核兵器

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大量破壊兵器
種類
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化学兵器
核兵器
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国別
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アルゼンチン イギリス
イスラエル イタリア
イラク イラン
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オランダ カナダ
ドイツ パキスタン
フランス ブラジル
ポーランド ロシア
北朝鮮 台湾
中国 日本
南アフリカ [編集][ノート]

核兵器(かくへいき)は、核反応による爆発大量破壊に用いる目的で作られた兵器の総称。原子爆弾水素爆弾中性子爆弾等の核爆弾核弾頭)とそれを運搬する運搬兵器で構成されている。

核兵器は、生物兵器化学兵器と合わせてNBC兵器(又はABC兵器)と呼ばれる大量破壊兵器である。一部放射能兵器も含めて核兵器と称する場合があるが、厳密には両者は区別されるので注意を要する。

目次

[編集] 核兵器の歴史

原爆の被害者
核兵器使用後の都市(1945年、広島)

[編集] 第二次世界大戦と核兵器開発

Qesto succede perchè la prima bomba atomic fu sganciata in un deseto in messico1930年代中性子による原子核の分裂が連鎖的に行われれば、莫大なエネルギーが放出されると仮説が立てられていた。1939年ウランによる核分裂連鎖反応が実験実証されると各国で原子炉の開発が開始された。当初は必ずしも兵器目的ではなかったが、この年の9月に第二次世界大戦が勃発すると、核分裂の巨大エネルギーを兵器として利用する原子爆弾の可能性が活発に議論されることになる。原爆の秘密裏の検討は連合国側・枢軸国側ともに行われていたとされる。[1]

[編集] マンハッタン計画

この時代で原爆開発を組織的に最も推進できたのはアメリカであった。当時のアメリカには当時核開発を行っていたドイツナチスユダヤ人迫害から逃れてアメリカに移民した優秀な科学者が大勢おり、その一人のレオ・シラードアインシュタインの署名を得て、ルーズベルト大統領にヒトラーの核保有と独占の危険性を訴える手紙を送った(1939年8月)。これを契機に原爆開発がスタートしたとされる。 この秘密開発プロジェクトはマンハッタン計画と呼ばれた。

ウラン濃縮プラント・プルトニウム生産炉の各巨大工場の建設、そしてオッペンハイマーが率いるロスアラモス研究所には優秀な科学者を全米から集め、アメリカの軍・産・学の総力を挙げた国家プロジェクトとなった。最初の原爆は1945年7月16日に完成(3個)し、そのうち1個(ガジェット)によりアラモゴードの砂漠で世界最初の原爆実験を実施した。残りの2つの原爆が日本に投下された。

詳細はマンハッタン計画を参照

世界初の原子爆弾の実使用は、1945年8月6日午前8時15分に広島に対して濃縮ウラン型原爆リトルボーイB-29エノラ・ゲイ)からの投下で実行された。ついで1945年8月9日午前11時2分には長崎に対してプルトニウム爆縮型原爆ファットマンB-29ボックスカー)から投下された。

原爆投下により両都市は一瞬にして壊滅し、数十万人が殺害された。原爆炸裂によるキノコ雲の頂点は17kmと成層圏に達し、雲からは放射性物質を含む黒い雨が30kmの範囲に降り注ぎ、被曝の人的被害を拡大した。

詳細は広島市への原子爆弾投下長崎市への原子爆弾投下を参照

原爆の成功に軍当局は喜んだが、原爆使用の実体が明らかになってくると世界は恐怖し、原爆開発に関係した科学者からも原爆反対の声があがっていくことになる。

核の力によるアメリカの単独覇権は想定通りとならなかった。予想以上に早く、1949年ソ連原爆実験に成功したからである。これ以降、世界は核の均衡の上の冷戦の時代に突入する。

なお、ソ連の原爆開発には、CFR(外交問題評議会)メンバーであり、ルーズベルト政権の商務長官兼任大統領主席補佐官であったハリー・ホプキンスが、意図的にソ連に原爆技術を移転したという、レーシー・ジョーダン(George Racey Jordan)少佐のアメリカ議会委員会での宣誓供述がある[2]

[編集] 冷戦時代の核競争

核実験を至近距離で見つめる兵士たち。核攻撃直後の被爆地における作戦行動能力の調査という名目であったが、人体への影響を調査する実験体であったとも言われる。
アメリカ合衆国(青)とソビエト連邦(ロシア、赤)の核兵器保有量の推移(1945年-2005年)

冷戦時代には、アメリカ合衆国とソビエト連邦の間で核兵器の大量製造、配備が行われた。1952年にイギリス、1960年にフランス、1962年に中国、1974年にインドが原子爆弾を開発・保有した。1953年にソビエト連邦、1954年にアメリカ合衆国、1966年にフランス、1967年に中国が水素爆弾を開発・保有した。核兵器の量は地球上の全人類を滅ぼすのに必要な量を遥かに上回っていた。核兵器保有国は最盛期には、アメリカ合衆国は1966年に約32,000発、ソビエト連邦は1986年に約45,000発、イギリスは1981年に350発、フランスは1992年に540発、中国は1993年に435発、五か国合計で1986年に約7万発[3]を保有していた。また、核による先制攻撃を通じて相手国に致命的なダメージを負わせ、戦争に勝利するという戦略を不可能にするべく、相手国の攻撃を早期に探知し、報復するためのシステムが構築された。この戦略は相互確証破壊(Mutually Assured Destruction, MAD)と呼ばれ、冷戦期の核抑止をめぐる議論で重要な役割を果たした。

また核兵器の小型化にともない冷戦期には戦略的な使用のみならず戦場などで使用される戦術核兵器も開発され、同時代のミサイルの信頼性の低さを補うための対空核ミサイル、潜水艦を確実に沈めるための核魚雷、敵部隊を一撃で殲滅するための核砲弾など、ありとあらゆるものの核兵器化が行われた。戦略爆撃機弾道弾搭載原子力潜水艦(SSBN)大陸間弾道弾(ICBM)の三つは核兵器の三本柱(トライアド)といわれた。

[編集] 核の冬

核兵器の大量使用の後には、地表は放射性物質で汚染され、また放射性物質を含む灰(放射性降下物)が降ることになる。巻き上がった灰によって日光が遮られ、地表の気温が低下し、植物が枯れ、人間が生存できない環境になることが指摘された。このような状態は核の冬と呼ばれる。この核の冬を生き延びるための手段は用意されなかった。爆心からある程度離れた地点で、核爆発時の熱、爆風、放射線を逃れ、核爆発後の放射能の減衰を待つための核シェルターと呼ばれる地下施設が考案されたのみである。

核兵器の恐怖や核戦争のリスク、放射線による殺傷の残酷さなどは知識人、作家、政治家、政治活動家、一般市民など多くの人々の関心を呼んだ。そのため反核運動が生まれた。

[編集] 冷戦終結後の核兵器

崩壊寸前の旧ソ連とアメリカ合衆国は、1991年7月に第一次戦略兵器削減条約(START1)を締結し、核兵器の削減が進んでいた。ソ連が崩壊した後も、現在のロシアが戦略兵器削減条約を引き継ぐ形で進行していた。しかし第二次戦略兵器削減条約は1993年に条約を締結したものの発効せず、第三次戦略兵器削減条約の交渉も不調となった。2001年に第一次戦略兵器削減条約が定めた廃棄が完了して以後は、2002年のモスクワ条約では核兵器の配備数のみの削減を除いて、核軍縮の進行が停滞していた。2009年1月に就任したオバマ大統領は、核兵器軍縮政策の最終目標として核兵器保有国の協調による核兵器の廃絶を掲げている。

ソ連の崩壊後は、経済情勢の悪化や汚職の蔓延に伴う管理体制の不備から、ロシアから第三国への兵器の流出、あるいは技術者の流出が増加しているとされる。かつての核大国以外での核兵器の使用、誤使用などのリスクは、冷戦時代とは違った意味で増大している。

これらのことから、自国の安全という核抑止論で配備された核兵器が、安全を脅かす存在そのものとして世界各国に散らばり、さらにそれらに対する安全としてさらに増加し、全世界を巻き込む騒動の火種となりつつあることを示している。

1998年にはパキスタンが原子爆弾を開発・保有した。近年ではカシミール地方の領有権を巡るインド・パキスタンの国境紛争が核兵器の使用につながる可能性があると懸念された。

また北朝鮮は体制維持を目的に、近隣他国に対する交渉手段として、核兵器の開発を継続していると言われていたが、2006年10月9日に核実験を実施(→北朝鮮の核実験)。

[編集] 核兵器廃絶への取り組み

核兵器の開発・保有・使用に対する、反対や規制の動きには以下がある。

1945年6月、マンハッタン計画に参加していた科学者の一部より、フランクレポートが提出された。

1955年、哲学者・科学者によるラッセル=アインシュタイン宣言が提示され、1957年からパグウォッシュ会議が開催された。

1959年12月、アメリカ合衆国、ソビエト連邦、イギリス、フランス、日本などの12か国は、南極における軍事基地の建設と軍事演習の禁止、核実験や放射性廃棄物の遺棄の禁止、領有の主張の凍結、科学調査の自由と国際協力を規定する南極条約を締結した。2008年12月時点で加盟国は47か国である。

1963年8月 アメリカ合衆国、ソビエト連邦、イギリスは、大気圏内・水中・宇宙空間における核爆発実験を禁止する(地下での実験は禁止しない)部分的核実験禁止条約を締結した。

1967年2月、中南米の14か国は核兵器の実験・製造・購入・配備・使用を禁止するラテンアメリカ核兵器禁止条約に署名し、1968年4月に中南米の21か国が署名し、条約は発効した。1994年1月にブラジル、アルゼンチン、チリが加盟、2002年にキューバが加盟し、中南米の全33か国が加盟した。

1968年7月 国連総会は核兵器保有国の増加を抑止するために、その時点で核兵器保有国である、アメリカ合衆国、ロシア、イギリス、フランス、中華人民共和国の5カ国以外の核兵器の保有を禁止し、核兵器保有国に対して「誠実に核軍縮交渉を行う義務」を規定する核拡散防止条約を採択した。インド、パキスタン、イスラエルは未加盟である。

1972年5月 アメリカ合衆国とソビエト連邦は、核兵器の運搬手段である地上発射弾道ミサイルの保有数を制限する第一次戦略兵器制限交渉を締結した。

1972年5月 アメリカ合衆国とソビエト連邦は、弾道ミサイルを迎撃するミサイル配備する基地を首都ともう一か所の基地に制限する弾道弾迎撃ミサイル制限条約を締結した。

1974年7月 アメリカ合衆国とソビエト連邦は、弾道ミサイルを迎撃するミサイル配備する基地を一か所の基地に制限する弾道弾迎撃ミサイル制限条約の議定書を締結した。

1979年6月 アメリカ合衆国政府とソビエト連邦政府は、核兵器の運搬手段である(ICBM、SLBM、戦略爆撃機)と複数弾頭化(MIRV)を制限する第二次戦略兵器制限交渉に署名したが、アメリカ合衆国上院はソ連のアフガニスタン侵攻を批判して批准せず無効化した。

1985年6月、南太平洋の13か国は核兵器の実験・製造・購入・配備・使用を禁止する南太平洋非核地帯条約を締結した。

1987年12月 アメリカ合衆国とソビエト連邦は、射程距離が5500KM以下の弾道ミサイル巡航ミサイルとそのミサイルに搭載する核爆弾を1991年までに全廃する中距離核戦力全廃条約を締結。条約に基づいて廃棄が遂行され、1991年に米ソ両国政府は相互査察により条約が定めた廃棄を確認した。

1991年7月 アメリカ合衆国とソビエト連邦は戦略核爆弾を6000発以下に削減し、核爆弾の運搬手段である地上発射弾道ミサイルと潜水艦発射弾道ミサイルと戦略爆撃機の合計を2001年までに1600基機以下に削減する第一次戦略兵器削減条約を締結した。条約に基づいて廃棄が遂行され、2001年に米ロ両国政府は相互査察により条約が定めた廃棄を確認した。第一次戦略兵器削減条約の締約期間は2009年度末であり、条約が継続されるか破棄されるか注目されている。

1993年1月 アメリカ合衆国政府とソビエト連邦政府は、戦略核爆弾を3500発以下に削減し、核爆弾の複数弾頭化(MIRV)を禁止する第二次戦略兵器削減条約に署名し、アメリカ合衆国上院は1996年1月に批准したがロシア議会は批准せず、米ロ両国政府は1997年9月に条約の履行を2007年に延期する議定書に署名し、ロシア議会は2000年4月に条約と議定書を批准したが、アメリカ合衆国上院は議定書を批准せず条約は発効していない。

1995年12月、東南アジアの10か国は核兵器の実験・製造・購入・配備・使用を禁止する東南アジア非核地帯条約を締結した。

1996年9月 国連総会ではあらゆる場所におけるあらゆる形態の核爆発実験を禁止する包括的核実験禁止条約を採択した。条約の発効には原子炉を保有する全ての国の加盟が必要だが、アメリカ合衆国(政府は署名しているが上院は批准していない)、イスラエル、イラン、インド、インドネシア、エジプト、コロンビア、中国、朝鮮民主主義人民共和国は未加盟であり、条約は発効していない。

2002年5月 アメリカ合衆国とロシアは、米ロ両国の配備済みの戦略核爆弾とその運搬手段(ICBM・SLBM・爆撃機)を2012年までに1700~2200発に削減する(ただし廃棄は義務付けず保管は容認)モスクワ条約を締結した。

2002年6月 アメリカ合衆国はミサイル防衛システムを配備するために弾道弾迎撃ミサイル制限条約を破棄した。ロシア政府はアメリカ合衆国政府が弾道弾迎撃ミサイル制限条約を破棄したことを理由に、第二次戦略兵器削減条約の発効と履行をする異議は失われたと表明した。

2006年9月、中央アジア5か国は核兵器の実験・製造・購入・配備・使用を禁止するセメイ条約を締結した。

上記のように世界の核兵器保有二大国であるアメリカ合衆国とロシアも、イギリス、フランス、中国も冷戦時代の最盛期と比較すると核兵器保有数を削減し、五か国合計で約2万7000発に削減[3]しているが、2008年現在でも全廃は実現していない。核兵器廃絶をめざす各国政府と運動団体は、米ロ両国以外の核兵器保有国であるイギリス、フランス、中国、インド、パキスタンに対しても、核兵器の保有・開発を疑われている国に対しても、核兵器廃絶を説得・実現するためには、米ロ両国の配備済み核兵器を他の保有国と同程度まで削減しないと説得力が無いと認識している。

核兵器廃絶を推進する諸国(日本も含む)の政府は、1994年 - 2008年の15年連続、国連総会で核兵器廃絶決議を提案し、賛成多数で毎年採択されている。2008年度は59か国が共同提案国になり、賛成は史上最多の173か国、反対は4か国(アメリカ合衆国、インド、朝鮮民主主義人民共和国、イスラエル)、棄権は6か国(中華人民共和国、イラン、ミャンマー、パキスタン、キューバ、ブータン)である[4][5]

2009年4月 アメリカ合衆国のバラク・オバマ大統領は、アメリカ合衆国大統領としては初めて核廃絶に向けた演説を行い、ロシアと新たな戦略兵器削減条約、包括的核実験禁止条約の批准、核拡散防止条約の強化、核管理に関する首脳会議などを提唱した[6][7]

[編集] 核兵器拡散状況

核兵器の開発状態により色分けされた世界地図。:NPTの5つの核保有国(アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国)。濃いオレンジ:その他の知られている核保有国(インド、パキスタン、北朝鮮)。薄いオレンジ:核の保有、または開発が疑われる国(イスラエル、イラン、ウクライナ[8])。ピンク:核の保有、または研究がかつて存在した国、核兵器開発能力のある国(日本)。

[編集] 核兵器保有国

[編集] 旧連合国(国連安保常任理事国)

  1. アメリカ合衆国
  2. ロシア連邦ソ連崩壊後ロシア連邦が国連安保常任理事国の座を譲り受ける。)
  3. イギリス
  4. フランス
  5. 中華人民共和国(元々国連安保常任理事国メンバーで中国を代表する政府であった中華民国政府は1971年に国連を追放され、替わりに中華人民共和国政府がその座を譲り受けた。但し、中華民国は核兵器開発に成功していない。)

[編集] 第三世界

  1. インド - 1974年核実験
  2. パキスタン - 1998年に核実験
  3. 北朝鮮 - 2006年10月に1回目、2009年5月に2回目の核実験(ただし1回目は失敗説もある。兵器としての完成度や保有状況は不明だが、米情報機関の推定では2-20発である。詳細は北朝鮮の核実験を参照。またカーン博士の告白より、パキスタンの核技術が流れている疑惑もある。詳細は北朝鮮核問題を参照。)

[編集] 核兵器または核兵器開発放棄国

  1. 日本大日本帝国) - 第二次世界大戦中に研究。 日本の原子爆弾開発を参照。
  2. ドイツナチス・ドイツ) - 第二次世界大戦中に研究。
  3. 中華民国台湾) - 開発成功寸前まで行ったが、CIAの工作で頓挫。2007年、かつて核兵器開発を行っていたことを公式発表[9]
  4. 大韓民国 - 朴正煕政権下の1970年代に極秘に核開発を行おうとしたが、朴正煕暗殺事件の発生やアメリカなどの牽制で頓挫。1991年、盧泰愚大統領が非核化宣言を行った[10]。その後、2004年になり、1982年にも使用済み燃料棒から微量のプルトニウムを抽出していたことや、2000年にウラン濃縮実験を行っていたことが明らかになり、外国メディアから核開発疑惑を持たれた[11]
  5. イラク - イスラエルの空爆(イラク原子炉爆撃事件)で頓挫。その後、核開発疑惑など大量破壊兵器の存在を口実にした侵攻(イラク戦争)を受けた。
  6. ウクライナ - 旧ソ連の核兵器が保存されていたが、1996年6月までに全量ロシア政府に移管されたとされる。
  7. スイス - 冷戦終結のため、1988年に核開発を放棄(1995年発表)[12]
  8. スウェーデン - 1970年核拡散防止条約 (NPT) を批准、計画を完全中止(2001年発表。スウェーデンの原子爆弾開発も参照)[13]
  9. ブラジル - アルゼンチンとの対立から軍事政権期に核開発計画を進めていたが、1988年に放棄を宣言。
  10. アルゼンチン - ブラジルとの対立から核開発計画を進めたが、ブラジルが計画を放棄したのに合わせ1990年に両国共同で核放棄を宣言。
  11. 南アフリカ共和国 - かつて密かに保有していたが、現在は放棄。ブーベ島沖で核実験を行ったと推測。公式には認めていない。
  12. リビア - 核開発を公式に放棄。

[編集] 核兵器保有疑惑国

  1. イスラエル - 核兵器保有はほぼ確実だが、公式見解での保有に関しては不明(肯定も否定もしていない)。ディモナで数百発作成し(モルデハイ・ヴァヌヌ内部告発)、インド洋上で南アフリカと合同実験済との主張もあるが、真偽は不明である。また、1979年9月に、南極に近いノルウェー領ブーベ島と南アフリカ領プリンス・エドワード諸島の間で大規模な爆発が観測されたうえに、放射性物質が降り注いだことから、いずれかの国が核実験を行ったのではないかとの指摘があったが、これも核実験とは確定されていない引用。2009年にはストックホルム国際平和研究所は核兵器保有国と認定した[14]
  2. イラン - 最近(2006年4月)正式に核開発を認めたが、平和利用のみと主張している(イランの核開発問題)。
  3. シリア - プルトニウム関連施設が北朝鮮の技術支援で建設。アメリカ政府が2008年4月に北朝鮮との関わりを発表した。当該施設はイスラエル空軍の空爆で破壊。

[編集] 日本の核戦略

非核三原則

日本政府の核に関する基本政策は、原子力の平和利用であり、非核三原則をとる。

核エネルギーは平和目的にのみ利用するとして、日本は核兵器拡散防止条約に批准している。

条約履行にて、IAEAの査察を受け入れ、核兵器製造・保有につながる行為自体を自ら禁止している。

ただし非核三原則のうち「持ち込ませず」は、日本に入港する米国艦船及び米軍基地を日本政府が査察するわけでもなく(そもそも査察できる法的根拠がない)米軍の言葉を信じているのみであり、米軍基地内に核兵器が秘密裏に配備されている可能性は否定できない。実際、朝鮮戦争当時、既に米海軍の空母オリスカニー内で核兵器の組み立てが行われていた[15]。なお2008年現在、日本に入港するかしないかを問わず、核弾頭装填可能な発射装置を装備する米海軍水上艦艇は、全ての艦が既に核弾頭の退役を完了させている。もはや不要と考えられているためである。

日本は、広島長崎原子爆弾が投下された世界で唯一の被爆国(但し、南太平洋などでは核実験により被爆者が出ているため、ここでいう唯一は戦争において唯一という意味である)。そういった歴史により、第二次世界大戦後の歴代の政府、与党・野党を含めて国会議員がいる全ての政党が日本の核武装に反対し、世界の核兵器廃絶を主張してきた。しかし、国会議員や国民の中には核武装を主張する人も存在する。

日本の核武装論

上記のような非核三原則に基づく第二次世界大戦後の歴代政府、与党・野党を含めて国会議員がいる全ての政党、日本国民の多数意見に対して、「中国・北朝鮮の核政策に対抗して日本も核保有すべき」「核武装してこそ国際社会での正当な発言力が得られる」「米国にいつまでも防衛を依存し続けるという前提は現実的な政策でなく、いつか自分の身は自分で守らなければならない時が来るから核武装が必要」など核武装論を主張する国会議員や国民も存在するが、国会議員の中でも国民の中でも著しい少数派である。これは日本の核配備が核拡散防止条約に抵触し、アメリカ合衆国との同盟関係を揺るがす懸念があるからであり、また1999年に西村真悟防衛政務次官(当時)が核武装発言で更迭された事件に見られるように、被爆国としての核兵器に対する国民的な忌避意識が強いからである。このため、米国をはじめとする近隣諸国からの懸念や圧力もあり、政界において日本が核兵器を配備する可能性について発言することは避けられてきた。しかし近年は以前のような核武装に関する徹底的な忌避の風潮は緩やかになってきており、また北朝鮮の核武装へ対抗するには核武装も必要という意識や、拉致問題に対する国民の国防意識の高まりを受けて、核武装の是非以前に議論をする事は必要であるとの主張をする政治家、閣僚も散見されるようになってきている。

小泉政権時に起きた極東アジア外交の冷え込みとあいまって、近年の中国や北朝鮮の外交・軍事政策(中国の基本軍事政策とそれに伴う侵犯事件・北朝鮮の核実験)を鈍化させ、軍事的恫喝を阻止するためには日本も将来的には核保有すべきだ、という論調も多く見られる。ただし、日本は核武装が可能な技術力は持っているが、政治的問題を除いても核実験場の確保が困難であるため、実際の配備は難しいという意見もある。

核燃料サイクルによる核武装の可能性

原子力の平和利用として推進されている核燃料サイクルの経済合理性には疑問が呈されている[要出典]が、それでも同計画が推進されるのは、経済ではなく軍事的合理性を検討する必要がある[要出典]六ヶ所再処理工場で取り出すことのできるプルトニウムは、不安定なプルトニウム240の含有量が高くて原子爆弾の製造には不向きである。しかし、核燃料サイクルで計画されている高速増殖炉と組み合わせることにより、原子爆弾の製造が可能な兵器級のプルトニウムを生産可能になるという主張がある。これは、「反戦反核闘争」を進めている活動家グループや労働団体[16]らが唱えているもので、そのメンバー槌田敦他の共著『隠して核武装する日本』(影書房、2007年12月)[17]にまとめられている。

ウラン鉱山-精錬工場-濃縮工場-燃料加工工場-原子力発電所-再処理工場(六ヶ所再処理工場)-MOX燃料加工工場-高速増殖炉(もんじゅ)-再処理工場-原爆製造工場

[編集] 各国の核戦略

核兵器は現実問題として、積極的に使用することは困難な兵器であり、その存在意義は防衛的、戦略的なものが強い。アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国、インドは大国であり、防衛のために核に頼る必要は少なく、戦略的な意味合いが強い。即ちアメリカは世界戦略、その他の諸国は地域の安定化、自国に有利な状況を作り出すために核を保持している。

一方パキスタンや北朝鮮のような比較的軍事的に脆弱な国は、最後の安全保障として核に頼る考えを持っている。韓国や台湾、イラクなども同じ思想を持っていたが、韓国・台湾はアメリカの説得・工作により、イラクはイスラエル軍がイラクの原子炉を破壊したことにより(イラク原子炉爆撃事件)、それぞれ開発を断念した。また北朝鮮のように、核カードを切って譲歩を導き出そうとする国家も存在する。イスラエルはこの中間で、軍事力はアメリカの援助もありかなり強大な部類に入るが、中東紛争の切り札として核を(持っているかいないかをぼかしていることも含め)重視している。

これらの(一応は合理的な本来の)目的のほかに、国威高揚を目的として核開発を行う場合も少なくない。究極的な軍事的自立を目指せば核が必要になり、核という先端技術そのものも宇宙開発同様、国民の自尊心称揚の手段になると考えられるからである。これは一部の強硬な核武装論者の主張でもある。

南アフリカ共和国は核兵器を開発、配備しながら、廃絶したことを公表した唯一の国である。

上記のことを背景に、核兵器が最終兵器と呼ばれることもある(用法例:東西の首脳は最終兵器・核を背負って対峙した)。

[編集] 秘密裏に核兵器開発を行う可能性

核保有国からなる「核クラブ」(原子力供給国グループ)の国々では、CTBTに同意しているか否かに関わらず他国の新たな核兵器保有を認めていない。特にアメリカ合衆国を中心に地球規模での核開発阻止政策を推し進めており、そういった核クラブ国に証拠を掴まれずに容易に核兵器の開発を行える状況にはないといえる。

核物資や核に関する技術と装置は、たとえそれが平和利用を目的とする原子力発電用のものであると主張しても、IAEAの厳しい監視下でしか導入は許されない。核クラブ(のボスたる米国)に敵対する立場をとるイランや北朝鮮のような国では、平和利用を謳いながら核兵器開発に使用するのではないかと常に疑いを持たれており、国際的な核問題の中心課題となっている。米国はこれらを含む特定の国への核技術の提供を行わないように各国に強く求めている。逆に諸条約に参加せずまた米国に睨まれさえしなければ、疑惑の指摘を受けようがイスラエルやパキスタンのように“否定も肯定もしない、想像に任せる”とかわし続ける事が出来るのである。

[編集] 可能性の検討

核物質

ソビエト連邦の崩壊時にある程度の量の精製済み核物質が不法な手段で持ち出されたという真実味を帯びた噂があり、それを裏付けるようにソ連時代の核科学者がソビエト崩壊後に大量に海外へと流出していた時期がある。ウラン鉱石そのものは、たとえば日本でも採れるように世界の各地で採掘が可能なため、入手そのものは可能と推察できる。

精製施設

核兵器として使えるだけの精製度の高い核兵器級核物質を得るには、ウランを濃縮するか、兵器用プルトニウム生産を行った原子炉由来のプルトニウムを精製する必要がある。こういった精製施設は核クラブの監視の目を潜り抜けて秘密裏に建造・運転することは極めて困難であり、精製に必要な莫大な電力を賄うために発電所を建設すると、電力需要に不釣合いな発電施設は容易に注目を浴びることになる。

ウラン濃縮には大電力を消費する遠心分離法ではなく、レーザー法では低消費で済むという見方もあるが、核先進国のフランスでは今でも遠心分離法を採用しているため、レーザー法の消費電力の真偽は不明である。仮にレーザー法が低消費であっても、高度技術の導入が必要なのは確かである。なお、兵器製造と発電燃料製造のための濃縮は、濃縮の程度等根本的に異なり、全くと言ってよいほどの別物である。

実証実験

核爆発装置を兵器として完成するには、少なくとも核爆発実験などの実証実験が不可欠であり、 偵察衛星や高精度地震計、空中の核分裂反応由来ガスの収集などの監視技術が発達した現在では、多くの痕跡を残す核実験は秘密裏での実施は困難であるとされる。

臨界前核実験

アメリカ合衆国では1990年代から臨界に至らない「臨界前核実験」という核兵器の開発法が導入され、核兵器の能力と精度の向上とすでにある核兵器の信頼性の検証をしている[18]。 ロシアでも20世紀末から臨界前核実験を行っている[19]とされるが、これらは共に数え切れないほどの核爆発実験ときわめて高度な核物理学の知見の元で、コンピュータ・シミュレーション技術の助けがあって初めて実現した成果である。


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[ヘルプ]
  1. ^ 例えば、U-234に見られるように核兵器に必要なウラン鉱石をドイツから日本へ運搬する計画が存在した(日本の原子爆弾開発を参照)。
  2. ^ George Racey Jordan (1965). From Major Jordan's diaries. Western Islands. 
  3. ^ a b Bulletin of the Atomic Scientist. "Global nuclear stockpiles 1945–2006". 2009年4月25日 閲覧。
  4. ^ UN>General Assembly>Documents>Documents by Agenda Item 63rd(2008) Session>Resolutions Regular Sessions. "Resolutions 63rd(2008) Session>Resolution No. A/RES/63/58 - Meeting Record A/63/PV.61 - Draft A/63/389 - Topic Towards a nuclear-weapon-free world: accelerating the implementation of nuclear disarmament commitments". 2009年1月11日 閲覧。
  5. ^ 外務省. "外交政策>軍縮・不拡散>我が国核軍縮決議の国連総会本会議における採択". 2009年1月11日 閲覧。
  6. ^ [朝日新聞 http://www.asahi.com/international/update/0405/TKY200904050209.html オバマ大統領、核廃絶に向けた演説詳報]
  7. ^ [BBC News http://news.bbc.co.uk/2/hi/europe/7983963.stm Obama promotes nuclear-free world]
  8. ^ 米科学者連盟によると、ウクライナが旧ソ連から受け継いだ核兵器は1996年6月までにすべてロシアに引き渡されている。
  9. ^ 「台湾:陳総統、過去の核開発認める 初の公式表明」、毎日新聞、2007年10月29日。
  10. ^【核開発】韓国の核開発技術はどの程度の水準か」、朝鮮日報、2006年10月4日。
  11. ^IAEA査察団再派遣…政府は何をしていたのか」、朝鮮日報、2004年9月14日。
  12. ^1945年にはスイスに核兵器開発計画があった」、核燃料サイクル開発機構
  13. ^1950年代にスウェーデンが核開発を計画」、核燃料サイクル開発機構。
  14. ^ 「核の地球儀にイスラエル表示」中国新聞2009年5月8日
  15. ^ NHKスペシャル「こうして“核”は持ち込まれた ~空母オリスカニの秘密~」2008年11月9日 http://www.nhk.or.jp/special/onair/081109.html
  16. ^ 槌田敦/全国労働組合交流センター『核武装の道を歩む日本・反戦反核闘争のために』(全国労働組合交流センター・1994)参照。
  17. ^ ISBN 978-4877143763
  18. ^ [1]
  19. ^ [2]

[編集] 関連項目

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