市民的不服従

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
2005年2月9日ワシントンD.C.合衆国最高裁判所の階段上で市民的不服従の行動として捕虜拷問に反対するデモンストレーションを行い、逮捕される反戦運動家 Midge Potts

市民的不服従(しみんてきふふくじゅう、英語: Civil disobedience)とは、ある種の法律や、政府ないし支配的権力による要請・命令に従うことを非暴力的手段を通じて積極的に拒否することを指す。市民的不服従は、インドの非暴力抵抗運動(マハトマ・ガンディーによる社会福祉運動や、イギリス帝国からの独立運動)や、南アフリカの反アパルトヘイト闘争、アメリカの公民権運動などで用いられた。

理論的起源[編集]

市民的不服従の実践を裏付ける理論の草分けとなったのはアメリカ人の作家ヘンリー・デイヴィッド・ソローである。ソローは1849年に「市民的不服従」という題のエッセーを書いた(元々の題名は「市民政府への抵抗 (Resistance to Civil Government)」)。このエッセーの主導理念は、他人に頼るのではなくその人みずからを指針とすべきだという「自恃(じじ:自らを恃(たの)みとする)」の考え方である。政府に対して暴力をもって攻撃を加える必要はないが、政府に荷担すべきではないし、(敵対している場合には)政府の援助を受けるべきでもないというのである。このエッセーは後年市民的不服従が実際におこなわれるようになるにつれ大きな影響をもつようになった。ソローはこのエッセーを書いた理由を、奴隷制度対メキシコ戦争への反対の意思表示として納税拒否をおこなったことだとしている。

市民的不服従の理論と技法[編集]

市民的不服従を積極的な仕方で表現するときには、ある種の法律にわざと違犯することにもなる(例えば、スクラムやバリケードによって移動を妨害するとか、軍事基地を不法占拠するなど)。抗議者は自分がその行動によって逮捕されることになるだろうし、場合によっては当局から攻撃を受けたり殴打されることになるとも予期しているが、こうした非暴力的な仕方で市民的不正行為を実行するのである。逮捕や攻撃をされた時どう反応すればよいのか、抗議者があらかじめ訓練を積んでおくことも多い。そうすれば、いざという時取り乱したり思わぬ行動を取ったりして当局に脅威と思われてしまう恐れがないからである。

例えばガンディーは概略次のようなルールを定めていた。

  1. 不服従者は何があっても怒らないこと。
  2. 相手の怒りは我慢すること。
  3. そのせいで暴行を受けることがあっても抵抗せず、仕返しもしないこと。どれほど殴られたり虐められたりしようが、怒りのもとでおこなわれた命令には決して従わないこと。
  4. 当局から逮捕されそうになったら、文句を言わず逮捕されること。たとえば当局が自分の財産押収しようとしても抵抗せず、当局のするにまかせること。
  5. 他人の財産を預けられているときには、決してそれを当局に引き渡さないこと。そのせいで命を失うことになっても、絶対に反撃しないこと。
  6. 悪口を言ったり罵ったりしてもいけない。
  7. したがって相手を侮辱してはいけない。隠語や新造語のたぐいでもいけない。
  8. イギリス国旗には敬礼しない。けれども国旗や英・印の役人に対して侮辱することもしてはいけない。
  9. 闘争の最中に役人が侮辱されたり暴力を加えられることがあったら、を賭けてその役人を守ること。

ガンディーは彼の非暴力抵抗運動と、西洋の受動的レジスタンスを区別していた。

市民的不服従の実例[編集]

独立運動での用例[編集]

市民的不服従は、アフリカやアジアの旧植民地宗主国からの独立を求めるナショナリズム運動が高まりを見せた時に主要戦術として用いられた。最も有名なのはマハトマ・ガンディーの戦術である。ガンジーは次のように述べている。「市民的不服従は、市民が市民であろうとする市民の本来的権利である。これには規律、思想、責任、留意、犠牲が必要である (Civil disobedience is the inherent right of a citizen to be civil, implies discipline, thought, care, attention and sacrifice)」。ガンディーはソローのエッセーから市民的不服従について学び、非暴力抵抗運動の思想を形成したのである。

南アフリカ[編集]

南アフリカで市民的不服従を唱道したのは、デズモンド・ツツ大主教とスティーヴ・ビコである。とりわけ1989年のパープルレイン暴動やケープタウンでおこなわれた反アパルトヘイト・デモなどで市民的不服従がおこなわれた。

アメリカ合衆国における市民的不服従[編集]

1960年代アメリカ合衆国の公民権運動指導者マーティン・ルーサー・キング・ジュニアもまた、市民的不服従の戦術を採用した。同様に、ベトナム戦争当時およびその後の反戦運動家も市民的不服従を採用した。1970年代以降、妊娠中絶合法化に反対するグループが政府に対して市民的不服従をおこなった。

市民的不服従と宗教[編集]

市民的不服従の実践者の多くには宗教的背景があり、神父や牧師が市民的不服従運動を指導することも多い。その顕著な例がローマ・カトリック司祭フィリップ・ベリガンであり、彼は反戦のための市民的不服従の実践によって10回以上も逮捕されている。同様に、同性愛差別反対運動のグループも教会の方針を変更させるため市民的不服従運動に参加している。

日本における市民的不服従[編集]

戦前において兵役拒否や良心的軍事費拒否をとなえた人として、例えば非戦論者内村鑑三に傾倒していた花巻の青年斉藤宗次郎がいる[1]。戦後では1959年3月の丹慶徳による納税拒否があるが、この抗議行動は税務署による容赦ない手続きと差押の通告により打ち切られた[2]。1972年には防衛費不払いを目的とした裁判が名古屋の伊藤静雄弁護士らにより提訴されたが、名古屋地裁での一審は却下[3]、二審名古屋高裁は控訴棄却[4]

関連[編集]

外部リンク[編集]

  1. ^ 「戦争廃絶・軍備撤廃の平和思想研究」後藤光男(早稲田法学1979.3.20)[1][2]PDF-P.8
  2. ^ 後藤光男1979、PDF-P.9
  3. ^ 昭和47(行ウ)29 税金支払停止権確認等請求事件
  4. ^ 昭和55(行コ)17 税金支払停止権確認等請求控訴事件