半ば頃から、艦船の防御力の増強に伴って従来の急降下撃機の搭載量では威力不足となりつつあり、一方で、雷撃機にはより機敏な運動性が求められるようになっていた。その結果、両者に要求される性能に差が小さくなり、急降下爆撃機・兼雷撃機が、アメリカ海軍および日本海軍で開発された。

流星は、一部が使用されたものの、実質的には両者ともに第二次世界大戦には間に合わなかった。ADは朝鮮戦争以降に使用されたが、魚雷を使用する機会は水豊ダムの堰堤に対して行った1度だけであった。その後は搭載兵器をミサイルに換え、攻撃機として用いられている。後のA-6 イントルーダーF/A-18 ホーネットといった「艦上攻撃機」の流れにおける、最初の機体となった。

イギリス海軍は搭載機数が限られてしまう航空母艦艦載機の効率を良くするため、戦闘機に雷撃機の機能を付加した戦闘雷撃機を開発配備した。元より急降下爆撃機は戦闘機を兼ねることも可能であるが、より大型の機体である雷撃機についても戦闘機を兼ねる仕様としたのは、イギリス海軍だけである。

これらの機体は直接の源流とはいえないが、いわゆるマルチロール機の先駆であると言える。

この他、雷撃戦闘機としては、ドイツがフォッケウルフ Fw190、イタリアがフィアットG.55を改造して試作したが、どちらもものにならなかった。

脚注[編集]

  1. ^ a b c 和田秀穂 中将『海軍航空史話』1944年, p.244.

関連項目[編集]