ダルトン・トランボ

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1947年、妻クレオと共に非米活動委員会の聴聞会にて

ダルトン・トランボドルトン・トランボとも表記)(Dalton Trumbo, 1905年12月9日 - 1976年9月10日)は、アメリカ合衆国脚本家映画監督。アメリカで1940年代に起こった赤狩りに反対したいわゆるハリウッド・テンの一人。

迫害期にはベン・L・ペリーBen L. Perry)、ロバート・リッチRobert Rich)のペンネームで活動し、またイアン・マクレラン・ハンターIan McLellan Hunter)の名義を借用したこともある。

プロフィール[編集]

アメリカ合衆国コロラド州モントローズに生まれた。家業は靴屋。南カリフォルニア大学を卒業後、雑誌の記者・編集者を経て脚本家への道に進んだ。映画界には1937年の『潜水艦SOS』の脚本家としてデビューした後、1940年の『恋愛手帖』でアカデミー脚色賞にノミネートされ、一躍ハリウッドのトップ脚本家として脚光を浴びた。

1944年、『東京上空三十秒』『緑のそよ風』などの脚本を手がけ、着実にキャリアを積んでいたが、第二次世界大戦終結後の東西対立の激化の中、後にいわゆる「赤狩りマッカーシズム)」と呼ばれた運動の最初の標的とされたハリウッド映画界の著名な10人の映画人(ハリウッド・テン)の中に数えられ、1947年10月20日、反共キャンペーン下院非米活動委員会による第1回聴聞会に呼び出された。当時のハリウッドにはジョン・ウェインらを筆頭に「アメリカの理想を守る映画連盟」という組織が設立され、非米活動委員会への協力が推進された[1][2]。第1回聴聞会に出席したトランボは、「あなたは共産主義者か、あるいは、かつてそうであったか?」と問われたが、アメリカ合衆国憲法修正一条(言論と集会の自由を規定した条項)を理由に証言を拒んだ。その結果、議会侮辱罪で逮捕され、禁固刑の実刑判決を受た。実際、トランボはアメリカ共産党の党員であった。

刑期終了後も映画界から事実上追放され、妻らと共にメキシコに移り住んだ。トランボは貧困にあえぐ生活を強いられたが、偽名を使って脚本家としての仕事を続け、B級映画作品の脚本で食いつないだ。製作側としてみれば、ハリウッドの高給脚本家の作品を安く買えることに意味があり、トランボの思想傾向など問題とはされなかった。1956年にロバート・リッチの名義で参加した『黒い牡牛』でアカデミー原案賞を受賞するが、彼の名前は公にされなかった。アカデミー協会が初めてトランボの名前を刻んだオスカーを彼に贈ったのは1975年になってからであった。クレジットに彼の名前が再び現れるのは1960年の『スパルタカス』であり、追放から13年が経過していた。

また、トランボの死後、イアン・マクレラン・ハンターの原案・脚本とされていた『ローマの休日』が、実は追放中のトランボが1953年に執筆したものであったことが判明し、同作品でハンターが受賞していたアカデミー原案賞が、1993年に改めてトランボに贈られることになった[3]。授賞式では、トランボの代わりに妻クレオがオスカーを受け取った[3]。実質的にトランボは『黒い牡牛』以前にアカデミー賞を受賞していたのである[4]

トランボは実名でハリウッドに復帰した後も、『脱獄』『パピヨン』などの大作・ヒット作に名を連ねた。そして1973年の『ダラスの熱い日』の脚本を最後に1976年死去した。没後10年を経て、トランボが脚本を務めた1943年の『ジョーと呼ばれた男[5]を元に、スティーブン・スピルバーグが『オールウェイズ[6]を制作している。

トランボは、第二次世界大戦勃発の1939年に、負傷兵をテーマとした小説『ジョニーは銃を取った』を出版している。本作のタイトルは第一次世界大戦志願兵募集キャッチフレーズ「ジョニーよ銃を取れ」に対する皮肉と思われる[7]。大戦中のアメリカではこれは反戦文学とみなされることを恐れたトランボは同書の増刷を停止するが、戦争支持派から度重なる脅迫を受けた。トランボは連邦捜査局(FBI)に通報するが、逆にFBIから敵性人物として監視を受けるようになる。『ジョニーは銃を取った』は戦後になってから復刊された。さらに朝鮮戦争時に再度絶版となり休戦後復刊された。戦争のたびに絶版、復刊を繰り返すこの作品を、トランボはベトナム戦争最中の1971年、65歳にして自身唯一の監督作品として、原作・脚本を兼ね『ジョニーは戦場へ行った』のタイトルで制作した。『ジョニーは戦場へ行った』は、その年のカンヌ国際映画祭で、審査員特別グランプリ、国際映画評論家連盟賞、国際エヴァンジェリ映画委員会賞を受賞した。

第二次世界大戦中にトランボが脚色を担当したプロパガンダ映画『東京上空三十秒』[8]も負傷兵がテーマだが、それを乗り越えて戦争を遂行する兵士を讃えている。本『ジョニーは戦場へ行った』も戦争中前線の兵士が読んでいたというエピソードがある。

脚本作品[編集]

原作作品[編集]

監督作品[編集]

  • ジョニーは戦場へ行った Johnny Got His Gun1971年)

脚注[編集]

  1. ^ Robert T. Mann (2002). The Complete Idiot's Guide to the Cold War. Alpha. p. 150. ISBN 978-0-02-864246-8. http://books.google.com/books?id=TeSwjppr4zcC&lpg=PA150&dq=%22Motion%20Picture%20Alliance%22%20john%20wayne%20walt%20disney&pg=PA150#v=onepage&q=%22Motion%20Picture%20Alliance%22%20john%20wayne%20walt%20disney&f=false 2013年12月28日閲覧。. 
  2. ^ Michael Sragow (2008). Victor Fleming: an American movie master. Pantheon. pp. 429–430. ISBN 978-0-375-40748-2. http://books.google.com/books?id=KZDydTs8_nkC&lpg=PA430&ots=FJpLWXEzt_&dq=mpa%20communists%20victor%20fleming&pg=PA429#v=onepage&q=MPA&f=false 2013年12月28日閲覧。. 
  3. ^ a b "Great To Be Nominated" Enjoys a "Roman Holiday" AMPAS (Wayback Machine)
  4. ^ 原案・脚本のクレジットは従来の公開フィルムやビデオソフトにマクレラン・ハンター名義で記されていたが、公開50周年記念のデジタル修復版ではトランボの名前に変更され、本来の受賞者の名前で鑑賞することができるようになった。
  5. ^ 日本未公開。監督:ヴィクター・フレミング/主演:スペンサー・トレイシー
  6. ^ オードリー・ヘプバーン最後の映画出演作となった。
  7. ^ SparkNotes: Johnny Got His Gun: Themes, Motifs, and Symbols”. SparkNotes.com. 2013年12月28日閲覧。
  8. ^ 原作はロバート・コンシダインとテッド・W・ローソン。

外部リンク[編集]