第三の道

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共に「第三の道」路線の“先駆者”と言われるトニー・ブレアビル・クリントン

第三の道(だいさんのみち、英語:The Third Way)とは通常、従来の2つの対立する思想や諸政策に対し、両者の利点を組み合わせた、あるいは対立を超越した、思想や諸政策である。政治思想の分野では多くの場合は、従来の資本主義社会主義に対する新しい思想や諸政策であり、有名なものには以下がある。

イギリスでの第三の道[編集]

マーガレット・サッチャーとその後継ジョン・メージャーの保守党政権による新自由主義政策の下で、政府による富の集権的再配分によって積極的な福祉政策と弱者救済を行うという福祉国家のモデルは次第に解体されつつあった。保守党政権は市場原理を最重要視し、経済政策への政府による介入は減らされ、民営化規制緩和が盛んに行われた。結果として、長く続いた「イギリス病」は失業問題を除き概ね克服され、イギリスの経済構造は大きく改革・改善された。一方で、高い失業率が残り、経済格差が広がり、公共サービスを受けられない層が増大していた。

しかし、労働党は従来の産業国有化方針を脱却できず、グローバリゼーションによる市場化の波には対応できないままであった。ブレア労働党は、保守党の市場化一辺倒、労働党の市場化への適応不足という袋小路に陥った状況を乗り越える路線として、市場の効率性を重視しつつも国家の補完による公正の確保を指向するという、従来の保守労働の二元論とは異なるもう一つの新しい路線を目指すと主張した。これが、イギリスにおける「第三の道」である。

この第三の道における公正は、伝統的社民主義の哲学が提示する結果の平等ではなく、教育の充実などの政策に立脚した上での、機会の平等に重きを置いている。これにより、移民政策にも通じる多様な文化的「差異」を前提としてグローバリゼーションへの対応を指向する。

具体的に行われた政策としては、保守党が重視してきた所得税法人税の軽減などを継承する一方で、より社会の下層に配慮し公正を目指す就労支援や公立校改革などを展開すること、また、弱者を手当て(ネガティブウェルフェア,依存型福祉)するのではなく、家族形成や就労を含めて「社会参加」の動機づけを持つ者を支援(ポジティブウェルフェア,自立型福祉)すること、そして、公共サービスでのPPP(Public-Private Partnership)による官民連携、さらに、サッチャーによる中央集権政策への反省から地方の自治・自立を促す地方分権スコットランドウェールズ北アイルランド各地方へ地方議会の設置)などがある。また、1999年には、英国では初となる最低賃金法を導入した。

しかし、労働党がサッチャリズムを継承した事は、労働組合など従来からの労働党支持者の反発と離反を招き、その為、労働党の党員数は、1997年には40万7000人いたものが、わずか6年後の2003年末には21万5000人と、約19万人も大激減し、約70年前の水準に落ち込んだ[1]

他国での第三の道[編集]

ブレア政権の成功はヨーロッパ各国の社会民主主義政党に影響を与え、90年代末のヨーロッパ主要国では中道左派-第三の道路線の政権が相次いで誕生した。英国では既に保守党時代に徹底した福祉国家の解体を終えていたことから公正の面がより強調されたが、他の国の第三の道では効率にまず重点が置かれる傾向があった。このためリベラル(自由主義)や社会自由主義との差異は小さいものとなり、むしろ中道左派として共通することとなった。しかし、下記に記すように、イギリス以外の国々でも第三の道は過去のものとなりつつある。

ドイツ[編集]

ドイツ社会民主党(SPD)のシュレーダー政権の政策も旧来福祉国家からの改革を唱えるなど第三の道の影響を受け「新たな中道(die neue Mitte)」を唱えることにより、16年続いたキリスト教民主同盟ヘルムート・コールから政権を奪取、1998年から2005年までの7年間政権を維持した。

しかし、ドイツでも、新中道路線は上手くいかず、政権末期はシュレーダー政権の新自由主義的な改革(長期失業手当の生活保護との一本化=実質的廃止、実質賃金の抑制、大企業向けの減税策、年金支給額の抑制、医療保険における患者負担額の増加等)に対して貧困層や旧来の社会民主党支持者からの批判も相次いだ。

2005年5月には、ラフォンテーヌ元党首ら党内左派が離党し、民主社会党東ドイツの支配政党ドイツ社会主義統一党の後身)と連合して左翼党を結成するに至った。


フランス[編集]

伝統的な社会民主主義か第三の道かで路線対立を抱えていたフランス社会党でも、サブプライム問題の影響もあって党内左派が勢いを得ていた事もあり、伝統的な社会民主主義者である党内左派のリール市長のマルティーヌ・オブリーが党首選に勝利した。

否定的な見解[編集]

「第三の道」は新自由主義でも旧来の社民主義でもない新たな思想・新たな政治路線であると一般的に考えられているが、この考え方に対しては新保守主義新自由主義を肯定する富裕層からは「小さな政府」の仮面をかぶった「大きな政府」路線と揶揄され、ケインズ経済学派からも「小さな政府同様、雇用創出概念が欠落している」と疑問を呈され、左派からも「労働組合の切り捨て」「社民主義への裏切り」などの批判も根強く、先駆者のブレア政権でも実際バッシングは多かった。

ビル・エモットは、現在の英国(およびその影響を受けたドイツ)では、誰もこの思想を話題にはしておらず、ブレア自身も政権の途中からこの言葉を使わなくなった、理由はそんな思想など元々存在しなかったからだ、と主張している。彼によれば、「第三の道」は左派政党が支持者に対して「右派の政策を採択することによって左派を裏切ろうとしているのではない」ことを説得する方便にすぎないからだとしている。ブレア政権は確かに福祉・教育予算を拡充し、サッチャー政権下で荒廃した病院や教育を立て直すことを目指したが、充分に成功したとは評価されていない。理念として提示した社会的公正の実現もさほど成功しなかった[2]と分析している。政策を実行する上では有権者の強い支持を得ることができ、政権運営の役に立ったが、保守政権の政策を基本的に踏襲した政策の実情はブッシュ政権の唱えた「思いやりのある保守主義」と呼ぶべきものであり[3]、また、「第三の道」が新たな政治路線ではなく、「思いやりのある保守主義」であることに有権者が気づいたことも、2度連続して総選挙に大勝したブレアが辞任に追い込まれた理由の一つである、と主張している[4]

アメリカにおいても、民主党ビル・クリントン大統領の第三の道路線は、レーガノミックスにより生じた根の深い格差問題の是正にはあまり効果がなかったという見解がある。

脚注[編集]

  1. ^ 英労働党員7年で半減 ブレア政権に労組反発 2004年7月9日(金)「しんぶん赤旗」
  2. ^ 貧困層の割合は1997年の25%から2005年の14%へと縮小したが、2006年には2005年の1210万人(14%)から1270万人(14.7%)へと1%弱、再び増加、若年者(18~24歳)失業率は1998年の12%から9.7%へと減少したが現在では12.6%に上昇、ニートも一時40万人を切ったが、現在では50万人を超えている。一方最低賃金の導入などで格差の拡大の速度は落とすことに成功しているが、高所得者への増税など所得再分配の強化はほとんど行なっていない。(東洋経済新報社、pp.47-49.)
  3. ^ ビル・エモットの分析による。(東洋経済新報社、p.63)
  4. ^ 東洋経済新報社、pp.60-63

参考文献[編集]

  • アンソニー・ギデンズ 『第三の道――効率と公正の新たな同盟』 佐和隆光訳、日本経済新聞社、1999年、ISBN 4-532-14771-9
  • 『ヨーロッパ社会民主主義「第3の道」論集』生活研ブックス No.7
  • 『ヨーロッパ社会民主主義「第3の道」論集(II)』生活研ブックス No.9
  • 『ヨーロッパ社会民主主義「第3の道」論集((III) -労働組合と中道左派政権)』生活研ブックス No.12
  • 「特集・日本と英国」『週刊東洋経済』第6093号、2007年7月28日、東洋経済新報社。
  • トニー・ブレア、ゲルハルト・シュレーダー 『第3の道/新たな中道』 1999年。英文 日本語仮訳
  • HMG(英国政府) 『新福祉契約 英国の野心』 柏野健三訳、帝塚山大学出版会 紀伊國屋書店、2008年。

関連項目[編集]