諸子百家

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諸子百家(しょしひゃっか)とは、中国春秋戦国時代に現れた学者・学派の総称。「諸子」はもろもろの学者を、「百家」は多くの学派を意味する。

[編集] 概要

前漢初期の司馬談は、諸子百家を六家(六学派)に分類した。

班固は『漢書芸文志で、諸子百家を六家に三家を加えて九流に分類した。

さらに、これに小説家を加えたものを十家としている。

そして、十家に兵家を加えたものを諸子百家という場合が一般的である。

[編集] 歴史

春秋時代に多くあった国々は次第に統合されて、戦国時代には7つの大国(戦国七雄)がせめぎ合う時代となっていった。諸侯やその家臣が争っていくなかで、富国強兵をはかるためのさまざまな政策が必要とされた。それに答えるべく下克上の風潮の中で、下級の士や庶民の中にも知識を身につけて諸侯に政策を提案するような遊説家が登場した。 諸侯はそれを食客としてもてなし、その意見を取り入れた。さらに諸侯の中には威王のように今日の大学のようなものを整備して、学者たちに学問の場を提供するものもあった。

百家争鳴の中で、に採用されて中国統一の実現を支援した法家、漢以降の王朝に採用された儒家、民衆にひろまって黄老思想となっていった道家が後世の中国思想に強い影響を与えていった。また、兵家の代表である孫子は、戦術・政治の要諦を見事に短い書物にまとめ、それは後の中国の多くの指導者のみならず、世界中の指導者に愛読された。墨子は、儒教の階級主義を批判して平等主義を唱えた。

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