ジョン・メイナード・ケインズ

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ジョン・メイナード・ケインズ
ケインズ経済学
生誕 1883年6月5日
ケンブリッジシャーケンブリッジ
死没 1946年4月21日(満62歳没)
イースト・サセックス、ティルトン(near Firle)
国籍 イギリスの旗 イギリス
研究機関 ケンブリッジ大学
研究分野 マクロ経済学,確率論
母校 ケンブリッジ大学キングス・カレッジ
影響を
受けた人物
アダム・スミスデヴィッド・リカードデイヴィッド・ヒュームジョン・スチュアート・ミルトマス・ロバート・マルサスエドマンド・バークシルヴィオ・ゲセルG・E・ムーアアルフレッド・マーシャルクヌート・ウィクセルデニス・ロバートソンミハウ・カレツキ
論敵 カール・マルクスフリードリヒ・ハイエクアルフレッド・マーシャルアーサー・ピグー
影響を
与えた人物
T・K・ワイテイカーパトリック・リンチサイモン・クズネッツポール・サミュエルソンジョン・ヒックスジョージ・シャックルウィリアム・ヴィクレージョン・ケネス・ガルブレイスハイマン・ミンスキーロバート・シラージョセフ・スティグリッツポール・クルーグマンノリエル・ルービニ
実績 マクロ経済学
ケインズ経済学
流動性選好説
支出乗数
総需要・総供給モデル
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ジョン・メイナード・ケインズ(John Maynard Keynes、1883年6月5日 - 1946年4月21日)は、イギリス生まれの経済学者イングランドケンブリッジ出身。20世紀における最重要人物の一人であり、経済学者の代表的存在である。有効需要[1]に基いてケインズサーカスを率いてマクロ経済学を確立させた。

経済学の大家アルフレッド・マーシャルの弟子であり、論敵アーサー・セシル・ピグーとは兄弟弟子、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインブルームズベリー・グループの交流は有名。

経歴[編集]

ケインズはケンブリッジ大学の経済学者であるジョン・ネヴィル・ケインズと母フローレンスとの間に1883年に生まれる[2]

名門パブリック・スクールであるイートン・カレッジを経て、ケンブリッジ大学のキングス・カレッジに入学、ケンブリッジ大学では数学を専攻した[3]。学生時代は政治にも関心を持ち様々な活動を行い、学内のサークル「ザ・ソサエティ」では代表を務めた[3]

ケンブリッジ大学卒業後に公務員試験を受け合格し、インド省に就職する[4]。その後インド省を二年で退官しキングス・カレッジの研究員として学者を志す[4]。その後大蔵省に移り役人生活を送る[4]。その後大蔵省を辞任して再びケンブリッジ大学に戻る[4]

略歴[編集]

経済学者として[編集]

ケインズ・モデル[編集]

雇用・利子および貨幣の一般理論』(1935年 - 1936年)において、不完全雇用のもとでも均衡が成立しうるとした上、完全雇用を与えるための理論として、反セイの法則を打ち立てた上、産出高は消費と投資とからなるとする有効需要の原理を基礎として、有効需要の不足に基づく非自発的な失業の原因を明らかにした。

有効需要は市場メカニズムに任せた場合には不足することがあるが、これは投資の増加が所得の増加量を決定するという乗数理論に基づき、減税・公共投資などの政策により投資を増大させるように仕向けることで、回復可能であることを示した。生産者が価格を変えずに、供給量を総需要に応じて調整する[5]。ケインズは総需要の増大させる方法として、財政政策、特に財政支出政策を重視した[6]

なお、上の議論に対しては、公共投資政策ないし投資の国家管理の本質は、単なる有効需要の付加ではなく、政府による公共投資が企業家のマインドを改善することで経済全体の投資水準が底上げされ得るという点にあり、生産手段の国有化を意味するものではない。

これらの彼の提唱した理論を基礎とする経済学を「ケインズ経済学」(「ケインズ主義」ともいう)と呼ぶ。このケインズの考え方は経済学を古典派経済学者とケインジアンとに真っ二つに分けることとなった。そのため、ケインズ理論の提唱は、のちにケインズ革命と呼ばれるようになった。

ケインズは、大不況下では、金融政策は効果的ではなく、消費を直接的に増やす財政支出政策が最も効果があると主張した[7]。ケインズの有効需要創出の理論は、大恐慌に苦しむアメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領によるニューディール政策の強力な後ろ盾となった。

不確実性[編集]

『雇用・利子および貨幣の一般理論』の翌年1937年に発表した補足的論文『雇用の一般理論』においては、経済活動における不確実性の影響を強調した。ケインズは元々はケンブリッジ大学には数理学部に入学しており、博士論文でもある最初の著作は『確率論』である。ここにおいてケインズは、確率を数学ではなく論理学の一分野として捉える論理確率主義の立場をとっており、確率や不確実性に関する哲学的問題について広範な考察を行っている。近年のケインズ研究では、この頃の蓋然性や不確実性全般についての考察が、後のケインズの経済学への考え方に関係していると考えられている[8]。有名な「アニマル・スピリッツ(血気)」という言葉は、予測不能な不確実性下であっても投資活動を行う投資家の心理を表したものである。

ハイエクとの関係[編集]

マルクス主義について[編集]

アメリカの経済学者の中でカール・マルクスに次いで新古典派が嫌う人物とも言われている。ただしケインズはマルクス主義にはまったく賛同を示さなかった。若いときに『資本論』を読んだ時は理解不能であったと述べている。『一般理論』においては、マルクス主義にたいしてシルビオ・ゲゼルの著作『自然的経済秩序』の前文を引いて批判している。また、1925年ソ連を訪問したが、「社会主義には興味がない」と述べ、その意見を『ロシア管見』にまとめている。

政治活動[編集]

ケインズは1906年より自由党の活動に積極的に関与し、この活動を通じて自由主義の確立に努めたが、同党から出た首相ロイド・ジョージの緊縮的な経済政策には強く反対した。

ジャーナリズム[編集]

ヴェルサイユ会議におけるドイツへの莫大な賠償金を課したヴェルサイユ体制に対し「平和の経済的帰結」(全集では2巻、東洋経済新報社)を出版し大反論キャンペーンを行った、このケインズの考えは政策担当者・諸国民から強烈な批判をあびることとなった。しかし、ナチス・ドイツの台頭と第二次世界大戦の勃発によってヴェルサイユ体制は崩壊した。

投資[編集]

投資家としても成功したケインズは、株式価格形成の問題を当時の新聞で行われていた美人コンテストを例えにして、個々の判断に基づく投資より投資家集団の好みを考慮すべきであると説明した(美人投票)。

ケインズ自身の投資法は独特であり、当時の常識とは大きく異なっていた。彼はインサイダー情報を当てにせず、朝起きてベッドの中で新聞の金融情報を読み、電話取引を行うだけであった。投資成績は当初はかならずしも順調ではなく1929年の大恐慌まではどちらかといえば散々な結果であった。1929年恐慌はケインズによっても予想することはできず暗黒の木曜日の時点で金融資産の8割を株式に集中投資していたという。恐慌後の1933年からのパフォーマンスは素晴らしいもので中小型の割安株に集中投資するバリュー株戦略で成功した[9][10]。母校キングス・カレッジの事務長に就くと、カレッジの基金3万ポンドを運用し、38万ポンドに増やした。

日本語文献[編集]

  • 貨幣改革問題 岡部菅司・内山直共訳. 岩波書店, 1924.
  • 金解禁と国民経済 梶哲次訳. 二酉名著刊行会, 1928.
  • ケインズ貨幣論 鬼頭仁三郎訳. 同文館, 1932-33.
  • 経済学の領域及び方法 浜田恒一訳 春秋社・世界大思想全集第74巻, 1933
  • 戦費支弁論 日本銀行調査局訳. 日本銀行調査局, 1940.
  • 戦費と国民経済 救仁郷繁訳. 東亜書局, 1940.
  • 雇傭・利子及び貨幣の一般理論 塩野谷九十九訳 東洋経済新報社, 1941. 改訂新版1995ほか
  • 「一般理論」,セイモア・E・ハリス編,日本銀行調査局訳(1949)、『新しい経済学』(東洋経済新報社)に収録,pp. 276-294.
  • ケインズ「一般理論」講義 高橋泰蔵・塩野谷九十九共編. 春秋社, 1951.
  • 自由放任の終焉 山田文雄訳 現代教養文庫(社会思想研究会出版部), 1953.
  • 人物評伝 熊谷尚夫・大野忠男訳 岩波書店(岩波現代叢書) , 1959.
  • 説得評論集 救仁郷繁訳 ぺりかん社, 1969. 新版1987
  • 「世界の名著 ケインズ」中央公論社, 1971
若き日の信条 自由放任の終焉 私は自由党員か 繁栄への道、アメリカ合衆国とケインズ・プラン(宮崎義一訳)
貨幣改革論 戦費調達論(中内恒夫訳)
新版「貨幣改革論 若き日の信条」 中公クラシックス中央公論新社, 2005.11
  • 講和の経済的帰結 救仁郷繁ぺりかん社, 1972
  • 経済学の領域と方法 上宮正一郎訳. 日本経済評論社, 2000.4.
  • 雇用,利子および貨幣の一般理論 間宮陽介訳 岩波文庫(上下), 2008.3. 
  • ケインズ説得論集 山岡洋一訳 日本経済新聞出版社, 2010.4.
  • 雇用、利子、お金の一般理論 山形浩生訳 講談社学術文庫, 2012.3.
    • 要約版「ケインズ雇用と利子とお金の一般理論」ポット出版, 201.11.
  • デフレ不況をいかに克服するか ケインズ1930年代評論集 松川周二訳 文藝春秋〈文春学藝ライブラリー〉2013.10

ケインズ全集[編集]

1、インドの通貨と金融 則武保夫 片山貞雄訳 1977 
2、平和の経済的帰結 早坂忠訳 1977 
3、条約の改正 千田純一訳 1977 
4、貨幣改革論 中内恒夫訳 1978 
5-6、貨幣論 小泉明,長沢惟恭訳 1979 
7、雇用・利子および貨幣の一般理論 塩野谷祐一訳 1983 
8、確率論 佐藤隆三訳 2010
9、説得論集 宮崎義一訳 1981 
10、人物評伝 大野忠男訳 1980 
15、インドとケンブリッジ 1906~14年の諸活動 エリザベス・ジョンソン編 三木谷良一,山上宏人訳 2010 
18、賠償問題の終結 1922~32年の諸活動 エリザベス・ジョンソン編 武野秀樹,山下正毅訳 1989 
19、金本位復帰と産業政策 1922~29年の諸活動 ドナルド・モグリッジ編 西村閑也訳 1998 
24、平和への移行 1944~46年の諸活動 モグリッジ編 堀家文吉郎,柴沼武,森映雄訳 2002 
26、戦後世界の形成 ブレトン・ウッズと賠償 1941~46年の諸活動 モグリッジ編 石川健一島村高嘉訳 1988
27、戦後世界の形成-雇用と商品 1940~46年の諸活動 モグリッジ編 平井俊顕立脇和夫訳 1996 
28、社会・政治・文学論集 モグリッジ編 那須正彦訳 2013

伝記[編集]

  • ロイ・ハロッド 塩野谷九十九訳『ケインズ伝』(東洋経済新報社、1954-56 改訳版1977) - 弟子による古典
  • ケインズ 人・学問・活動 ミロ・ケインズ編 佐伯彰一・早坂忠訳 東洋経済新報社, 1978.9.
  • ロバート・スキデルスキー『ジョン・メイナード・ケインズ 裏切られた期待 1883~1920年』 全2巻、宮崎義一監訳、古屋隆訳(東洋経済新報社、1987-1992)前半部のみ
  • スキデルスキー『ケインズ』浅野栄一訳、岩波書店、2001 - ケインズ研究の第一人者による伝記
  • スキデルスキー『共産主義後の世界 ケインズの予言と我らの時代』本田毅彦訳、柏書房、2003
  • ジル・ドスタレール 山田鋭夫ほか訳『ケインズの闘い:哲学・政治・経済学・芸術』 藤原書店、2008
  • 西部邁『ケインズ』岩波書店、1983、改訂版 イプシロン出版企画、2005
  • ケインズ 世紀の經濟學者 山田長夫 壯文社, 1949.3.
  • ケインズ経済学入門 A.H.ハンセン 大石泰彦訳. 東京創元社, 1956.
  • ケインズ経済学 新野幸次郎置塩信雄共著. 三一書房, 1957.
  • ケインズ入門 人・学説・政策 S.E.ハリス 塩野谷九十九訳. 東洋経済新報社, 1957.
  • ケインズ "新しい経済学"の誕生 伊東光晴 岩波新書 1962.
  • ケインズ入門 塩野谷九十九 社会思想社, 現代教養文庫 1968.
  • ケインズ 文明の可能性を求めて 早坂忠 中公新書 1969.
  • ケインズ 著作と思想 則武保夫ほか 有斐閣新書 1978.9.
  • ケインズ D.E.モグリッジ 塩野谷祐一訳 東洋経済新報社 1979.7.
  • 美濃口武雄『ジョン・メイナード・ケインズ』(一橋論叢1990年4月号、一橋大学機関リポジトリ)[3]

脚註[編集]

  1. ^ 着想自体はミハウ・カレツキが先であるとされる。
  2. ^ 橘木俊詔 『朝日おとなの学びなおし 経済学 課題解明の経済学史』 朝日新聞出版、2012年、132頁。
  3. ^ a b 橘木俊詔 『朝日おとなの学びなおし 経済学 課題解明の経済学史』 朝日新聞出版、2012年、133頁。
  4. ^ a b c d 橘木俊詔 『朝日おとなの学びなおし 経済学 課題解明の経済学史』 朝日新聞出版、2012年、134頁。
  5. ^ 岩田規久男 『マクロ経済学を学ぶ』 筑摩書房〈ちくま新書〉、1996年、33頁。
  6. ^ 岩田規久男 『マクロ経済学を学ぶ』 筑摩書房〈ちくま新書〉、1996年、76頁。
  7. ^ 岩田規久男 『マクロ経済学を学ぶ』 筑摩書房〈ちくま新書〉、1996年、76頁。
  8. ^ 伊藤邦武『ケインズの哲学』岩波書店(1999)ISBN 978-4000227032
  9. ^ Keynes: One Mean Money Manager By JASON ZWEIG (WSJ.com 2012.4.2)[1]
  10. ^ Keynes the Stock Market Investor David Chambers(2012.3.5)[2]

関連項目[編集]

関連人物

外部リンク[編集]