全体主義
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全体主義(ぜんたいしゅぎ、英語: totalitarianism、イタリア語: totalitarismo)とは、個人の全ては全体に従属すべきとする思想または政治体制の1つである。この体制を採用する国家は、通常1つの個人や党派または階級によって支配され、その権威には制限が無く、公私を問わず国民生活の全ての側面に対して可能な限り規制を加えるように努める[1]。
政治学では権威主義体制の極端な形とされる。通常は単なる独裁や専制とは異なり、「全体の利益を個人の利益より優先する」だけではなく、個人の私生活なども積極的または強制的に全体に従属させる。全体主義の対義語は個人主義、権威主義の対義語は民主主義である。
目次 |
[編集] 用語
「全体主義」(totalitarismo)の語は1923年にジョヴァンニ・アメンドラによって初めて用いられた。第一次世界大戦で登場した「総力戦」(total war)の用語の連想から生まれたとされる。この用語は当初は肯定的な意味でも否定的な意味でも使用されたが、第二次世界大戦終結後は通常は否定的な意味で使用され、しばしばレッテル貼りでも使用されている。
ジョヴァンニ・ジェンティーレは全体主義を自称した。1929年11月2日の「ロンドンポスト」は、ベニート・ムッソリーニ体制下のイタリアを最初に「全体主義国家」と呼んだ。1932年のザ・ドクトリン・オブ・ファシズムではイタリアのファシストが「全体主義」を肯定的な意味で使用した。
[編集] 概要
全体主義は一般に、市民が通常は国家の意思決定に重要な割合を持たない権威主義体制と、公的および私生活の最も重要な側面を指示する定式化された意味で広く公布された政治思想の、結合である[2]。
全体主義の体制や運動は、国家が管理するマスメディアによる網羅的なプロパガンダや、しばしば一党制、計画経済、言論の規制や制限、大規模な監視、国家暴力の広範な使用などによって政治権力を維持する。
アリストテレスは政体を君主政・共和政・民主政と分類し、その堕落形態を専政・寡頭政・衆愚政として分類した。
近代では戦間期から「全体主義」の語が登場し、第二次世界大戦に入ると全体主義および全体主義体制の語は民主主義および民主体制への対置として用いられはじめた。
1970年代以降は、非民主的な政治体制をすべて「全体主義体制」として把握することを避けるため権威主義体制の概念が提唱され、政治体制をどのように規定すべきかという議論とともに「全体主義体制・権威主義体制・民主主義体制」という分類が定着しつつある。全体主義と権威主義との差異については、以下の表を参照のこと[3]。
| 全体主義体制 | 権威主義体制 | |
|---|---|---|
| カリスマ | 大 | 小 |
| 統治概念 | 機能としての指導者 | 個人としての指導者 |
| 権力の目的 | 公的 | 私的 |
| 汚職 | 少 | 多 |
| 公式イデオロギー | 有 | 無 |
| 立憲的多元主義 | 無 | 有 |
| 合法 | 有 | 無 |
[編集] 歴史
歴史的には、プラトンは民主主義を衆愚政治と考え、フランス革命ではジャコバン派が恐怖政治を行ったが、当時は「全体主義」との用語は存在しなかった。
エンツォ・トラヴェルソは著書「全体主義」で、「全体主義」という用語と概念の歴史を以下のように整理し、時代によりさまざまな異なる概念を入れる「容器」として機能した、と記した[4]。
- 1923年、ジョヴァンニ・アメンドラによって初めて用いられた「全体主義」という用語は、反ファシズム陣営で使用され始めた。イタリアのファシズムは「全体主義国家」(Stato totalitario)、ドイツの保守革命は「全体国家」(totale Staat)を提唱した。
- 1937年-1947年、「全体主義」との用語は、スターリニズムに対する左翼からの批判として使われるようになり、ナチス・ドイツとソビエト連邦の比較も普及した。
- 1947年-1968年、ファシズム陣営の敗戦と冷戦の勃発により、「全体主義」の用語は自由世界陣営からの反共産主義のスローガンとして広く使用された。
- 1968-1980年、アレクサンドル・ソルジェニーツィンの「収容所群島」出版を機に、東欧からの亡命者が再使用するようになった。
「全体主義」と呼ぶ範囲は、さまざまな立場がある。
- ハンナ・アーレントは1951年の著書「全体主義の起源」で、ファシズムやナチズムを「全体主義」としたが、いずれも共産主義に影響を受けていると記した。
- フランクフルト学派出身のフランツ・ボルケナウは著書「全体主義という敵」で、ファシズムと共産主義の実質的な同一性を記し、ロシアは「赤いファシズム」、ナチス・ドイツは「褐色のボルシェヴィズム」と呼んだ[5]。
- ジョージ・ケナンは、ナチス・ドイツとソヴィエト・ロシアと大日本帝国を三つの全体主義国である、と述べた[6]。
「全体主義」の用語と概念は、個人主義や自由主義の反対概念から発生しており、個人主義的自由主義を批判する立場からは肯定的に、個人主義的自由主義を支持する立場からは批判的に使用されている。
19世紀後半から顕在化した社会問題に対して、当時の自由民主主義による自由主義国家は有効な対応を立てられなかった。このためカール・マルクスはブルジョワ民主主義を否定して暴力革命とプロレタリア独裁を掲げ、ロシア革命で共産党による一党独裁体制が誕生し、秘密警察や粛清が行われた。特にスターリニズムでは極端な個人崇拝や恐怖政治や大粛清が行われた。
またイタリアでは国家主義やコーポラティズムを掲げたファシズム、ドイツでは民族主義や反ユダヤ主義を掲げたナチズムが政権を獲得した。なお同時期の日本も大政翼賛会と軍部の下での軍国主義が、同様に全体主義体制と呼ばれることもある。
各国の全体主義体制は、従来は国家や党が積極的に介入してこなかった社会、経済、文化の諸領域にまで干渉し、「不毛な」選挙や議会政治を否定して、直接的な民意形成を採用すると主張した。このため、全体の利益や権利が、個人の利益や自由に優先する、と主張した。
第二次世界大戦後は、「全体主義」を自称する国家や体制は消滅したため、以後は通常、個人主義や自由主義の立場から相手を批判する用法のみで使用されている。
[編集] 参照
- ^ Robert Conquest Reflections on a Ravaged Century (2000) ISBN 0-393-04818-7, page 74
- ^ C.C.W. Taylor. “Plato's Totalitarianism.” Polis 5 (1986): 4-29. Reprinted in Plato 2: Ethics, Politics, Religion, and the Soul, ed. Gail Fine (Oxford: Oxford University Press, 1999), 280-296.
- ^ "Sondrol, Paul C. "Totalitarian and Authoritarian Dictators: A Comparison of Fidel Castro and Alfredo Stroessner." Journal of Latin American Studies 23(3): October 1991, pp. 449-620.
- ^ 「全体主義」(平凡社新書、2010年)185-187p
- ^ 「全体主義」エンツォ・トラヴェルソ(平凡社新書、2010年)63p
- ^ ジョージ・F・ケナン、アメリカ外交50年、岩波現代文庫、2000年、114ページ、219ページ
[編集] 関連項目
- 類似概念
- 例
- 研究者・小説など
- ハンナ・アーレント
- クロード・ルフォール
- ディストピア - ユートピアの反対。極端な管理社会。
- 1984年 (小説)
- 関連概念
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