ダブリン

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ダブリン
面積: 114. 99 km²
州: ダブリン州
人口: 505,739 (2006)
地方: レインスター

ダブリン (Dublinアイルランド語Baile Átha CliathまたはDubh linn) は、アイルランド島東部の都市で、アイルランド共和国首都である。リフィー川河口に位置し、その南北に町が広がる。

目次

[編集] 概要

スパイアー・オブ・ダブリン
スパイアー・オブ・ダブリン

アイルランドの政治・経済・交通・文化の中心地であり、アイルランドの全人口の三分の一がダブリン首都圏に集中するアイルランド国内唯一にして最大の都市である。 市内にはアイルランド人の権利の拡大に尽力した人々やイギリスからの独立運動のために命を落とした活動家の名前が記念日や通りの名前に多く見られる。ダニエル・オコンネルに因む町の目抜き通りのオコンネル通りやパトリック・ピアースにちなむピアース通り、コノリー駅などが例に挙げられる。これらは本来は別の名前がつけられていたが、独立後に改名されたものである(オコンネル通りはかつてはサックビル通りと呼ばれていた)。

[編集] 地理

アイルランド東部、アイリッシュ海にのぞむレンスター地方の県、また都市。南部がウィックロー山地の一部になっているほか、地形はほぼ平らである。113kmにおよぶ海岸線には、リフィー川がそそぐダブリン湾のほか、多くの入り江や湾がある。ランベイ島やアイルランズ・アイ島などの島は、行政上ダブリン県に属している。 ダブリンの地形はほぼ平坦で、市内中央部を東西に流れるリフィー川によって南北に分けられており、川にかかる10の橋の中ではオーコンネル橋が有名である。細い路地がはしる南西部をのぞいて、広い道路や広場が整然とならぶ。14kmにわたる環状道路が19世紀末の市街地をかこんでいるが、市域はその外側にも広がっている。リフィー川に面した港には大型船舶用の埠頭があり、ロイヤル運河とグランド運河の2つの大運河がダブリンとシャノン川をむすんでいる。

政府官庁や企業のオフィス、文化施設、またグラフトン通りなどの高級ショッピング街や中流階級の住宅地は町の南側に集中している。これに対して北側は庶民の住む下町地域であり、庶民のためのショッピング施設などが立ち並んでいる。

歴史的建造物の多くは、リフィー川南岸の旧市街にある。ダブリン城にはかつてイギリスのアイルランド総督府がおかれていた。ダブリン城の近くには、プロテスタントクライスト・チャーチ大聖堂がある。ほど近い所にあるゴシック建築セント・パトリック大聖堂は、ダブリンでもっとも古い教会で、アイルランドにおけるプロテスタント信仰の中心である。スウィフトはこの大聖堂に埋葬されている。

旧市街にはアイルランド銀行や、18世紀建造のカスタム・ハウス(税関)、アイルランド高等裁判所のあるフォー・コート、国会議事堂としてつかわれるレンスター・ハウスなどがみられる。市内には、オーコンネル、政治家で弁論家のバーク、作家ゴールドスミスなど著名人の銅像が多い。西の郊外には、動物園や温室、森林公園、大統領官邸がある広大なフェニックス公園が広がる。

[編集] 歴史

主要記事:History of Dublin

2世紀のアレクサンドリアの地理学者プトレマイオスの文献にエブラナとしるされている地が現在のダブリンとされる。住民であるケルト人は291年、レンスター軍との戦いで勝利をおさめた。ダブリンのアイルランド語の名称ブラー・クリーは、この勝利のあとにつけられた名称と考えられている。

ダブリンは、アイルランドの歴史の中でしばしば重要な役割をはたしてきた。450年ごろにパトリキウスによってキリスト教に改宗する。9世紀半ば頃、リフィー川から攻め上がってきたノルマン人ヴァイキングが、ここにあったケルト人の町を破壊して城砦を築き、これをゲール語で「黒い水たまり」を意味する「ドゥヴ・リン」と呼んだのが町の英名の由来とされている。現在のダブリン城の地下にはその当時の遺構がうかがえ、またこの城の裏の庭がそのかつて「黒い水たまり」と呼ばれていた地域である。

これにつづく3世紀の間、アイルランドの住民はデーン人からたびたびダブリンを奪回した。1171年、デーン人はイングランドヘンリー2世にひきいられたアングロ・ノルマン人によって追放された。ヘンリー2世は翌1172年にダブリンに宮廷をおき、ここをイングランドの都市ブリストルの属領とした。こうしてダブリンはイングランドのアイルランド支配の拠点となったが、1534年に反乱がおき、アイルランドの愛国者フィッツジェラルドが一時支配した。

17世紀、イギリスのピューリタン革命の間、ダブリンはクロムウェルの議会派勢力に包囲された。1798年のアイルランド民族主義組織ユナイテッド・アイリッシュメンの蜂起に際してはダブリン攻略の試みは失敗し、1803、47、67年にも蜂起がくりかえされた。1916年と19~21年のアイルランド蜂起では、ダブリンははげしい戦場となっている。

歴代のアイルランド王や有力者、またアイルランドを植民地支配したイングランドもダブリン城に行政の拠点を置き、アイルランド独立にいたるまでアイルランドの行政と政治の中心であった。現在も、市の中心部のメリオン通りおよびメリオン・スクエア周辺にアイルランド共和国政府の議会や主要官庁が立ち並び、アイルランドの政治・経済・文化の中心として栄えている。

[編集] 経済

ダブリンはアイルランドの貿易の拠点で、家畜・農産物・黒ビールなどの各種工業製品はここから輸出されている。かつては大英帝国第二の都市と呼称されるほどに栄えたものの、独立後アイルランド政府の保守政策と経済不況、またその結果としての人口の移民としての流出のために数十年に渡って寂れた。がしかし、欧州共同体への加入、そして90年代に入ってからのIT・製薬・観光・金融産業などによる急激な経済成長により、現在ではかつての植民地時代の規模をはるかに超えた成長と人口を誇っている。このため、不動産の高騰や交通渋滞など人口集中に伴う問題が多々あり、町中のいたるところで街区の再開発が急ピッチで進められている。 近年の急激な経済成長のために人口が過去の十年で爆発的に膨張し、都市圏全体では100万人を超える。また、かつては世界最大の移民輸出国家であったが、現在では中国・アフリカ・東欧諸国からの移民の増大が激しい。

[編集] 文化

町の南の郊外には、この町の生んだ20世紀を代表する作家、ジェイムズ・ジョイス が一時滞在していた建物が記念館として残っている。ジョイスにはこの地の人々の日常と町の歴史や苦難の過去を重ね写しにした佳作『ダブリン市民』という短編集もある。記念館はナポレオンの侵攻に備えて作られた見張り塔だった建物で、チェスの城の駒のかたちで異様な体をなしている。

ジョイスの代表作『ユリシーズ』は、ホメロスオデュッセイア』の主人公2人に見立てたブルームとスティーヴン・ディーダラスが、ダブリンの町を知らず知らず互いを求めながらさまよう物語である。作品のなかの関係箇所と町のそこここの関連を表示した地図は、ダブリンを訪れた文学ファンの必須アイテムで、記念館で手に入れることが出来る。

また、この地の出身の哲学者にして、聖職者バークリ僧正は、アメリカに宣教に赴き、カリフォルニア大学バークリ校にその名前を残した。他にも聖パトリック大聖堂の首席司祭であったジョナサン・スウィフト、この町で生まれたオスカー・ワイルド、トリニティ大学出身でノーベル文学賞受賞者のサミュエル・ベケットなどこの町にゆかりのある文学者は多い。市の中心部にあるアイルランド・ライターズ・ミュージアムではこれらの文学者にゆかりの品が展示されている。

パブと音楽の町として観光客も多く、市内各地には無数のパブが建ち並んでいる。市内の各所では路上でパフォーマンスを繰り広げるミュージシャンの姿を見かける。ダブリン出身の有名なミュージシャンとしてU2ボブ・ゲルドフなどが挙げられる。市内中心部のテンプルバーはかつて荒廃していたが、政府の再開発計画によりパブ・ギャラリー・レストラン・カフェ・映画館・クラブ・ライブハウスなどの集中する若者の地域として生まれ変わった。

[編集] 教育

旧市街にあるトリニティ・カレッジは、英語圏の大学の中でもずば抜けた歴史と伝統を誇る。旧図書館(オールド・ライブラリー)では、ケルト美術を代表する作品ケルズの書など、貴重な収蔵文献を見ることができる。また、市内中心部にある国立博物館には「タラのブローチ」など、多数のケルト美術の至宝が展示されている。町の歴史自体は決して古くはないが、市内の中心部には均整の取れた近世の美しい町並みが良く保存されており、観光客たちを楽しませている。 作家ジェームズ・ジョイスがまなんだユニバーシティ・カレッジはアイルランド国立大学のキャンパスのひとつである。おもな図書館はダブリン大学図書館、ロイヤル・ダブリン・ソサエティ図書館、国立図書館。そのほか、国立博物館、ナショナル・ギャラリー、19世紀末から20世紀初頭にかけてアイルランドの民族主義的文学運動の中心だった劇場アベイ座などがある。

[編集] 交通

[編集] 姉妹都市

[編集] 外部リンク

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