警察庁長官狙撃事件

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警察庁長官狙撃事件の現場

警察庁長官狙撃事件(けいさつちょう-ちょうかん-そげき-じけん)は、1995年3月に日本國松孝次警察庁長官が何者かに狙撃された事件

目次

経緯

オウム真理教関連施設への一斉強制捜査が行われてから8日後の1995年3月30日午前8時30分頃、國松孝次警察庁長官が出勤のため東京都荒川区南千住の自宅マンションを出たところ、付近で待ち伏せていた男に拳銃コルト・パイソンまたはトルーパーの長銃身モデルと見られる)で4発撃たれ、38口径のホローポイント弾とされる銃弾3発を腹部などに受け重傷を負った(全治1年6ヵ月)。男は自転車で逃走した。現場からは、朝鮮人民軍のバッジ(「三大革命赤旗勲章」、通称「赤旗前衛中隊バッジ」)や大韓民国の10ウォン硬貨が見つかったという。

狙撃事件の1時間後にオウム教団建設省幹部が在京テレビ局に電話し、次のターゲットとして井上幸彦警視総監大森義夫内閣調査室長らの名前を挙げて教団への捜査をやめるよう脅迫。

國松は手術中に心臓が3度も止まり危篤状態にまで陥ったが、2ヵ月半後には公務に復帰した。

捜査

1996年5月には、オウム真理教の信者だった警視庁巡査長が取り調べに対し、犯行の具体的な状況や、銃を神田川に捨てたことまで詳細に供述していた。神田川にダイバーまで投入しても捜索しても銃が発見されないなど供述に矛盾点が多いなどとして立件は1997年6月に見送られた。巡査長は教団幹部に情報を漏洩したとして1996年11月に懲戒免職され、地方公務員法違反容疑で1997年1月に書類送検されたが起訴猶予処分となった。この巡査長供述は、1996年10月に匿名の告発が報道機関に届き報道されるまで警察庁にも報告されず、警視庁は公安部長更迭と警視総監辞職で責任を取る事態に到った。

また脅迫電話をかけたオウム教団建設省幹部には1995年9月に職務強要罪で逮捕されたが、不起訴処分となった。

事件発生から9年余りを経た2004年7月7日、元巡査長の会社員と、当時の岐部哲也教団防衛庁長官、同教団建設省幹部(現役信者で前述の脅迫電話役)の計3人が殺人未遂容疑で警視庁に逮捕された。 さらに、教祖・麻原彰晃の最側近だった当時の石川公一教団法皇官房次官(事実上の長官)も別件(宗教学者宅爆弾事件)の爆発物取締罰則違反容疑で別件逮捕された。しかし、元巡査長の供述が二転三転し、他の3人も当初から「自分は関係ない」と事件との関わりを否認するなど、証拠固めが困難になってきたことから、東京地検は勾留期限を前に全員を処分保留とし7月28日に釈放され、9月17日に不起訴となった。

実行犯について警視庁の特別捜査本部は、坂本堤弁護士一家殺害事件などで死刑判決を受けた元教団自治省幹部を疑い、2004年7月20日に任意で事情聴取をしたが、元教団自治省幹部は否定した。

関連文献

  • 谷川葉 『警察が狙撃された日―国松長官狙撃事件の闇』 講談社〈講談社プラスアルファ文庫〉、2002年、ISBN 978-4062566650

関連項目

外部リンク

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