ズィンミー

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ズィンミーアラビア語: ذمّي‎; Dhimmī)とは、イスラーム政権下における庇護民のこと。具体的には、ムスリム支配者の統治下に一定の保護を与えられたキリスト教徒ユダヤ教徒をはじめとする非ムスリムを指す。

目次

概要 [編集]

イスラーム草創期に預言者ムハンマドアラビア半島の異教徒に庇護(ズィンマ ذمّة dhimma)を与えたことに始まる。続くアラブの大征服時代にアラブ戦士(アラブ・ムカーティラ)軍団は、中東全域から東はイラン高原中央アジア、西はエジプト北アフリカイベリア半島まで征服活動を続けたが、これらの征服を受けた地域の先住民たちはアラブ軍とイスラーム政権の下での庇護(ズィンマ)契約を結ぶこととなり、これらは全てズィンミーとして扱われた。各地に進出したアラブ・ムカーティラは現地勢力や戦争捕虜たちなどとアラブ社会でのパトロンクライアント関係であるワラー関係(マワーリー)を結ぶことが常であったが、マワーリーがアラブ・ムカーティラの個人や部族が相手側の個人や集団と結ぶ契約に基づいたものであったの対し、ズィンミーはイスラーム政権として非ムスリムに対して与える社会的地位や生活権などの保護や権利に基づくものであった。その契約を結んだ対象の人々のことを「ズィンマの民」すなわちアフル・アル=ズィンマアラビア語: اهل الذمّة‎; ahl al-dhimma)あるいはズィンミーと呼んだ。アラビア語「ズィンマ」は「庇護、保護」の意であり、そのためズィンミーは「被保護民」「庇護民」と訳される。

ズィンマ契約は、具体的には非ムスリムがムスリム統治者による統治に服従・協力し[1]、非ムスリムとしての人頭税であるジズヤや地租であるハラージュを支払うことと引き換えに、生命・財産の安全と自らの宗教・信仰の自由が保障されることを原則としていた[2][3][4][5]

当初、ズィンミーの対象はクルアーンが述べる啓典の民に属すキリスト教徒ユダヤ教徒、「サービア教徒」のみ[6]であったが、イラン高原や中央アジア、北インドなどへも領土が拡大するに従い、状況に応じて「啓典の民」の範疇も拡大し、現地のゾロアスター教徒ヒンドゥー教徒および仏教徒などにも適用された。

ズィンミー制度は「イスラームの寛容性」の象徴として取られることも多いが、イスラーム政権側からの庇護の条件として、イスラーム政権やムスリム住民に対して敵対的な行動や起こさない、自らの宗教施設を勝手に建設してはならない、自らの信仰や宗教をムスリム側に宣伝して改宗など勧誘してはならない、ムスリムに対抗して自らの宗教行為を行い、イスラーム政権やムスリム側に挑発や挑戦の行為をしてはならない、などイスラーム政権やムスリム住民に配慮する事も必須の義務事項として含まれており、ムスリム住民との「共存」でもあった。ムガル帝国においてはインド北部や中部のラージプート諸政権など支配領域内に多くの異教徒勢力を抱えていたこともあり、これらに対してジズヤの廃止が行われ、「完全な水準に近い程度の信教の自由」が保障されるなど、同時代の他のイスラーム諸政権に比べると「極めて寛大な」政策が採られていたと言える。イスラーム草創期からウマイヤ朝、アッバース朝時代にはイスラーム政権内ではムスリムに対してズィンミー人口の方が多かったが、各地に根付いたアラブ人の子孫たちや改宗民やその子孫の増加によって徐々にムスリムが多数派となり、やがてこれらの地域ではズィンミーが少数派となって近代に到ることとなった。

近現代に至り、前近代から続くイスラーム政権のあった地域では、ヨーロッパとの接触と近代的(世俗的)国家建設の過程で多くはズィンミーの制度が廃止されるところも多かった。20世紀後半のイスラーム復興運動の過程で、ズィンミー制度の復活を掲げる勢力もあるものの、一方で、現在でも信教の完全な自由を擁護するリベラル派とも言えるムスリムが存在しているなど、ムスリムの側からこの「不平等な共存」に依らない動きも存在している。

ズィンミーの地位 [編集]

ズィンミーの人権とその制限 [編集]

支配者が保護した学派・時代・地域によっても異なるため、一般的事実のみを記述する。

布教の禁止
イスラーム統治下のズィンミー身分に属する人間は、内面における自身の信教の自由を完全に保障され、宗教儀礼の執行も基本的に容認されているが、イスラーム教徒に対して自身の宗教を説いたり、改宗を勧めることはできない[7]。違反した場合イスラーム政権や宗教としてのイスラームの権威を汚したとして死刑である [8]
宗教施設の修理・建造
ズィンミーの利用する宗教施設については、その修理は許可されるが、新設は原則禁止である[9]。ただし降伏協定に特別の定めがあった場合や支配者が許可した場合は例外的に認められることもあった[10]。そのような場合でもムスリムの居住地域には宗教施設の新設は許されない。
結婚の制限
ズィンミー身分に属する男性は、イスラム教徒の女性との結婚は許されない[7]。もしそのような行為を行ったことが判明した場合、結婚は無効であり、セックスは例外なく婚外性交渉として死刑になる。そのためズィンミー同士の夫婦であっても、妻がイスラム教に改宗した場合、夫は改宗か離婚かを強制的に選択させられる。
ジズヤ
ズィンミーは彼らの享受する権利の引き換えとして、ジズヤと呼ばれる特別の税金を払わねばならない。これはムスリムが払うザカートに比べて、かなり軽い税率のものである。ジズヤの納税は、地方の有力者のもとに納税者が直接届けにいくことが多い。また非ムスリムは軍役が免除されるため、その代償という見解も在る。
衣類と武装
ズィンミー身分に属する者は、武器の携帯が禁止される。地域、時代によってはラクダへの騎乗が禁止された(ラバやロバへの騎乗は許された)。更に地域や時代によってはムスリムと区別するためにズィンミーは宗派ごとにギヤールやズンナールなどの特徴的な衣服を強制された[11]
宗教儀礼の制限
ズィンミーは自身の宗教の儀礼や礼拝を行う権利を基本的は保障されるが、そこにはいくつかの制限がある。大声での礼拝や教会の鐘を高く鳴らす行為、十字架などの宗教的シンボルを見せびらかすなど、ムスリムの前で信仰を誇示するような行為は厳しく制限される[12]
イスラーム批判の禁止
イスラーム国家ではイスラームの優越性の原則により体制が成立しているため、ズィンミーに対してもムスリム同様イスラーム教とその預言者ムハンマド、聖典コーランに関する批判は一切禁止され、違反した場合死刑に処される。
司法上の権利
刑法上イスラム教徒よりズィンミーの命や権利はムスリムと同等に保護される。ハナフィー学派はムハンマドがズィンミーを殺害したムスリムを死刑に処したというハーディスを元に死刑を含む刑罰を認めていた</ref>。
生活に関する制限
ズィンミーの一般生活に関しても、いくつかの制限が存在する。ズィンミーがムスリムの前で酒や豚などの飲食物を摂取することは望ましくないとされた。
政治的権利
実際の前近代イスラーム世界では、ズィンミー身分からもいくらかの高位高官を抜擢した政権が存在する。
改宗の制限
ズィンミーが元の宗教およびイスラーム以外の宗教に改宗することは時代と地域によっては禁じられる場合があった。
利敵行為の禁止
ズィンミーがイスラームの支配者が敵と認めた勢力を支援することは禁止され、違反したばあい庇護契約違反として契約を破棄する原因とできる[7]

ズィンミー制度とイスラム教国での異教徒 [編集]

ズィンミー制度は現在のイスラム教国でも場合によっては残存しており、イランサウジアラビアアフガニスタンなどではシャリーアが国法となっているため異教徒はズィンミーと同様の地位に置かれているとされている。保守派ムスリムの中にはイスラム教徒の支配する国では異教徒の人権は制限されて当然であると述べる者もいる[13][14]

ズィンミーの特権 [編集]

異教徒であるズィンミーはイスラム法での禁止事項が適用されない一種の特権を持っている場合がある。

イスラム教では飲酒が禁止されておりアラビア半島のイスラム国家には酒を違法としている国が多いが現実にはイスラム教徒の飲酒は珍しくない。 ズィンミーは飲酒や酒の製造を行うことが出来るため、イスラム教徒に対して酒の販売を行っているからである。 酒造業はズィンミーだけに許された産業であり、古い時代から酒の製造はズィンミー社会の重要な産業であった。

パレスチナ自治区の中のタイベ村はイスラム社会の中にあるキリスト教徒の村でイスラム法で禁止されている飲酒や酒類の製造が認められている。 酒の製造販売が法律で禁止されているパレスチナの中にビールメーカーが存在しており「パレスチナ ビール」「タイベビール」として日本にも輸入されている。

脚注 [編集]

  1. ^ 10世紀を代表するシャーフィイー派法学者マーワルディーはこれを「隷属」と述べる(マーワルディー『統治の諸規則』湯川武訳、pp.346-347)
  2. ^ 高野太輔 (2002). “ズィンミー”. In 大塚和夫ほか. 岩波イスラーム辞典. 岩波書店. pp. 529. 
  3. ^ 後藤明; 鈴木董 (2002). “ジンミー”. In 日本イスラム協会. 新イスラム事典. 平凡社. pp. 294. 
  4. ^ 池内恵 (2003). “ズィンミー”. 国際政治事典. 弘文社. pp. 492. 
  5. ^ 池内恵 (2003). “ジハード”. 国際政治事典. 弘文社. pp. 428,429. 
  6. ^ クルアーン第9章29節の『アッラーも、終末の日をも信じない者たちと戦え。またアッラーと使徒から、禁じられたことを守らず、啓典を受けていながら真理の教えを認めない者たちには、かれらが進んで税〔ジズヤ〕を納め、屈服するまで戦え。』という文言に見られるように、当初アラビア半島での戦役では、啓典の民以外のアラブ諸勢力には俗に「クルアーンか貢納か剣か」という認識がされていた。
  7. ^ a b c マーワルディー『統治の諸規則』湯川武訳、慶應義塾大学出版会、2006年、ISBN 978-4-7664-1238-3、第13章p353。
  8. ^ 9世紀のアンダルスでは、この規定により処刑者が多発し、社会問題となった事例がある(「コルドバの殉教者たち-イスラム・スペインのキリスト教徒」K.B.ウルフ著、林邦夫訳)
  9. ^ マーワルディー(2006)、第13章 pp.356-357
  10. ^ ユースフ・カラダーウィーはエジプトの歴史にそのような特例があるとする(「アラブ政治の今を読む」pp.224-225)。またアンダルスでもそのような特例は存在したと記録されている(K.B.ウルフ『コルドバの殉教者たち-イスラム・スペインのキリスト教徒』林邦夫訳)
  11. ^ マーワルディー(2006)、第13章 pp.353-354
  12. ^ マーワルディー(2006)、第13章p354
  13. ^ イスラミックセンター イスラーム国家、その本質と特色
  14. ^ 『アラブ政治の今を読む』pp.225-228

参考資料 [編集]

  • Bat Ye'or (2002). Islam and Dhimmitude. Where Civilizations Collide. Madison/Teaneck, NJ: Fairleigh Dickinson University Press/Associated University Presses. ISBN 0-8386-3943-7. 
  • Bat Ye'or (1996). The Decline of Eastern Christianity under Islam. From Jihad to Dhimmitude. Seventh-Twentieth Century. Madison/Teaneck, NJ: Fairleigh Dickinson University Press/Associated University Presses. ISBN 0-8386-3688-8. 
  • Bat Ye'or (1985). The Dhimmi: Jews and Christians under Islam. Madison/Teaneck, NJ: Fairleigh Dickinson University Press. ISBN 0-8386-3262-9. 
  • Bostom, Andrew, ed. (2005). The Legacy of Jihad: Islamic Holy War and the Fate of Non-Muslims. Prometeus Books. ISBN 1-59102-307-6. 
  • Friedmann, Yohanan (2003). Tolerance and Coercion in Islam: Interfaith Relations in the Muslim Tradition. Cambridge University Press. ISBN 0-521-82703-5. 
  • Stillman, Norman (1979). The Jews of Arab Lands: A History and Source Book. Philadelphia: Jewish Publication Society of America. ISBN 1-82760-198-1. 
  • Lewis, Bernard (1984). The Jews of Islam. Princeton: Princeton University Press. ISBN 0-691-00807-8. 

関連項目 [編集]