マサチューセッツ工科大学

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マサチューセッツ工科大学
MIT校舎「グレートドーム」
MIT校舎「グレートドーム」
大学設置 1865年
創立 1861年
学校種別 私立
設置者 Massachusetts Institute of Technology Corporation
本部所在地 米国マサチューセッツ州ケンブリッジ
学部 経営学部
工学部
人文・社会科学部
理学部
建築・計画学部
研究科 医科大学院
経営大学院
工科大学院
人文社会科学大学院
自然科学大学院
建築・計画大学院
ウェブサイト マサチューセッツ工科大学公式サイト
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マサチューセッツ工科大学英語: Massachusetts Institute of Technology)は、米国マサチューセッツ州ケンブリッジ市に本部を置くアメリカ合衆国私立大学である。1865年に設置された。

概要[編集]

マサチューセッツ州ケンブリッジ市に本部を置く私立大学ノーベル賞受賞者を多数輩出している(2010年まで77名。この数はハーバード大学コロンビア大学ケンブリッジ大学シカゴ大学に次ぐ[1])。全米指折りのエリート名門校の1つとされる。通称、MIT(エム・アイ・ティー, 注:「ミット」は誤用で主に日本の極めて一部で用いられる)とも呼ばれる。同じくケンブリッジ市にあるハーバード大学とはライバル校でありながらも、学生達はそれぞれの学校の授業を卒業単位に組み込める単位互換制度(Cross-registration system)が確立され、ケンブリッジ市は、「世界最高の学びのテーマパーク」とさえも称されている。物理学や生物学などの共同研究組織を立ち上げたりなど、ハーバード大学との共同研究も盛んである。

アメリカにおいて、シリコンバレーなどと並ぶ先端技術産業の集積地であるボストンのルート128地域においても、中核的な役割を果たす機関である。同大学のメディアラボは情報技術関連の先端を走る研究所としてマスメディアなどでも頻繁に取り上げられる。特筆すべきは、同研究所で開発された情報処理システム(アテネプロジェクト)がキャンパスネットワークの根幹を占める事、なおかつそのプロジェクトの研究成果が、アメリカ以外の大学院大学等でも活用され、成果を挙げていることである。

同大学は、ボストン所在の他大学(ハーバード大学ウェルズリー大学マサチューセッツ大学)との間で、学生や研究者同士の交流も推進している。近年、大学の全授業をweb上で公開する試み(オープンコースウェア)がなされており、遠隔教育関係者や教育関係者一般から広く注目を集めている。現在、建築家槇文彦によってキャンパスの増築がなされている。

歴史[編集]

MITは自然哲学者ウィリアム・バートン・ロジャースウィリアム・アンド・メアリー大学卒業)によってボストンの地にボストン技術学校の名で設立され、1865年にマサチューセッツ工科大学に改称し開学した。

創立当初は一部の学生を除き、多くのMITの学生は一人前の大人(社会人)で、建設業者熟練工工事監督熟練機械工見習い工熟練エンジニアなど既に一定の技能を身につけた人々だった。このため、明確な目的意識があり、必要と思われる講座のみを選択し受講しに来る者が多く、キャンパス・ライフは存在しなかった。MITには学生寮もなく、礼拝堂もなく、1867年まで食堂すら存在せず、学生はただ講義を聞くためだけに学校に来た[2]。最初のうちは学生は男子のみだったが、1870年代になって初めて女子の入学を受け入れはじめた。

ヨーロッパでは歴史的に技術系の職業が低く見られ、近代半ばまで大学での工系学部の位置づけも明確でなく、工学部設置も日本に先を越された。この状況はアメリカでも強く、理工系専門の教育機関として創設されたMITも人々から偏見の目で見られた。

20世紀初頭にボストンでは開発ブームが起こり、不動産の高騰などによってMITは、これまでいたコプリー・スクェアの地を立ち退かなければならない事態となった。皮肉なことに、この開発ブームに拍車をかけたのは1865年以来、MITが送り出してきた数千人に及ぶ卒業生たちであった。MITは研究室ごとに高騰したボストン各地の不動産市場に散りぢりとなり、大学移転のために候補地を探したが、調達資金などの面から難航した。1909年、資金調達能力を有するリチャード・マクローリンが新学長に就任したことによって事態は収拾に向かい、新キャンパスの候補地としてケンブリッジとボストンの境界を流れるチャールズ川の埋立地(ケンブリッジ側)が検討されるようになった。だが、移転に際していくつか問題があった。第一に土壌が埋め立てたばかりで軟弱であったこと、第二にケンブリッジを縄張りとしていたハーバードとの政治的・歴史的問題であった。特にハーバードとの問題は深刻で、MITのほとんどの卒業生が、このとき文科系人種をはじめとするボストンの人々からいわれのない偏見を受け、罵声を絶え間なく浴びせられたという[3]。この状況について関係者は「肘で誰かを押しのけて食事をするようなものだ」と語っている。

さらにMITがケンブリッジキャンパスを移転してからは、文科系的文化を根源として成り立つハーバードとの対決が激しく、人々の中にはMITを「職業訓練学校」と侮辱する者もいた。ボストンのある名士が、ハーバードで教えるかわりに、MITへの奉職を考慮していた甥に対し次のような手紙を書いている。「この国では、常に金と鉄道と発明の嵐が吹き荒れてる。公立学校だの、高校だの、職業専門学校(MITのこと)だのと言ったものは、どんな学校にも作れるが、ケンブリッジ(ハーバードのこと)のようなところだけが、学問にふさわしい雰囲気と歴史と思っている。大学とは、そうでなければならないのだ。大いなるハーモニーを学べるところでなくては」[4]

1940年、MITは軍事技術の研究開発にかかわるようになった。当時、アメリカ軍イギリス海軍が開発したレーダーに関心を持っており、研究プロジェクトを行う上で、設備[5]や運営経験があったMITに注目した[6]。その一年後、太平洋戦争がはじまるとキャンパス北端に放射線研究所(Radiation Lab・ラドラブ)と称する軍事研究所が設置され、カリフォルニア工科大学などとともに戦争の一翼を担った。さらにMITは新兵器開発のために必要な資金や物資を得ることに成功するとともに、学生の徴兵猶予の権利を勝ちとった。この経験はマサチューセッツ工科大学の名を世界で高めるきっかけとなった。 「彼らは2万5800もの会社を設立し、300万人の雇用を生み出していた」ことが分かったという。これには、シリコンバレーの雇用の約4分の1を含む。「もしMITが国家だとすると、世界で11番目のGDPを有することになる」

ノーベル賞受賞者77人はハーバードを上回る。ハーバードは、英国のオックスフォードやケンブリッジをモデルに上流階級用の古典教育にこだわり、ラテン語やギリシャ語に力を入れていた。これに対してMITは、研究と実践的な実験による学習というドイツ的なシステムを採用した。「知識は重要だが、有用でなければならない」という考え方がMITの伝統で、米国の主要大学としては非常に小さい規模の大学であり学生数は約1万人、教員数は約1000人に過ぎない。日本の東大や早慶に比べてもだいぶ小さく、東京工業大学と同じ規模である。

スタッフの約40%が米国以外の生まれで、すぐに役には立ちそうにないことでも取り組むことが許される、財政的・精神的余裕を持っている。 

組織[編集]

5つのスクール(School)と1つのカレッジ(College)がある(これらが日本の大学における「学部」・「研究科」に相当する)。スクールとカレッジには、34の学部(Department)、学科(Division)、大学院研究科専攻(Degree-granting program)などがおかれている。さらには、教育研究プログラムとしてWHOIとのジョイントプログラムも実施している。

スクールおよびカレッジ[編集]

研究機関[編集]

51の研究機関がある。ここでは、メディア等で著名な研究機関を掲げる。

その他[編集]

各企業からの派遣研究員受け入れや受託研究を行う、寄附講座や記念講座が設置されている。

教育[編集]

大学側はMITの学生に多くの課題を要求する[7]。例えば数学科の学生なら学期の初めから4つの課題演習セットと20分間のプレゼンをこなし、次週までにカール・バーンスタインのAll the President's Menを読んでくるなどである[7]

2008年にノーベル経済学賞を受賞したポール・クルーグマンニューヨークタイムズのコラムニストでもあり、経済学を平易な言葉で説明するというアプローチを用いている[8]。「事の本質に注目し、要素還元し、難解さを避け明解な解説をこころがける」それがMITで学んだスタイルだとクルーグマンは述べる[8]

学生[編集]

中国系・韓国系を中心とするアジア系学生の割合は増加の一途であり、現在では在校生の27%を占めている。(College Board, fall 2005)

受験[編集]

  • リベラル・アーツとしてのマサチューセッツ工科大学に入学する際には、通常の試験及び外国人の場合には、TOEFL受験が義務付けられている。その他は、米国のビザ法に関する法による。
  • 大学院受験の場合には、「GREスコアカード」及び「卒業証明書(大学)」が必要。外国人の場合には、TOEFLの受験が義務付けられている。その他は、米国のビザ法に関する法による。特定研究室に該当する研究室を指定する場合には、紹介状2通が必要(直近の銀行残高証明書も必要)。

「ハック」[編集]

同校には伝統的に「ハック」(詳細はハッカーを参照)と呼ばれるゲリラ活動的なイタズラ[9] (en:Hacks at the Massachusetts Institute of Technology) が存在する。単なるイタズラというよりも、日頃研究したさまざまな技術を駆使することから、時に超常現象かと見紛うばかりのものまであるとされる。

近くのハーバード橋の長さを測るために仲間の身長からスムートという新単位を作り、橋に印を書いたり(1958年)、学び舎のシンボルであるグレートドーム(上写真)頂上にパトロールカーが設置された(1994年)り、巨大なR2-D2に改装(1999年)されたり、『ゼルダの伝説シリーズ』のトライフォースが設置(2006年)されたりといったスケールの大きいものから、校内の碑文をこっそり自分たちのメッセージにすり替えたり(1994年)、学長室の入り口を何ヶ月も前から掲示板があったかのようにしてしまった(1990年)りといったものまで報告されている。

これらのイタズラはあくまでも洒落の範疇に収めることが重要とされており、物や施設を汚損したり、誰かを傷つけたりするようなことは行われないとされる。1999年のR2-D2“ハック”では同校の安全対策室に、取り付けられたパネル等の片付け方を記したメモが届けられている。

著名な教員[編集]

以下、人名はすべて苗字の五十音順に並ぶ。

日本人

出身者[編集]

あ行[編集]

か行[編集]

さ行[編集]

た行[編集]

な行[編集]

は行[編集]

ま行[編集]

ら行[編集]

日本人出身者[編集]

日本国内においては大学出身者で作る「日本マサチューセッツ工科大学会」が存在する。同様の組織として日本ハーバード会、日本ケンブリッジ会、日本オックスフォード会などがあるが、これらは日本フルブライト会(会合は、在日米国大使館や六本木のアメリカンクラブなどで開かれる)から分かれて、大学別の同窓会(親睦会)として開かれているものである。各会員は1期から始まり、現在は各大学卒業ごとに開かれている。

連携大学[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ List of Nobel laureates by university affiliation
  2. ^ この状況についてMITのある校長は「ここは(MIT)は子供が遊ぶ場ではなく、大人が学ぶための場所である」とその特徴について語っている
  3. ^ なかには思い上がった者がボールボーイなどと中傷する者もいた。
  4. ^ フレッド・ハプグッド著・鶴岡雄二訳「マサチューセッツ工科大学」1995年9月25日
  5. ^ MITには鉄道の引き込み線なども存在した
  6. ^ 正確にはボストン地区にあった他の候補に比べてという意味で、ほかの大学は実践経験が乏しい理論派学校か美術学校ばかりだったために軍の基準に合致しなかったためである。実際にプロジェクトを行う上で、政府はロチェスター大学リー・ドゥブリッジを指導者として招いた
  7. ^ a b What's it like to study at MIT? Lu-Hai Liang, Education, theguardian, 13 Sep 2012
  8. ^ a b Paul Krugman, PhD ’77 MIT News Magazine, MIT Technology Review, 19 Aug 2014
  9. ^ IHTFP Hack Gallery

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

座標: 北緯42度21分35秒 西経71度5分32秒 / 北緯42.35972度 西経71.09222度 / 42.35972; -71.09222