孤立主義

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孤立主義(こりつしゅぎ、: Isolationism)とは、第二次世界大戦前までアメリカ合衆国が原則とした外交政策で、モンロー主義に代表される。その元々の源泉は、初代大統領ジョージ・ワシントンが離任に際しての告別演説の中で、「世界のいずれの国家とも永久的同盟を結ばずにいくことこそ、我々の真の国策である」と述べたことである(もちろん、厳密に言えばこれは「非同盟主義」の萌芽である。)

背景[編集]

南北アメリカ大陸などのアメリカが権益を持っているところ以外の地域については、不干渉を原則とした。これは、アメリカは大洋の向こうにある国々と軍事的なかかわりを持つ必要が薄かったからである。また、移民国家であるアメリカに不必要な内紛が起こらないようにするためでもあった。

つまり、孤立主義は「アメリカ合衆国一国主義」「アメリカ合衆国単独行動主義」の消極的側面とも言える。モンロー主義の時代は南北アメリカ大陸の権益の独占を目指し先住民の掃討・米墨戦争をした「アメリカ合衆国一国主義」「アメリカ合衆国単独行動主義」の時代であるが、南北アメリカ大陸以外には不干渉の立場をとったため欧州にとってはアメリカ合衆国の「孤立主義」の時代と言われる。

先住民掃討が完了した1890年の「フロンティア消滅宣言」前後からはアメリカ合衆国は太平洋にも権益を求め、米西戦争の結果キューバを保護国化し、フィリピンプエルトリコグアム島などを植民地として取得しても、この原則は変わらなかった。

第一次世界大戦後、ウッドロウ・ウィルソンの下で一時的に積極的な国際関係を構築しようとする動きがあった。しかし、連邦議会が国際連盟への加盟を否決するなど、アメリカ国民の支持は得られなかった。

孤立主義の終焉[編集]

第二次世界大戦が始まっても孤立主義の支持は根強く、是非を問う論争が続いた。しかしながら、この論争は1941年12月7日(米国時間)の日本による真珠湾攻撃によって終息し、アメリカは第二次世界大戦に参戦した。そしてその勝利後にアメリカを待っていたのは、大戦を機に世界への軍事的影響力を増大させ、本格的に革命の輸出を目論む超大国へと成長したソビエト連邦だった。冷戦の時代の到来である。

長年に渡る孤立主義により国力を蓄積・温存し、自らも全世界に影響力を持ち得る超大国となっていたアメリカは、東側陣営の増長の脅威に直面して、ここに一転して建国以来の国是であった孤立主義を事実上放棄し、「世界の警察官」の語に象徴される介入主義覇権主義へと舵を切ることになった。

冷戦の終了後は「アメリカ合衆国一国主義」「アメリカ合衆国単独行動主義」の傾向を強め、国連決議なしのイラクへの武力行使などを行うことになった。

新孤立主義[編集]

ところが、イラク戦争の失敗やアメリカの財政逼迫などの影響で、ネオコンが退潮し、再びアメリカ議会で孤立主義が復活する動きが出ているという指摘が2013年から出始めている。2013年、シリアの化学兵器使用疑惑を受けて、バラク・オバマ米大統領はシリアへの軍事介入を示唆したが、イラク戦争を積極的に推進した共和党の議員の多数が反対。オバマ自身も本心は軍事介入に消極的だったという指摘もあり、結局軍事介入は当面見合わせることとなった。しかし、この決断は同盟国に波紋が広がっており、緊密な同盟国であるイスラエルは「いかなる脅威からも自己防衛できるよう力を強化しなければならない」(ベンヤミン・ネタニヤフ首相)とし、イランの核開発問題などで、もうアメリカを頼りにしない姿勢を打ち出した。もう一つの主要同盟国である日本にもこの「新孤立主義」の影響は及び、民主党長島昭久は、「米国が間髪入れず反撃する前提が崩れるなら抑止力低下で深刻」などと述べた[1]

日本の保守系メディア「産経新聞」は、日米同盟を重視する立場から、オバマ政権下のアメリカを「内向き」などと批判的に評することが多くなった[2]。すなわち、中華人民共和国の脅威に対抗するには日米がタッグを組んで強い姿勢を見せることが必要だということだが、裏を返せば、現状ではアメリカなしで日本だけではほとんど中国の脅威に何もできないと言うことを露呈している。

脚注[編集]

関連項目[編集]