長島昭久

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衆議院議員 長島 昭久
生年月日 1962年2月17日(47歳)
出生地 出生地:神奈川県横浜市
本籍地:東京都立川市
出身校 慶應義塾大学大学院
米国ジョンズ・ホプキンス大学-
学位・資格 法学修士
国際関係論修士
前職 (米・ヴァンダービルト大学客員研究員→)
米国外交問題評議会上席研究員
所属委員会
内閣役職
衆議院外務委員会理事
安全保障委員会委員
世襲 世襲ではない
選出選挙区 比例東京ブロック
当選回数 2回
所属党派 民主党(野田グループ)
党役職 政策調査副会長(外交・安全保障担当)
国会対策副委員長
会館部屋番号 衆・第二議員会館714号室
ウェブサイト 長島フォーラム21

長島 昭久(ながしま あきひさ、1962年2月17日 - )は、日本政治家民主党所属の衆議院議員国家基本問題研究所理事。

座右の銘は、「命もいらず、名もいらず、官位も金も望まぬ者ほど御し難きものはなし。しかれども、この御し難き者にあらざれば、国家の大業を計るべからず」。

目次

概要

神奈川県横浜市に生まれる(東京都立川市在籍)。幼稚舎から慶應義塾に学び、慶應義塾大学法学部法律学科および政治学科を経て、1990年慶應義塾大学大学院法学研究科博士課程を単位取得中退。学部在学中のゼミは小林節研究会(憲法)。大学院の指導教授も小林節。大学院博士課程在学中に石原伸晃衆議院議員事務所に入り公設秘書となる。第一秘書のかたわら、東京文化短期大学憲法の講義を行う。1992年大前研一平成維新の会創設に参加する。1993年アメリカに渡り、テネシー州ヴァンダービルト大学客員研究員となる。1995年ワシントンD.C.に移り、ジョンズ・ホプキンス大学高等国際問題研究大学院SAISに学び、国際関係論修士号を取得する。1996年、第3回読売論壇新人賞に応募。応募論文の「安全保障のビッグバン」で同賞の最優秀賞を受賞する。1997年、米国外交問題評議会研究員(アジア政策担当)に就任し、朝鮮半島和平構想プロジェクトに参画する。

その後、2000年に上席研究員に昇任し、ジョンズ・ホプキンス大学ライシャワー東アジア研究所の客員研究員を兼務。東京財団主任研究員として「アジアにおける米軍前方プレゼンスの将来像」研究プロジェクトを主宰し、2002年にその研究成果を著書『日米同盟の新しい設計図―変貌するアジアの米軍を見据えて』(日本評論社)として上梓、その後の米軍再編論議に大きな影響を与える。

2000年帰国し、衆議院補欠選挙に立候補するが落選。2003年第43回衆議院議員総選挙東京21区から民主党公認で立候補し、当選する。民主党では「次の内閣」の防衛庁副長官、衆議院安全保障委員会理事、拉致問題特別委員会理事となる。また、イラク復興特別委員会、武力攻撃事態対処特別委員会、文部科学委員会に所属し、野党政治家ながら是々非々の立場で、建設的な提案を織り交ぜた質疑が持ち味。

2005年9月11日第44回衆議院議員総選挙では小選挙区で敗れるも比例復活当選。選挙後の代表選挙では前原誠司の推薦人に名を連ねる。前原新代表の下で「次の内閣」の防衛庁長官に抜擢されるとともに、安全保障委員会の野党側筆頭理事に就任、党内の安全保障政策の取りまとめにあたる。また、2003年より慶應義塾大学大学院で非常勤講師(国家安全保障政策担当)、2006年より中央大学大学院公共政策研究科で客員教授を務める。その後、前原誠司に代わり代表に就任した小沢一郎の「次の内閣」でも防衛庁長官として留任した。2006年9月より、外務委員会理事、外交・安全保障担当の政策調査副会長および国会対策副委員長に就任した。防衛庁の省昇格法案の審議では、法案賛成に向け党内論議をリードし防衛省内の信頼を確固としたものにする。

第21回参議院議員通常選挙に際して鈴木寛候補の選対事務局長を務め当選を果たすが、直後に行われた立川市長選挙では応援した弁護士を当選させることができなかった。

2008年9月、第44回衆議院議員総選挙で民主党の一次公認を受けた。

人物

政策

著書

  • 『日米同盟の新しい設計図 -- 変貌するアジアの米軍を見据えて』(政策研究シリーズ) 日本評論社 2002年3月 199p ISBN 4-535-58320-X
    • 『日米同盟の新しい設計図 -- 変貌するアジアの米軍を見据えて 第2版』 日本評論社 2004年11月 199p ISBN 4-535-58419-2

関連項目

外部リンク

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