反戦運動

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反戦ポスター「戦争 - 少数には善 - 大多数には悪」(左側の袖にはハリバートンと書かれている)
CNDデザインのピースマーク

反戦運動(はんせんうんどう Antiwar movement)とは、平和主義の観点から戦争に反対する個人または団体の運動や活動である。平和運動よりもやや狭義で捉えられるが、厳密な区分はない。

概要[編集]

反戦運動は、手段としての戦争に反対することが主たる目的であるが、戦争の原因となっている問題自体に対しては意見を示さず、平和的な解決を求めるもの、原因について意見があるものなどさまざまである。運動の具体的な内容には徴兵拒否軍隊からの脱走デモ活動(集会・行進)、ビラ配布、戦争当事国の輸出品目の不買運動軍需産業の従業員によるストライキ、当局関係者による内部告発などがある。

いわゆる反戦団体や支持者があらゆる戦争に常に反対しているとは限らず、むしろ温度差がある場合がほとんどである。もっとも、普遍的人権や民主主義の理念から、人権団体が反戦運動に取り組んだり、基本的人権の観点から反戦に取り組んでいる反戦団体も多い。とりわけ欧州では、ヨーロッパ諸国との直接的利害関係が薄い問題に対しての運動も盛んである。しかし、アジアやアフリカの発展途上国からは、そもそも欧州の人権団体が主張する人権や民主主義自体が欧米の価値観を前提としているという批判や反発もある。

国家、特に民主政国家は世論に関心を払わざるを得ず、厭戦気分は戦争の妨害になる。そのため戦時下にある国では、敵国や第三国が該当国の反戦運動を利用するとして、現在でも何らかの形で報道規制が敷かれることが多い。さらに、政府当局が反戦運動を「心理戦における相手国への利敵活動」と見なし、監視対象にすることもある。

歴史[編集]

欧米[編集]

米国のベトナム反戦運動(1967年)
反戦運動に参加するイタリア女性(1990年)
イラク戦争に反対する米国女性(サンフランシスコ・2003年)
2014年のガザ侵攻に反対するダブリンでのデモ

戦争が貴族・騎士傭兵、奴隷兵によって戦われた前近代の西欧では、戦争は、現代ほど嫌悪感が強くなく、支配階級はスポーツの如く捉えることすらあった。しかし、19世紀、戦争のために市民兵を動員する国民国家の時代になると、戦争は勝敗に関わらず国家国民を疲弊させるために悪しきものであるという認識がある程度共有されるようになる。こうした反戦の概念は南北戦争の時代に文学などで既に見られたが、決定的になったのは第一次世界大戦国家総力戦(Total war)の様相を呈し、前代未聞の被害を欧州各国に与えたからである。

第一次大戦後、欧州では厭戦気分から平和主義が台頭し、ナチスドイツへの宥和政策が支持を集めた。欧州では世界大戦終結を「戦争の終わり(end of war)」と呼び、平和主義に基づきもう戦争は起きないであろうと予測もしくは願望が唱えられた。しかしそれは20年後、第二次世界大戦の勃発によって裏切られる。第二次大戦後には戦争を抑止するメカニズムを主要国を中心とする体制によって形成するという理想の下で国際連合が設立され、その理念が今日まで続いている。

日本[編集]

日本の反戦運動・9条の会日本国憲法第9条戦争の放棄・9条の会リーフレット)

日本では、日露戦争における「非戦論」が反戦運動の端緒であったということができる。しかし、昭和に入り発生した日中戦争においては厳しい取り締まりもあり、反戦運動と呼ぶほどのものは存在していない。ちなみに日本以上の強権政治下にあったナチス・ドイツでは「白バラ運動」が存在した。

現状[編集]

日本国内の反戦団体や人権団体は、日本やその同盟国である米国の軍事力行使に対する活動が盛んである。一方で、その他の日本と無関係な国家の軍事力や戦争に対してまで運動が及ぶことはまれである。たとえばスーダン政府が関与しているダルフール紛争に関してはさほど活発な活動は見られない。逆にチベット弾圧等を糾弾する勢力が他の人権抑圧や戦争に反対することは皆無である。

軍事政策の一環としての自衛隊や米軍の艦船の寄航に抗議が行われるが、国際交流の一環として寄港した韓国海軍中国人民解放軍海軍の軍艦に反応することはあまりない。なお、米軍以外では、ロシア海軍艦船に対してグルジア侵攻への抗議活動が行われたり[1]フランス海軍艦船寄港への反対運動が行われたり[2]した例もある。

保守派や反戦運動を懐疑的に見る層は、この状況をとりあげ「日本の反戦団体は日本の仮想敵国である中国北朝鮮のスパイ組織なのではないか」と非難する。しかし、反戦運動は自国の政府の政策に疑問をもつことから生じるもの[要出典]であり、「仮想敵国」という用語を用いること自体にその疑問自体を否定する政治的意図がある。なお、ベトナム戦争に関連して反戦運動を展開していたベトナムに平和を!市民連合(ベ平連)は、「ソビエト連邦KGBから金銭、物資面の支援を受けていた」という事実が1991年(平成3年)のソビエト連邦の崩壊によってソ連共産党の機密文書が公開されたことによって明らかになっている[3]

非武装平和主義の思想が残る日本ではかつて軍隊に対する嫌悪感が示され、自衛隊自衛官が非難されることもあった。近年では逆に自衛隊のイラク「派遣」に際して邪魔になると見られたイラク人質事件の被害者に「死ね」という罵詈雑言を浴びせるという、他国では考えられないような対応をする勢力[要出典]が増大している[要出典]公安警察公安調査庁などの治安組織はこのような極右勢力のみならず、弱体化した反戦団体を常に監視下においている。[4]立川市長による自衛隊員住民登録拒否事件は、市長がその権限を行使して自衛官の住民登録を拒否した事件である。

反戦が軍隊への嫌悪に結びつくのは決して日本特有のものではなく、アメリカでも同様の事例があり、過酷なベトナム戦争から帰還したアメリカ兵は周囲からベビーキラーと罵倒され、偏見と差別を受けたとされることがある。[要出典]アメリカにも日本のような国内から武力を無くしてしまおうという運動があり[要出典]、また欧州では、反戦運動は伝統的に強力[要出典]であり、先進国の中でむしろ日本のみで反戦運動が下火になっている[要出典]ことが注目される。[要出典]

特徴[編集]

2003年3月15日のワシントンD.C.集会

反戦運動は、アメリカが行う(それも覇権主義的な)戦争に対してアメリカ国内でアメリカ市民が反対することが発端となることも多い。代表的な例として、ベトナム戦争時におけるアメリカでの反戦運動があげられる。また、2003年3月20日にアメリカがイラク戦争を開戦する以前に世界各国でイラク攻撃の反対運動が展開した(開戦直後にはアメリカの反戦団体「正義と平和のための連合」及び「戦争を止め人種差別に反対するため今行動を」の呼びかけにより、抗議のため世界を24時間かけて一周する反戦デモのリレーが行なわれた)ことも例としてあげられる。

日本における現在の反戦運動は、戦争の主体となる在日米軍日米安保に絡むものが多く、ダルフール紛争南オセチア戦争など日本や同盟国が関与していない戦争に対しては取り組まれないこともある。一方、アメリカの支援を受けているイスラエルによるパレスチナ攻撃は対象となっている。なお、欧米、特に欧州の反戦団体では米国やNATOが関与していなくても、地域的に近いダルフール紛争や南オセチア紛争に取り組んでいる例がある。

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ ロシア軍艦入港に抗議 舞鶴4団体 京都民報2008年9月30日号
  2. ^ 被爆地、対応分かれる 仏軍艦長崎入港 平和団体と市抗議、県は歓迎 西日本新聞[リンク切れ]
  3. ^ Koenker, Diane P., and Ronald D. Bachman (ed.), Revelations from the Russian archives : Documents in English Translation, Washington, D.C. : Library of Congress, 1997, pp699-700.
  4. ^ 佐々淳行著『危機管理宰相論』(文藝春秋,1995.12.15)

外部リンク[編集]