移住

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イングランドからの移民を描いたフォード・マドックス・ブラウンThe Last of England

移住(いじゅう、英語:Emigration)とは、他の場所に永住することを目的として、ある地域や国を放れる行動である。移民と同義であるが、こちらは祖国を離れることを言う。人が移住を選択する要因は多くあるが、要因は、「引かれる」要因と「出る」要因の2つに大別される。より良い経済的機会やより良い気候条件を求めることが「引かれる」要因の例である。一方、貧困への恐怖や宗教的、政治的差別が「出る」要因の例である。

18世紀から21世紀には、移住は世界に大きな影響を及ぼしている。18世紀から19世紀にはヨーロッパから、近年はメキシコからアメリカ合衆国に数百万の人々が移住している。

「移住」という用語は、通常は自主的な移動について用いるが、強制移住は、移転政策や民族浄化のため、集団で強制的に移住させられるものである。

移住の要因[編集]

「出る」要因[編集]

  • 仕事の欠如
  • 政治や宗教上の権利の欠如
  • 人種、宗教、性別、性的指向上の迫害や不寛容
  • 信教の自由の欠如
  • 農地の不足
  • 法的、政治的立場の抑圧
  • 紛争や不景気
  • 徴兵や戦争
  • 飢饉や干魃
  • 他の集団との文化的闘争
  • 軍からの除隊

「引かれる」要因[編集]

  • 農地獲得機会の増加
  • 物価の安さ
  • 富の獲得(カリフォルニア・ゴールドラッシュ等)
  • 就職の機会の増加
  • 賃金の上昇
  • より良い福祉
  • より良い教育
  • 当地の友人や親戚
  • 新しい国家の建設
  • 特別な文化的、宗教的コミュニティの創設
  • 政治的自由
  • 文化の豊かさ

移住の制限[編集]

東ドイツから西ドイツへの移民を制限したベルリンの壁

いくつかの国は、国民に対して移住の自由を制限していた。1668年以降、漢民族に対して、満州への移住を禁止した。1681年、皇帝は、中国国民が満州及びモンゴルに入れないようにするための柳條邊の建設を命じた[1]

1918年、ソビエト連邦構成共和国が法律と国境を厳しくしてそのような制限を始め、1928年まで違法な移住もほぼ不可能であった[2]。これを強化するため、ソビエト連邦は国内のパスポート制度と各都市の住民登録の制度を定め、101st kilometreと呼ばれる規則によって、小さな地域内の移動も制限した[3]

第二次世界大戦後の1945年、ソビエト連邦はいくつかの東ヨーロッパの国を占拠し、まとめて東側諸国と呼ばれた。新しく獲得された地域の大部分の住人は、独立し、ソビエト連邦が退去することを望んだ[4]。第二次世界大戦が終わって5年もしない1950年以前、1500万人以上の人々がソビエト連邦に占領された東ヨーロッパから西側諸国に移住した[5]。1950年代初めまでに、国家間の移動を制限するソビエト連邦の手法は、東側諸国の他の国々でも取り入れられた[6]。東側諸国に導入された移住制限は、東側と西側の間の移動のほとんどを停止させ、1950年から1990年までに、東側から西側に移動した数は、わずか1330万人であった[7]。しかし、毎年数十万人の東ドイツ人が、東西ベルリンの間にある「抜け穴」を通って西ドイツに移住していた[8]。この移住は、東ドイツから西ドイツへ、教育を受けた若い専門家の「頭脳流出」を引き起こし、また1961年までに東ドイツの人口の20%近くが西ドイツへ移住した[9]。1961年、東ドイツは有刺鉄線の障壁を作り、後にこれはベルリンの壁の建設に繋がった[10]。1989年、ベルリンの壁崩壊に続いてドイツ再統一が行われ、それから2年以内にソ連崩壊した。

1950年代初めまでに、ソ連が行った移住の制限は、中華人民共和国、モンゴル、朝鮮民主主義人民共和国でも同様の制度が取り入れられた[6]。北朝鮮では現在でも移住を厳しく制限しており、北朝鮮の人民は、未だに違法に中国への移住を続けているものの[11]、現在でも最も移住の制限の厳しい国の1つである[12]。その他に、過去や現在、移住を厳しく制限していた国には、アンゴラエチオピアモザンビークソマリアアフガニスタンミャンマー民主カンプチアラオス北ベトナムイラク南イエメンキューバ等がある[13]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ Elliott, Mark C. "The Limits of Tartary: Manchuria in Imperial and National Geographies." Journal of Asian Studies 59, no. 3 (2000): 603-46.
  2. ^ Dowty 1989, p. 69
  3. ^ Dowty 1989, p. 70
  4. ^ Thackeray 2004, p. 188
  5. ^ Böcker 1998, p. 207
  6. ^ a b Dowty 1989, p. 114
  7. ^ Böcker 1998, p. 209
  8. ^ Harrison 2003, p. 99
  9. ^ Dowty 1989, p. 122
  10. ^ Pearson 1998, p. 75
  11. ^ Kleinschmidt, Harald, Migration, Regional Integration and Human Security: The Formation and Maintenance of Transnational Spaces, Ashgate Publishing, Ltd., 2006,ISBN 0-7546-4646-7, page 110
  12. ^ Dowty 1989, p. 208
  13. ^ Dowty 1989, p. 186

出典[編集]

  • Böcker, Anita (1998), Regulation of Migration: International Experiences, Het Spinhuis, ISBN 90-5589-095-2 
  • Dale, Gareth (2005), Popular Protest in East Germany, 1945-1989: Judgements on the Street, Routledge, ISBN 0-7146-5408-6 
  • Dowty, Alan (1989), Closed Borders: The Contemporary Assault on Freedom of Movement, Yale University Press, ISBN 0-300-04498-4 
  • Harrison, Hope Millard (2003), Driving the Soviets Up the Wall: Soviet-East German Relations, 1953-1961, Princeton University Press, ISBN 0-691-09678-3 
  • Krasnov, Vladislav (1985), Soviet Defectors: The KGB Wanted List, Hoover Press, ISBN 0-8179-8231-0 
  • Mynz, Rainer (1995), Where Did They All Come From? Typology and Geography of European Mass Migration In the Twentieth Century; EUROPEAN POPULATION CONFERENCE CONGRESS EUROPEAN DE DEMOGRAPHE, United Nations Population Division 
  • Pearson, Raymond (1998), The Rise and Fall of the Soviet Empire, Macmillan, ISBN 0-312-17407-1 
  • Thackeray, Frank W. (2004), Events that changed Germany, Greenwood Publishing Group, ISBN 0-313-32814-5 

外部リンク[編集]