菊地直子
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| 菊地直子 | |
|---|---|
| 誕生 | 1971年12月9日(40歳) 埼玉県 |
| ホーリーネーム | エーネッヤカ・ダーヴァナ・パンニャッター |
| 教団での役職 | 厚生省 |
| 入信 | 1989年 |
| 関係した事件 | 地下鉄サリン事件 |
| 判決 | 逃亡中 |
菊地 直子(きくち なおこ、1971年12月9日 - )は、オウム真理教の信徒。埼玉県出身。洗礼名であるホーリーネームはエーネッヤカ・ダーヴァナ・パンニャッター。
目次 |
[編集] 人物
1989年12月にオウム真理教に入信。1992年(平成4年)東京国際女子マラソン(途中棄権)、1994年(平成6年)大阪国際女子マラソン(127位)にオウム真理教陸上競技部として出場し、一部週刊誌に取り上げられた経歴を持つ。ここから「走る爆弾娘。」の異名を持つ[1]。
地下鉄サリン事件において、土谷正実が中心となったサリン製造プロジェクトに関与したとして警察から指名手配されている。また東京都庁小包爆弾事件の嫌疑がかけられている。高橋克也らと共に、オウム真理教特別手配被疑者に指定されている。1996年(平成8年)11月に埼玉県所沢市のマンションに潜伏していたことが判明している。
なお、1995年(平成7年)の地下鉄サリン事件の犯行時は殺人罪・殺人未遂罪の公訴時効は15年であったが、2011年(平成23年)まで共犯者の公判が行われていたため刑事訴訟法254条2項の規定により時効は停止し、2010年(平成22年)4月に刑事訴訟法改正により殺人罪の公訴時効が廃止とし、公訴時効は停止・廃止となる形で捜査が継続している。これにより、菊地に対する地下鉄サリン事件の殺人罪での訴追が無期限で可能となり、地下鉄サリン事件の殺人未遂罪については共犯者の公判期間分延長となっている。
[編集] 警察が公表する情報
- 身長159cm
- 眉間に横一文字の傷あと
- 右目の下にホクロ
- 右こめかみに4ミリ位のホクロ
[編集] その他
- ジャーナリストの吾妻博勝によれば、菊地直子はタイ人に成り済ましながら、在京タイ王国大使館から取得した一時帰国証明書を利用し、1995年10月に外国機で成田空港からタイ王国へ出国。別ルートでタイへ入国した共犯者と合流した後、ミャンマーに密入国し、今日に至るまで黄金の三角地帯に匿われているとされる[2][3]。
- 1995年(平成7年)9月、オウム真理教の幹部である上祐史浩が緊急記者会見で、菊地直子からの手紙が教団富士山総本部に届いたことを発表した。
- 六本木にあった裏カジノでバカラ賭博に興じている姿を監視カメラで捉えられ話題となったが、実際に本人かどうかは不明である。また、もし本人であれば顔を整形していると思われる。
[編集] 脚注
- ^ 岩井軽・大泉実成・宅八郎『私が愛した「走る爆弾娘」菊地直子へのラブレター』(コアマガジン ISBN 978-4877340995)
- ^ 『食マフィアの棲む国 毒菜』(徳間書店 ISBN 978-4198620912)
- ^ 『王国への追跡 -地下鉄サリン事件から15年 オウム特別手配犯の潜伏先- 』(晋遊舎 ISBN 978-4863910638)
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- オウム真理教関係特別手配被疑者(警察庁)
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